第5話 黙ってりゃ可愛いのに
数日後の休暇。
俺はいつものように都をぶらついた。
「あれ、兄貴?」
前から歩いてきた平服姿で、剣を携えた男に声をかけられた。
見れば弟だ。
「グレイグか、なんだ、お前も休みか」
「ああ、そうだよ。で、今日はこれからどこで女の子を漁る気なの?」
「うるせぇよ。人を女の尻ばっか追っかけてるみたいに言うんじゃねぇ」
「だってそうじゃん」
「んなこたあるか」
「ふぅん、じゃあ、たまには一緒にメシどうよ?」
「いいけど」
「やったぁ」
「……メシ代驕らせようって魂胆か?」
「いいじゃん。神官の方が給料良いんだし」
「ちっ、要領のいいやつめ。たまには驕ってやるか」
「あざぁすっ」
三つ年の離れた弟も今は俺が元いた騎士団に席を置く立派な騎士だ。
まあ、俺より腕は落ちるが。
肉を食わせろと食べ盛りが言うもんで、安い食堂でガッツリ食わせてやることにした。
焼肉やらシチューやらこいつの好物で四人席のテーブルが瞬く間に埋め尽くされていく。
俺はそれを見ただけで腹いっぱいになった。
近頃一人で鍛えても、以前に比べ、体力の消耗が少なく、食欲が随分と落ちた。この店の名物料理とパンで充分だ。
「そんなに食って腹壊すなよ」
「大丈夫だよ、これぐらい」
「……お前、部隊にはついていけてるのか?」
「問題ない。楽しくて休みなんて要らないぐらいだよ」
「羨ましい限りだ。こっちは退屈で死にそうだ。で、何か任務はやったのか?」
「この間から盗賊団の討伐にあたってる。最近急激に組織が大きくなってる一団を追ってる。『怪盗ガーディアン』らしきやつも見つけたよ。捕まえようと思ったけど逃がした」
「ああ、街でもその噂ばかり聞こえてくるな。今朝もまた、盗み返したそうじゃないか」
「みたいだね。討伐に当たってる騎士団ですら、やつらの居場所をまだ見つけられてないってのに。一体どうやって探し当ててるんだか」
「そいつ、盗賊団を渡り歩いてるんじゃねぇの?」
「考えられなくもないけど……そんなに何回もやってたら、さすがに顔が割れるだろうし、そんなやつ仲間に入れるとも思えないな」
「訳のわからんやつがいるもんだ」
「やつじゃない。やつらだよ」
「俺にはどっちでもいい」
「他人事だな」
「なに言ってんだ。だいたい問題はそっちじゃねぇだろうが」
「ま、そうなんだけど。捕まえられたら、盗賊団のアジト捜しの手がかりが、掴めるかもしれないだろう?」
「はあ? んなやつに頼ってどうすんだ? お前にはプライドってもんがねぇのかよ?」
「ふっ」
真顔の俺に弟が鼻で笑う。
「真面目だな。それぐらい女の子にもちゃんとしてあげればいいのに」
「なんでここで女の話が出てくるんだ」
「よく言うよ。兄さんが遊ぶだけ遊んで、その後ほったらかしにするから、ご婦人方が僕のところに苦情を言いに来るんだ。言いたくもなるよ」
俺は頭痛を覚えて盛大に溜息を付く。
「適当にあしらってりゃそのうち諦めるさ」
「だからって、なんで僕がそんな役割引き受けなきゃなんないの? 大体、こんな男の何がいいんだろうな?」
「強いからだろう?」
俺よりも美男子はいくらでもいる。
けどこの国の女は、強い男に惹かれやすく、宮廷の文官よりも圧倒的に騎士の方がモテる。
その為、騎士になりたがる男は多く、独身率も低い。
今度は弟が呆れた顔で溜息をつき、話を戻す。
「はいはい、そうですね。……ま、兄さんが言うことは最もだけど、いつまでも出し抜かれてたんじゃ、騎士団だって格好つかないだろう」
「まあな。……で、その捕獲作戦とやらは上手くいきそうなのか?」
俺にはどうでもいいんだが、たまにはと思い、弟の話を聞いてやることにした。
促された弟が、よくぞきいてくれたっ! とでも言いたげに笑う。
「まあね。一味の中に捕まえられそうなのがいたんだよ。アレはきっと女の子だ」
