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新居は路地から離れ、通りの裏手にある集合住宅の一角だった。
元婚約者の証言をまとめた記録では、新居はベス嬢の父親と婚約者が用意したとある。
ベス嬢の家庭は身体を壊した父親と、一つ下の妹と幼い弟たち。
経済状況から同居の予定だったが、せめて最初は二人だけの家をと小さい借家が新居となる予定だった。
先に婚約者が入居し、結婚の届けを出してからベス嬢も居を移す予定となっていたそうだ。
なんでも、婚約者は少し前に足を負傷したため職場に近い新居へ先に移った経緯があるらしい。
その愛の巣になる予定だった住居から寄り添いながら出てきたのは、ベス嬢と似た背格好の女性。
ベス嬢の妹だった。
はわわわわ、目は白黒としてしまうが見間違えではなさそうだ。
あの男女はたしかに、あの日に親族として最前列にいた二人である。
そういえばあの二人はあの時も距離が近かった。でもそれは、悲しみにのまれそうになりふらついた身体を支えるためであって。
「愛の巣となるはずだった新居で、妹と浮気をしている婚約者を発見し取り乱した彼女を後ろから……卑劣ですね」
ザイス文官はキリッと話をまとめた。
「お、憶測と脚色が過ぎますっ。ほら、怪我をしている姉の婚約者を支えているようにも見えます。介助ですよ」
「あれはクロだな」
路地の影から二人をチラッと見ただけの判事はしたり顔でそう言った。
「なッ、ですから憶測で人を貶めるのはどうかと思います!」
「憶測じゃない。勘だ。お前の占いでは見えないのか?奴等が男女の関係だと」
ん?と悪い顔で見下ろされたが、勘と一緒にしないでほしい。
ムッとしながらもう一度二人を見ると、彼女たちは顔を寄せ合い額をコツリと合わせた。
それは端から見て、男女の親密な距離感に見えてしまう。
そこだけ空気の濃度が違う。二人の世界とはこういうことを言うのだろう。見ているこちらが恥ずかしくなってくるほど濃厚だ。
「えーっと……昨今の巷では開放的な市民が増えたんですね。きっと」
「それはありえるな」
「ありえませんよ。こんな往来で」
ザイス文官は貴族といっても平民の生活様式に詳しいようだ。
どうやらこの街でもあれは恋人の距離感に見えるらしい。私にもそう見える。
だが、ふわりと視界の端に見えるものに視線を投げれば、心配は杞憂だった。
「……どうやら、ベス嬢は二人のことを知っていたようですね。ベス嬢自身は二人に恨みも無く応援している、という相が出ています」
思ったことを呟いていたら訝しげにすがめられた視線が刺さる。
慌てて手のひらを前に出して、ふんっと見えない力で占っているという体にしておく。
こういうときは説得力のあるポーズが大事なのだ。
「……まあそうだろうな。婚約者の方は足が不自由で、妹の方は目が悪そうだ。少なくとも肉体労働者を撲殺するのは難しい」
「判事、そんなことは資料に書かれていませんよ?」
「それこそ占いをしなくとも、見ればわかるだろう」
事務官はパサパサと資料を読み返して埒が明かないと思ったのか、じっと二人の姿を視線で追った。
私もベールを少しだけ持ち上げよく目を凝らせば、男性は足を少し引きずっている様子が見えた。
その男性の腕を放すまいと抱きついているように見えた女性は、どこか視線がぎこちない。
まるで、触れることで相手の存在を確かめているようだ。
男性が歩けば女性は支えるように止まり、女性が歩く時は男性が何かを伝えるように耳元へ顔を寄せる。その姿はお互いを支え合っているように感じた。
そこには二人の世界から他者を排除するという狂信的なものではなく、お互いがお互いの隙間を埋めるような物悲しさがあった。
もしかしたら。ベス嬢という支えが無くなってしまった隙間の埋め方を、二人で模索しているのかもしれない。そう思った。
「あの二人が犯人では無いことは理解出来ました。つらいですね」
「おや。ザイスにしては理解が早いな」
判事と同意見である。
疑り深いザイス文官は『元婚約者が右左と指示をして、妹が丁度良く鈍器を振り回したのだ』とかなんとか言いそうだと思っていたのに。
ザイス文官は眉を下げ、胸をおさえた。
それは今までで一番、遺族の心情に寄り添った感情を見せた表情だった。
真面目そうで、仕事に私情を挟まないように見えるザイス文官にも人情味がある面があったのだなと私は少しザイス文官への印象を改めていた。
「あの二人は被害者を殺してしまったら生活に困窮しますからね。出来れば生きて働いてほしかったでしょう。健康な働き手の損失は大きいといえます」
訂正します。下方修正の方に。
法の番人が悪魔のような判事で、文官はこの守銭奴で大丈夫なのでしょうか。