第11話 か弱いだけのお姫様と思いたい
「……でさ、俺、昨日もまた見つけたんだよね」
調度俺も腹が減ってきたんで、前と同じ安い食堂へ入ることにした。
どうでもいい弟の話を聞き流し、俺は店内の窓からガラス越しに外の往来を眺めた。
「怪盗なんちゃらか。お前のことだ、どうせまた逃がしたんだろうよ」
「まあね、けど右腕に傷を負わせた。痛がる声は、やっぱり女の子の声だったよ」
「またか、あのなあ、男だって声の高いやつはいるんだ。変声期前もそうだし、宦官じゃあ珍しくもないことだ。って、報告した上官にも言われなかったか?」
「いや、さすがに俺もそれは考えたよ。また信じてもらえないだろうと思ってやめといた。捕まえたわけでもないしね」
「懸命だな。てか、そんなに捕まえたけりゃ、盗賊団は他の連中に任せて、強盗に遭った貴族の屋敷を張り込んだらいいんじゃねぇの?」
「行動パターンからしてそれが一番なんだけど……」
「なんだ?」
「それをすると真っ先に被害者から苦情の嵐が来るんだよ。せっかく盗まれたものを返そうってのに、お縄にしたんじゃ返ってくるものも返ってこなくなるってね」
「確かに」
「都民を味方に、今朝はついに怪盗ガーディアンの捕獲禁止令が出されたよ」
「は? やつらも立派な犯罪者じゃねぇか、それを見逃すってのか」
「俺もそうは思うけどさ、一部の貴族が猛反対してる。『騎士団よりもよほど優秀で礼儀正しい』とさ。確かに、やつらは盗まれたものに一切手を出さずに、そっくりそのまま返しに来る礼儀正しい怪盗だ。今のところそれ以外の犯罪履歴もないからね。おかげで俺達の体面は丸潰れ、お偉方もご立腹だよ」
「……そりゃ、そうなるわな」
散々愚痴を聞かされた後で、弟と別れると、俺は市場と例の屋敷を一通り確めてから神殿へ戻った。
何事もなければそれでいい。
お仕着せに着替えると、夕刻の勤めに入る巫女様の様子を見に行く。
お付の部下らは、近くの物陰でボードゲームに興じている。
長官たる俺が何も言わないんで平然と続けている。
俺は物陰から、クリスタルに向かう巫女様をそっと眺めた。
何度見ても、やはり美少女だ。
年月を追うほどにその美しさが増すのかと思うと、今後も傍で仕える身としては楽しみだ。
不意に、強風が吹いて右袖がまくれ、白い腕が見えた。
巫女様は、まくれる袖をすぐに下ろしたが、俺はその下に巻かれた白い布を見逃さなかった。
勤めを終えると、巫女様は疲れた表情で静かに回廊から出てきた。
ボードゲームに興じる神官らはそれに気づいていない。
物陰に控えていた俺は、部下にそれを教えてやらず、そっと巫女様の後をつけた。
向かったのは人気のない庭先。
彼女は俺につけられていることには気づいておらず、お付の神官が追ってきていないことを確め、木の裏へ回った。
「ふうっ」
一人になれたとでも思ったのか、木の根に座り込むと、大きな溜息をついた。
右腕を見下ろし、自らの左手で袖をまくった。その下には、包帯が巻かれた細い腕があった。
「その怪我はどうなさったんです?」
「きゃっ」
いきなり声をかけられた巫女様は、飛び上がって目を丸くした。
慌てて袖を下ろして、もう片手で自分の腕を押さえた。
「な、なぜ、あなたがここに? 今日は休みじゃなかったの?」
「あなた様にお仕えしたく、先ほど返上いたしました」
巫女様は俺を警戒して睨んでくる。
「忠誠心の欠片もないくせに」
彼女は神官たちを見ていないようで実によく見ている。だからこそ、巧みに俺達の目を欺く事ができるんだ。
俺のことも分かってらっしゃる。図星をつかれて苦笑が漏れそうになるのを堪え、真面目腐った顔で嘘をつく。
「そんなこと、ありませんよ」
俺は彼女の前で傅き、身体を折りたたむように上体を倒すと、巫女様の長い上衣の裾を摘まんで、忠誠を示す口づけを落とす。
「ディーン長官、何のつもり?」
俺の手から、巫女様は上衣の裾を抜き取った。
真っ直ぐに俺を凝視する目は、全くと言っていいほど俺を信じていなかった。
手強い方だ。だが、そう簡単に俺も引けないんでね。
「つれないことを、秘密を共有する仲ではありませんか」
見るからに不快げに柳眉が歪む。
「この傷は、今朝、庭を散策しているときに木の枝で切ったものよ」
「ではその傷口をお見せ頂けますか?」
「あなた、私の肌を見るつもり?」
清廉潔白の守護者は、世話係りの宦官以外には肌を見せてはならない。
俺はそれを承知していたが、腕ぐらいなら見せてもらえるかもしれないと考えてのことだ。
「なるほど、そうきますか」
あなたの仰る通りなのだろう。
だが、残念だ。ここで素直に傷口を見せてくれていれば、俺はあなたの言葉をそのまま信じられただろう。
昼間会った弟の話が脳裏を過ぎる。
『……右腕を切りつけてやった。痛がる声は、やっぱり女の子の声だったよ』
スラム街近くにある屋敷。そこに住む体格の良い連中。
多すぎる保育料。
塞ぐことのできない抜け道。
疲労の見える顔。
二つの点を繋げたいわけじゃないが、こうも胡散臭くては疑いたくもなる。
たかが十二で、そんな細っこくて、一人じゃ何もできやしないくせに。
こんなお姫様が……あるわけがない。
「わかりました。しかし、ここで寛がれるならご自分の部屋へお戻りください。夏が近いとはいえ、お体に障ります」
「ええ、そうするわ」
俺は黙って彼女の後姿を眺めながら、部屋まで送り届けた。