1.プロローグ
ノンプレイヤーキャラクター。略してNPC。
ゲームに登場する、プレイヤーが操作しないキャラクターだ。
ゲームの操作やルールを教えたりイベントを進めたり、NPCは製作者によって決められた行動や会話をする。
しかし、本当にそうなのだろうか?
もし、NPCが自身の考えを持って生きているとしたら……。
◇◇◇
帰りたい。
家に帰って布団で泥のようにぐっすりと眠りたい。
近くのネットカフェでシャワーを浴びてはいるが、家でゆっくり湯船に浸かりたい。
もう一週間は会社で眠っている。納期までの時間と残りのタスク量から考えると仕方ないとは思うが流石に限界が近い。
手を伸ばしたりはしないが、椅子の背もたれへゆっくりと身体を任せ背筋を伸ばす。
そんな些細なリラックス中に聞きたくない言葉をかけられた。
「黒田さん、バグです」
「またですか……今度はなんですか?」
今は仕様に合った機能を納期までに追加しているのだが、バグで動かないや意図した動きをしないとなったら仕方ない。
それにしても致命的なものや細かなもの合わせて、かなりの数を潰したはずなのにまだバグが出てくるのが不思議でならない。
いや、プログラムを組んだ俺のせいではあるのはわかっている。
それよりも、なぜ笑顔でバグ報告をしてくるのか。
何が楽しいんだ。まったく楽しくないぞ、こっちは。
俺は【黒田コウタ】。
それなりに大きな会社でゲームのプログラマーをしている。
もう長い間在籍しているので、なし崩し的にリードプログラマーという立ち位置にいるが俺には過ぎた地位だと思う。
まあ本音は責任範囲が大きすぎて嫌というのが大半を占めている。
今、俺たちが作っているのは【ファントムリコード】というゲームだ。
操作キャラクターの容姿をプレイヤー自身で変更できて、剣と魔法の世界で冒険していくというテンプレなオンラインゲーム。
だが、世界最大規模オンラインゲームと銘を打っているだけあって、見渡せないほど広がるワールドにNPCも多数。
開発途中であるが、既に装備やアイテムは開発者である俺でも数え切れないほどある。
要素が多くなると初見のプレイヤーにはウケが悪いが、収集が好きな人や探索が好きな人なんかはおそらくハマるだろう。
それに、このゲームは前作から二作目。つまりナンバリングタイトルで前作のプレイヤー層も確保できるという期待もある。
しかし、要素が多いのにも問題もある。
数が多くなれば、バグが生まれやすい。
同じ種類の機能ならば共通化させていて、一つを直せば他にも反映されて同じように直るはずなのだが例外というものが存在する。
今回のバグ報告内容も、その例外のようだ。
「NPCのバグですね。ユニちゃんが指定位置から移動してるやつです」
「それ前に直したと思うんですけど……座標データが間違ってるとかでは無いんですね?」
「はい、他のNPCを同じ場所に置いてみると問題ありませんでした。ユニちゃん特有のバグみたいです」
【ユニ】とは、プレイヤーが必ず初めて合うNPCだ。
この世界の説明や操作方法などを教えてくれる、チュートリアルのためのキャラである。
このNPCも先述した通り、他のNPCと共通化されていて出現する場所や話す内容などはデータを入れれば指定場所へ配置されて指定した会話をするはずなのだが、バグっているらしい。
それにしてもおかしい。
今回と同じバグをつい数日前に直したはずだ。
ついでに、これと同じようなバグ報告はこれで四回目だ。
今回は移動しているという内容だが、ゲーム上から消えていたり他のNPCと位置が入れ替わっていたりと、まるで本当のプレイヤーのように移動してるバグがユニには多く発生している。
俺もプログラマーをやって十数年。
そう何度も同じようなバグが発生するようなことはしてないという自信はある。
普通なら絶対にバグが起きないとは言い切れないが何度も手を加えてデバッグもしているユニはそうそうバグが起きないと思ってた。
しかし、そんな希望も儚く砕け、バグが発生中である。
「もう、ユニのバグについては理解不能ですね……。時間はかかりそうですが、とりあえず調査しておきます」
「よろしくお願いします」
調査しておくと言ったは良いが憂鬱過ぎる。バグが発生するような所は全て潰したので、もう手の打ちようが無い。
ただでさえ限界近いというのに追い打ちをかけられたような気分だ。
俺は疲れた目を指でほぐしながら他のタスクを片付けつつ、ユニのバグを調べていくことにした。
◇◇◇
「お先に失礼します」
「お疲れ様です」
「おつかれー」
もう定時か。いや、定時から一時間以上も過ぎてる。
俺ほどではないが他の人もある程度忙しいのだろう。
それにしても優先度の高いタスクはいくつか片付いたが、やはりユニのバグの原因がさっぱりわからない。
そのおかげで今日予定していた細々とした作業が消化しきれていない。
今日こそは帰ろうと思っていたが、この分だと厳しそうだ。
帰れないとわかった途端、やる気が失せてきた。
会社に残っている人もほぼいなくなってきたし、一旦仮眠を取った方が良いかもしれない。体質上、深夜のほうが作業効率もあがるだろう。
この会社はそれなりに大きな会社ということあってか仮眠室が設けられている。
さほど大きくなく数も少ないが一人分の個人スペースがいくつかあり、その一つ一つにゆったりと身体を預けられるリラックスチェアと薄い毛布が備わっている。
他に人がいると思ったが個室のドアが開いているのを見ると、どうやら俺だけのようだ。
いいな、お前らは帰ることができて……とは思わない様にしよう。
人がいないってことは静かに仮眠ができるってことだ。
そうだ、俺だけが自由に使える空間なんだ。ここは俺だけの部屋だ。
そんな虚勢を張りながら、俺は残った仕事を忘れて眠りについた。
◆◆◆
俺はゲームクリエイターという職業柄、ファンタジーな世界観はよく知っているつもりだ。
自分の身長の倍以上は大きい剣を振り回す剣士。
骨董品のような古びた銃で的確に的を射抜く銃士。
闇に紛れ込み人知れず行動する忍者。
自身の爪や牙を用いて敵をなぎ倒していく獣人。
様々な魔法を巧みに操り敵を殲滅する魔法使い。
多種多彩な者たちが、あちらこちらにいる世界。
そんな世界が目の前にある。
いや、そんな世界に俺は今、立っている。
「寝ぼけているのか……?」
ほんの数分前。ふと気がついたら目の前には、まるで映画のセットのような建物が並んでいた。
建造物には詳しくないが少なくとも現代の日本とは違うということだけはわかる。
言うなればゲームやアニメで言う『はじまりの街』という言葉がピッタリくる場所。
それに建物だけではない。
俺の前には犬耳や猫耳といった獣人というべき特徴をもった人が通り過ぎていく。
身長が俺の腰くらいまでしかない者や見上げるほどの背丈のある者、同じくらいの背格好だが耳が尖っている者も見える。
もちろん、俺と同じただの人間に見える者もいる。
一言で言い表すなら、ここは異世界。
アニメやゲームのように異世界召喚でもされたかと思ったが違うと言い切れる。
なぜなら、この世界を俺はよく知っている。
そう、この世界の名は『ファントムリコード』。
俺たちが作っているゲームの世界だ。