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弱肉強食


「では、さらに被害者の行動をさかのぼって辿っていくとしよう」

「被害者の職場はこの染物工房です」

「お忙しそうですね」


比較的大きな敷地に染物工房はあった。

嗅ぎなれない匂いと複数の怒鳴り声がガヤガヤと賑やかである。あまりの血の気の多さに思わず後退りをしたら、後ろからも馬のいななきと怒号が飛んだ。


「危ねェだろ!荷が崩れたら殺すぞ!」


ひいいい!


染物工房の前の道では、荷を積み上げた馬車が列をなしていた。

こちらも血の気の多い御者や野盗のような見た目の護衛が苛々と周囲を睨み上げている。


どうやら、その血気盛んな者たちの地雷を踏みぬいてしまったようだ。

怒りに染まる筋肉隆々な者たちがこちらに近づいてくる様子に、あわあわと慌ててしまう。


だが、私の後ろに立つ貴族然とした判事の姿に気付いた瞬間に、彼らは牙を抜かれた飼い猫のようにお行儀良くしゅるりと馬車に戻った。


これが弱肉強食、ということなのでしょうか。


「こ、この交通渋滞はどうにかなりませんか……」

「これは俺の仕事の範囲じゃないな」


判事は片眉を少し持ち上げ切り捨てた。

その反応にじとりとした視線を返す。


「判事とはこの世をより良くする気高い職業だと思っていました」

「一つ賢くなってよかったじゃないか」


フッと軽く笑って流した判事の視線は、すでに繊維工場から出てきた集団に向かっている。


「あちらの方は王都でも名の知れた大店の者ですね。名はラムジー。先日は判事宛てのご挨拶の品が届いていました」


ザイス文官の注釈にひとつ頷いた判事はコツリと足を鳴らした。


「おい、そこの」

「あぁ!?……っと、失礼いたしました。ンンッ、アァッ、喉の調子が悪いもので、へへ、旦那様、このような場所でお目見え出来るとはなんと良い日でございましょうか。先日お贈りさせて頂きました絨毯はお気に召しましたでしょうか。いやあ、本日はどのようなご用向きで」


苛々とした顔を隠しもせず横柄な態度で歩いていた男は、判事に気付くとコロリと態度を改めた。


今日一日で人間不信になりそうである。


商人から贈り物が届くなんて、もしかしたら判事は有名な人物なのだろうか。

もしくはこの商人の方が何か贔屓にしてもらいたいことでもある、ということなのだろうか。


どうもどうもと手を揉む商人に、判事や文官はにこりともしない。

その様子を見て、贈り物の効果は無かったようですよと商人に同情してしまう。


「ラムジー、今出てきたのはお前の工房か?随分と活気があるな」

「はい、おかげさまで。今は王都で新しい流行の需要が高まっている関係で、工房は総出で稼働しております」


ラムジーはよく膨らんだ腹を擦り、機嫌よく答えた。

二人の会話に出てきた王女、という単語におや?と頭を傾げれば、ザイス文官が小声で注釈してくれた。


なんでも。ここラムゼイ国王陛下は隣国ブリオンの王女を新たに妃と迎えたらしく、王都では隣国から入って来た新しいドレスや小物が流行の兆しをみせているらしい、とのことだった。