「はぁ? なわけあるかっ。俺らにもできんことをやって退けてんだ。そんな足引くやつが混ざってるわけねぇだろうが」
「だから、俺は見たって言ってんでしょ? 暗くて顔は見てないけど、小柄で細身だったんだ」
「バカかお前は。それだけで女で、しかも子供と決め付けるやつがあるか」
弟がやれやれと盛大な溜息をついて、止まっていた手を動かして食事を続ける。
「見たの俺だけだったし、上官にも同じこと言われたよ」
未経験の新人が、思い込みで決め付けることは良くある。
そんな戯言誰が信じるかよ。
俺はコップを手に水を飲む。
何気に眼を向けた店の窓ガラスの向こう側、俺の目は一人の少女を捉えた。
少女は雑踏の中を灰色のフードを目深に被って、足早に歩いていた。
突風が吹いたらしく、被っていたフードが煽られて、中から見事な金髪が溢れ出た。
驚いて振り返った顔は美しく、その瞳は緑色だった。
「兄貴?」
俺は無意識の内に、勢いよく立ち上がっていた。
倒れた椅子がガタンと床に転がる。
「悪い、俺行くわ」
「え? 急になに?」
札を掴んでテーブルに置くと、俺は戸惑う弟を無視して店を出た。
今しがた店の外にいた少女を俺は捜した。
見間違いであって欲しいという願いを込めて。
だが、どこをどう行ったのか、少女を見つけることは出来なかった。
きっと人違いだ。そうに決まってる。
世の中には自分と似たような顔の人間が三人はいるものだ。
一瞬しか見ていない。
良く似た顔の少女だったに違いない。
そうは思うものの、一度気になると落ち着かない。
街をぶらつく気分はすっかり削がれて、俺は神殿に戻った。
検討をつけて上階の回廊に向かう。
そこには、緩やかな風に、癖のある長くたっぷりと質量のあるブロンドの少女がいた。
純白の法服に身を包み、首から下げた黄水晶が、僅かに膨らむ幼い胸の間で光を反射して輝いている。
両手を広げ、目の前のそれを見つめていた。
そこには、地中から天を穿つ柱のごとく高く聳える黄金の水晶があった。
通称『アーディクリスタル』。
かつて水と緑に覆われていた世界は、気候変動で水や緑が枯れて砂嵐が吹き荒れるようになった。そんな中、俺達が住むアーデルベルト王国は、クリスタルに秘められた不可思議な力で、砂嵐から人々の暮らしを守るために結界が張られて築かれた。
そのヴァンドを管理する役目を担っているのが、クリスタルの力を引き出すことのできるガーディアンなのだ。
つまり、俺が今仕えている主人だ。
俺は神官長でありながら、特に彼女から嫌われているので、不用意に近づかず、様子も時折見る程度に留めていた。
だが俺は、そんなことを気にとめる余裕もなく、改めて巫女をまじまじと眺めた。
夕日の中で風に吹かれながらも堂々と佇む姿は、一点の穢れもなく、その清らかな美しさに、俺は目が離せなくなった。
小さな横顔が振り返る。
嫌悪に歪み、鋭い目で睨まれた。
「気持ち悪い。じろじろ見ないで」
これだよ。
俺の心を抉るような鋭い一撃。
巫女は神殿の主だ。
傲慢でも構わないが、もう少し可愛げというものがあれば、従いやすいというものを。
「申し訳ありません」
口さえ開かなければ文句のつけようもないんだがな。
平謝りをして、すごすごと引き下がる。
「着替えもなさらず、なにかあったんですか、長官殿」
物陰で恐らく本を読んでいたのだろう。
部下が手にした書籍を閉じて、任務中の不謹慎も隠さず、悪びれた様子も見せない。
己も含め危機感も緊張感もあったものではない。
「いや、なんでもない。着替えてくるよ」
「いえ、そういう意味では。休暇なのですから、お部屋でゆっくりされてはいかがですか」
「いや、やはり着替えてくる」
巫女様はいつもと変わらないご様子だ。
だがなんだ、この妙なわだかまりは……。
忘れかけていた緊張感が戻ってくる。
騎士としての直感が、何かを俺に訴えていた。