第6話 へぼ長官のくせに
夕方の勤めを終えると、私は居室へ戻った。
着替えるのも面倒で、どっと疲れを覚えた身体を寝台に横たえた。
この日も街へ出かけていたのだが、突風でフードがまくられて慌てた。
しかもそれをまさかのヘボ長官に目撃されるとは、痛恨のミスだ。
軟派で遊び人のだらしない男という噂だが、念のため急いで戻ってきて良かった。
思ったよりもディーンという男は勘の働く男のようだ。
しばらくは自重したほうが良いのかもしれない。
私はしばらく様子を見ることにした。
だがディーンは、特に変わった様子を見せなかった。
あの日、何かに気づいたのかも知れないが、気のせいだと思ってくれたのかもしれない。
一月後、私はまたあの家に行った。
そして何事もなくまた日々は過ぎていく。
そんなある日も、街に繰り出して、流行のジェラートを一つ味わうと、籠を手に市場へ目ぼしいものを物色に行く。
アーデルベルトは初夏に入り、直に暑い夏を迎えようとしていた。
その前に、彼らに夏服をそろえてやりたい。
以前に、あの家に住む男達に金を渡して、子供達に服を揃えてくれるように頼んだ。
大雑把な男達は、長く着られるからと随分と大きな服ばかり買ってきた。
大きすぎる服を床に擦らしながら歩く彼らを見て、私はもう彼らに頼むまいと諦めた。
彼らの顔を一人ひとり思い浮かべて、服を選んでいると、いつの間にか籠が一つから二つに増えて持つのも大変になってしまった。
「お嬢ちゃん、そんなにいっぱい買って持って帰れるのかい?」
会計を済ませると、店主に声をかけられた。
心配されるのも、同情されるのも嫌いだ。
「余計なお世話よ、ほっといてちょうだい。こう見えても……」
「俺が持つ」
ぬっと浅黒い筋肉質の腕が伸びてきて、さっと二つの籠を片手にまとめて持ってしまった。
しかも気がつかないうちに、男は互いの服が触れ合うほど近くにいた。
私はフードの下で時が止まったように動きを止めて、息を呑んだ。
短く放たれた声は、すぐに誰か特定できなかったが、知らない声ではなかった。
あの家に住む男達の中の誰かであれば、礼一つで任せるられるのだが、その声は……。
「お嬢ちゃん、家はどこだ?」
ヘボ長官、ディーンっ!
なんでこいつがっ?
二度目の声でやっと気がついて、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
一瞬籠を諦めて、走って逃げようかとも考えたが、相手は騎士だ。
しかも神官長に抜擢され、腕は一流と噂される男だ。
この距離で逃げ切れるとは思えない。
下手に動けば余計に怪しまれるだけだ。
せっかく整えた緩みきった監視が強められては、元も子もない。
神殿から抜け出せなくなることだけは避けたい。
落ち着いて、きっと誤魔化せる。
私は自分を懸命に鼓舞した。
「……スラム街の近くよ」
「こんだけ買える金持ちそうなお嬢様にしては、えらく物騒な場所に住んでんな」
「あなたには関係ないわ」
「まあな。そんで、この大量の服は兄弟かなんかか? お嬢が着るには小さそうだしな」
関係ないって言ってるのに。
神殿ではいつもあっさり引き下がるくせに。
盛大に溜息をついて嫌味の一つでも投げてやりたいところだが、私はぐっと堪えた。
厄介なことになったもんだ。
無視を決め込むと、しばらくは黙ってついてきていたが、その距離がどうにも近い。
離れようとしてもすぐ隣に並んで歩こうとしてくる。
「私に近づかないで」
「そんなこと言われてもな。君、足が速いから遅れて歩いたら見失いそうになる」
長身でしかも鍛え上げた大の男がなにを言っているのか。
速いといっても所詮こちらは背の低い子供だ。
足の長さが違うだろうがっ。
「だからって引っ付かないで」
「せっかく知り合ったのに、少しぐらい話そうとか思わないのか?」
なんであんたなんかとっ!
我慢ならず、足を止めると振り返って両手を差し出した。
「もういい、自分で持つから返して」
ディーンは籠を高く持ち上げてしまう。
「名前、教えてよ。君、可愛いからまた会いたいな」
籠を返せって言ってんのに、ふざけた男ね。
そんなに女の人と遊びたいなら、私なんかにかまってないで他所へ行きなさいよっ。
私はあんたなんかに、付き合ってる暇なんてないんだからっ。
思いっきり足を踏んでやろうとして、スッとかわされる。
ついムキになって二度三度と踏み込んだ。
ふわりと視界が明るくなった。
被っていたフードがまくれ上がったことに、気づいたときにはもう遅かった。
振り仰ぐと、黒に近い暗褐色の双眸が静かに見下ろしていた。
「なんで、あなたがこんなとこにいらっしゃるんですかね?」
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