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「──判事、皆さんお待ちですよ」
「待たせておけ」
カーテンが引かれた薄暗い室内の中から、不機嫌な声が返って来る。
「そういうわけにもいきません。1件目の方々が大騒ぎです。判事室を処刑場にされるのは困ります」
「わかったわかった。……はぁ、興ざめだ」
さらりと衣擦れの音。
一拍置いて、強い香水をまとう派手な女性が横をすり抜けた。
あれは確か隣町の店の……って、ここは自宅では無く神聖な職場なのだが。おかしいな。
しかも判事室一帯は関係者以外立ち入り禁止なのだが。おかしいな。
さっそく浮かんだ疑問はさっと握りつぶし、唖然とした拍子に開いた口を閉じる。
あーーー、転職したい。
苛つき混じりに室内にドカドカと入り、恨みを込めてカーテンをびゃっと開けて。ついでに窓も開けてやる。換気だ換気!
着任早々、判事室に夜の香水が染みついたら大変だ。消毒用に酒でも撒くか。だめか。くっ。事務方から小言をもらうのは、この問題児では無く部下の私だというのに!
「……前室をこのようなことに使われるのも困ります」
「うるさいぞ。辺鄙な田舎は退屈なのだからしょうがないだろ?」
ま!うるさいだなんてどの口が!と、頭の中で母の小言が聞こえた。あの日の母もこのような気持ちだっただろう。母よ、すまない。
「こんなことバロネス伯爵に知られれば、お叱りを受けるのは判事付き文官の私なのですよ」
「簡単だ、黙っていればいいだけだ。これからも仲良くしよう、ザイス文官殿」
つい歪めてしまった顔を見られたのか、判事はふっと息を抜くように口端を持ち上げた。その表情は気怠げで色気がある。そんな顔を私に向けないでほしい。
そっと自分の文官服の襟元を確認したが、無事だった。危なかった。
億劫そうに立ち上がった上裸の男は、私の上司であるシオン・アシュバルト判事だ。
大層な色男で先日まで王都の女性たちの秋波を上から下まで総取りしてきた男、という肩書を持つ。先日までは。彼の言う、『辺鄙な田舎』に来るまでの話だ。
何を隠そう、いや隠していればよかったものを。彼は素行が悪かった。
日頃から度重なる浮名はあれど『賑やかですね』『景気が良い』と噂話に花を添える程度だったはずだ。
しかし、先日。
ついに実家である忠臣伯爵家でもかばいきれない事件があり……この度、この地方に飛ばされたわけだ。
その事件とは国王の新妻に手を出したとか出さなかったという噂だ。お相手がお相手なので本当のところは闇の中。まあ飛ばされたということはそういうことなのだろう。
身から出た錆。意外性がない。彼ならやると思った、と私の中の裁判員10人中15人は頷く。
黙って真面目に生きていれば用意されていたはずの王都の花道が、地方のさびれた田舎道になってしまったにも関わらず。生活を改めないとはどうしようもない。はぁ。
あぁそして私ときたら、ツイていないにもほどがある。
周りが万年の春を謳歌している中、必死に呪詛を吐きながら学位を修め。周りが自分の光輝く未来を見て拳を振るう中、私は上司の光る頭を後ろから見てごまをすり。やっと、やっと王の覚えがめでたい伯爵家のご子息の部下になれたというのに。
「……先行きが心配です」
主に心配なのは、こんな上司に気に入られたばっかりに一緒に飛ばされた私の未来だけれども!
「やることは王都と変わりない。我々は地獄の門番でしかないからな」
地獄送りに成功も失敗も無い、と若き判事は乱れた襟をピシリと整えた。
そうすると先ほどまでの自堕落な様子も隠れるのだから不思議である。判事服がそうさせているのだろうか。顔だろうか。
やれやれと今回の資料を手渡す。
普段はちらりと見ただけで捨て置かれる資料も、今日は珍しく足を止めて読みこんでいる。
それもそうだろう。
今回の被告は【魔女】なのだから。
「なぜ我々が担当なんでしょうか」
「魔女が来たら俺に回せと言ってあるからな」
判事のせいか、とつい目を剥いてしまう。
そういえば、この男は幼い頃に死の淵を彷徨った際に魔女に救われたため、魔女に魅入られたという噂があった。この後に『こうして彼は魔性の男となった』という部分がついてくるが省略する。上司が魔性でも性悪でも私には関係ないからな。
本日、めでたく関係が出来てしまったが。
何がおもしろいのか、判事は口端を上げてご機嫌だ。
なに魔女だなんて厄介な案件で機嫌が良くなっているんだ。魔女に魅入られたという噂は真実だったのか……ただの女好きの成れの果てか。
はぁ~~~~!魔女にも発情する上司は嫌だ。転職したい。
何度目かの無理な願望が過る。
「────では、魔女殿を地獄の門にお連れしてくれ」