ヴィーガンを批判する人たちへ
※ ヴィーガンとは完全菜食主義者とも呼ばれますが、その実は、動物が関わる全ての物を避ける思想を持った人たちです。食べ物としての肉だけでなく、服や家具、さらには薬や化粧品まで、動物に関わって出来たあらゆる物を避けて生活をしなければなりません。
「私、ヴィーガンになろうと思ってぇ」なんて言い出す人がいたら、その人は並大抵の覚悟ではないはずです。「その服、ウールだよ」とか、「その化粧品は動物実験してるよ」とか、「白砂糖は骨を使って濾過した物もあるんだよ」とか教えて、動物由来の製品に触れないよう是非とも協力してあげましょう。
今夜は友人が夕食をご馳走してくれことになった。
「今日は誘ってくれてありがとう。」
俺は上等の酒を持ってきた。
この友人とは離れた所に住んでいるが、たまに一緒に食事をする仲だ。
「お隣から良い肉が手に入ったんだ。」
「確かに、これは脂がのっていて旨そうだ。」
友人は自慢のオーブンから取り出した肉を見せてくれ、それぞれの皿に切り分ける。
「「乾杯。」」
何かの記念日というわけではないが、旨い肉が食えるというだけで気分が上がる。
俺と友人はいろいろと語り合った。酒も進んで、やがて、政治や社会のニュースについて話し始める。
友人が話を振ってきた。
「キミはさ、ヴィーガンが何故あんな抗議をするんだと思う?」
「動物を食べるのが可哀そうだからなんだろ。肉を喰わない人たちの考えは良く分からないよ。」
俺はそう答えて肉を頬張る。
「こう考えてみてはどうだろう。イヌを食べたら可哀そう?」
「まあ、ペットにするような動物を食べるのは、批判されるだろうな。」
友人は、まだこの話を続けたいようだった。俺も議論に乗ってやることにする。
「じゃあ、ミニブタもペットにする人がいるから、ブタは食べない方がいい?」
「食べるために飼育されているブタと、ペットとは別物だろう。」
「じゃあ、飼育されたイヌなら食べても良い? ブタやウシみたいに食用に品種改良されたイヌなら許される?」
確かに。そう考えると、ブタは食べることが許されて、イヌが駄目な理由が分からない。
俺は答えを探す。ちょっと酔っているくらいの方が頭が回る。
「イヌは賢いからじゃないかな。」
「ブタは賢くないとでも? ちなみにブタは、イヌよりも賢いという研究もあるらしい。」
友人はスマホの検索結果を見せてくれる。
「本当だ。ブタはクジラよりも賢いのか。これは知らなかった。」
「つまり、イヌやクジラを食べるよりも、ブタを食べる方が可哀そうらしいんだ。」
「で、それがヴィーガンとどう関係するのさ。」
俺たちは酒をあおり肉を食べ、楽しく議論を続ける。
「西洋の人たちが昔、イヌやクジラを食うのは野蛮だと騒いでいただろ。」
「ああ、そのせいでクジラはあまり食べられなくなったな。」
「その人たちが、ヴィーガンからブタやウシを食うなと言われて、怒っているのが面白いんだ。」
俺は笑った。
「ハハハハハ。確かに。捕鯨船襲っていた連中に、肉を食べるなよって言ったらどう反論するんだろうな。」
友人も笑った。
「フフフッ。そういうこと。よそ様の食文化を批判してたやつらが、自分たちの食を否定される。今までにしてきたことをされて怒っている。でかいブーメランだよ。」
「確かに。イヌやクジラを食べることを批判してきた人には、ヴィーガンを批判する権利はないな。」
お互いの皿は空になり、二人のお腹は満足した。
しかし、酒を酌み交わしながら話しは終わらない。
友人は強い思いがあるのか、珍しく熱く語る。
「僕はこう思う。何を食べ物とするかのボーダーラインは、人によって違うんだ。それを批判する権利は誰にもないと思うんだ。」
「確かに。その人の住む地域や環境文化、なにより嗜好によって食べ物は違ってくるのが当たり前だよな。」
「僕たちも一般とは違うボーダーラインを持っている。」
そう言って友人は、空になった俺の皿を指差した。そして続ける。
「しかも、キミは僕と同じ肉を食べたけれども、キミと僕のボーダーラインは違うだろう?」
俺は友人の言葉に納得し、友人の顔を指差す。
「確かに。お前と違って、俺は知り合いを食べようとは思わないな。」