ベールの中で神妙な顔で頷いていたら、商人の含みのある声がザラリと首を撫でた。


「……どうやら王は新しく迎えた妃様を殊の外寵愛されているようですね。妃様のご要望で私どもも忙しくさせていただいておりますので」


ええ、ええ、と頷く商人の表情は先ほどまでと同じなのに、なんだか意味深だ。

判事も気付いたのか、顎をクイッと上げるだけで続きを促した。


商人ラムジーは、獲物が引っかかったと言わんばかりの顔で一歩だけ判事へ距離を詰めた。


「私どもは王家の御用聞きとして名誉あるお役目を頂いておりますので、十分余裕を持って準備させて頂いたのですよ」


輿入れともなると隣国から持ち込まれるものもあるが、受け入れる側でも十分に準備は怠らない。

先に伺っていた髪や瞳の色、趣味趣向、サイズを元にドレスや日用品を工房が総力をかけて用意していくそうだ。


「ですが、先にご用意していたお品はお気に召さなかったようでして。首が飛ぶかと一同大慌てでしたが……またお声がかかり嬉しい悲鳴ですよ」


ええ、と商人は人好きする笑顔を見せた。


「……もったいない。つまり数年分の準備が妃一人の我が儘で無駄になったのか」


聞く人が聞けば王家の批判になってしまいそうなことをザイス判事がボソッと呟いた。


「王も酔狂な。妃一人のために生地から染め直すとは」

「ええ、全くです。いったい何が気に入らなかったんだか。私共には関係のないお話しですが」

「ほう。何があったんだ?」

「さて、私共はお客様のご要望の通りに動く駒ですので。駒は頭で考えません」


「はは、なるほど。ラムジーとは話が合いそうだ」


判事は怖いもの無しなのか、普通の声量だ。先ほどまで巧みに言葉を選んでいたはずの商人ラムジーもそうだそうだと乗ってしまった。

もし王家を批判した罪に問われることがあったら巻き込まないで欲しいが、そういえば死刑予定なので大丈夫だった。


「そうだ。ラムジーを見込んで頼みがある」


遠い目をしそうになったところを、突然グイッと肩を抱き寄せられた。

足がもつれそうになったが、判事の身体に抱き留められる。


こ、こんなところでなにを!?!?


ベールの中で目を白黒させながらそろりと上を向いたが、判事の視線は私には向いていない。


「この可愛らしい人に似合うベールを見繕いたい」

「これはこれは、可憐なお嬢様……?いやお美しい奥様……?ミステリアスで魅力的な方でございますね!え、ええもちろんでございます!こんな場所で無ければ凝ったものをご用意出来たのですが、後日ぜひ何点かお持ちいたしましょう」


この怪しいベールをかぶった私が可憐なお嬢様なのか、お美しい奥様なのか何なのか判断がつかなかったのだろう。言葉を濁された。泣いてない。


プルプルとベールの中で堪えていると、判事は何かを懐から出した。

それは、じゃらりと音がした。


「あぁ、頼む。今は紹介だけで良い」

「……これはこれは。ええ、確かに、賜りました」


ふふふ、あははと目の前で交わされる笑い声に悟った。

これは注文の形をとっただけだと。


「ここだけの話、隣国の絵師は大層な腕前だったそうですよ」

「続けろ」


「前情報では、隣国の王女は神秘的なお姿に女神も嫉妬するほどのご相貌だとの噂でした。髪は光を含んだように輝き、瞳は陛下に恋する星のように」

「そこはいい」


「髪も、瞳の色も、姿も異なる姫が現れたともっぱらの噂です。すわ影武者か替え玉かと思われましたが、陛下は何かお考えがあるのか静観するご様子です」


ほぅ、と満足気に細められた判事の視線に、商人は笑みを深くした。


「まあ、婚礼の姿絵で多少見栄え良く描くのはよくあること。婚礼を控えればお身体も変わるものです。結果的には丸く納まりましたが婚礼の衣装は作り直し、家具から寝具まで総入れ替えでてんてこ舞いですよ」

「女性の機嫌は良い方がいいからね」

「ええ、おっしゃる通りでございます。商売は三方良しが大切ですからね」


商人は深々と頭を下げ、にこにこと笑顔で馬車に戻っていった。


「よし、だいたい事情は掴めたな」


「はい。今日一日で一生分の金を見ました」


ザイス文官は金の音で胸がいっぱいといった様子で、胸に手を当てた。


「見てはいけないものを見た気分です。あくどい空間でした」


私は胃のあたりに手を当てた。


「これも捜査の一環だろう」

「あれは捜査でしたか?」

「お金で人を殴りつけることしかしてませんよね」


「息が合ってきたようで何より」


その時、工房からひときわ大きな物音と怒鳴り声が響いた。

ビリビリとお腹に響く声にビクリと跳ねてしまった。


「この商品一枚でも使えねえものにしたら、おめえに責任とれんのか!おめえの命一つじゃ元とれねえぞ!!また失敗したらお前らも俺も皆殺しだ!やる気がねえなら先に死ね!」


ヒンッ!と、咄嗟に判事の影に隠れてしまった。

私が怒鳴られたわけではないのだけれど、ごめんなさい許してくださいとすぐさま謝ってしまうほどの怒鳴り声だった。


「さ、次は工場の人間に被害者の話を聞いてこい」

「あの空気に行くなんて正気ですか?」


いやいやいやとザイス文官にしては賢明な判断である。

判事はやれやれと出入口付近に立っていた男性に声をかけた。「この忙しいのに」と青筋を立てていた従業員は貴族然とした判事を見た瞬間に、規律を重んじる兵士かのように工房長を呼びに向かった。ここでも弱肉強食らしい。


「……全体的に空気が悪いですね」

「忙しさは人を殺しますからね。あの調子で罰せられた彼女を打ち捨てた可能性もあります」



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