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Mira

作者: ちゅんちゅん丸


「お前らはもう最高学年なんだし、もう少し自覚を――」


担任の、注意なんてする気のない建前だけの戯言を聞き流しながら、僕は梅雨前の曇天を窓越しに見る。東京の町並みは汚れていて、土砂降りの雨が都心の汚れを落としてくれないものか、なんて考えが浮かんでは消え、僕の心を曇らせた。


「いいか。今年は大学受験だ。今日は昼に下校するんだし、勉強するんだぞ。受験は団体戦だからな。」


いつまでもこんな暗い思考を繰り返してはいけない、なんて思い頭を切り替えるも、すぐに担任の出した話題に脳は拒否反応を起こす。結局心に影がさしたまま、学級委員の号令が教室に響いた。


「おい、帰りカラオケ寄ろーぜ。」


ホームルームが終わり、下校の時間になると、クラスでも中心的な立ち位置の男が誘いに来た。第二ボタンまで開けたカッターシャツは、彼のキャラクターが故許されている。僕みたいな中途半端なキャラクターでは、変に目立つだけで終わるだろう。


「ごめんな。今日は家で勉強だ。」


「うっわぁ…真面目じゃん…」


「お前もちょっとは勉強しろよな」


「へいへーい」


意識の低い奴だ。こんなのがクラスでもリーダー的存在なんて、どんな環境なんだ。


「ってかさ、お前って国公立受けるんだよな?」


「ん?おう。それがどうした?」


彼が僕の志望校を覚えている事実に少し驚いた。


「そっか。頑張れよ!」


「――っ。おう」


返事するや、足早に教室を去り生徒玄関を出た。

断った理由は、本当にそれだけだった。ただ、あいつが人の応援ができるやつだと分かったのが嫌だった。あいつが善人のはずがない。このクラスに人間ができているやつなんているわけない。だってそうだろう。




梅雨前のジメジメした道玄坂を歩く。まだ日中ということもあり、蒸し暑い。ジャケットを脱ぎ、適当に鞄に突っ込む。そして、先ほどの会話を思い出しながら僕は、淀んだ思考の海に潜った。


僕は中学時代、クラスの中心にいた。ただなんとなく、そのほうが良い、という理由だったが、自分にはその地位に立てるだけの素養があった。地頭が良く、人の求めている会話、その時の雰囲気、盛り上がるためのキャラクター、それらをなんとなく掴んでその通り振る舞っていると、自然と周りの人間は自分との関わりを深めた。

なんとなくの成り行きで、当時関わる機会の多かった、そこそこ顔の良い女とも付き合った。その時その時で相手の求めているセリフを求めている表情で吐いた。

あのときの自分は、青春を過ごしていたのだろう。青春なんて使い古された言葉で自身の過去を形容するのは癪だが。

しかし僕は、バランスを間違えた。3年生の末期まで、友達や彼女と遊びあかし、毎日のようにボウリングやカラオケに入り浸った。深夜帰りも多くなったが、両親は僕の頭が良いことを知っていたためか、あまり口出しはしなかった。そんな生活が続くとどうなるか、誰にだって分かるだろう。

僕は志望校に設定していた高偏差値の私立高に余裕で落ち、滑り止めの公立高に行かざるを得なくなった。当然両親は僕に激怒し、僕に向けられる目は期待から失望へと変わった。勝手に期待しておいてなんなんだ。僕にどうしてほしいんだ。


「もうすぐ梅雨かぁ…」


進学した公立高は、お世辞にも良い学校とは言えなかった。そんな環境に置かれて、学力は、生徒の人間の質にも影響しているのでは、という考えが芽生えるのに、さほど時間はかからなかった。思考が浅く、幼稚な人間の中で生活していると、中心に立とう、なんて考えは浮かばなかった。かといって誰とも関わらないとしんどいので、ほどほどに権力のあるやつらに絡み、クラス全員に、なんとなくいい奴、くらいの印象は抱かれるくらいのほどにはカーストの上に立ち続け、2年が経った。僕が被っているのは、「優等生」の仮面ではなく「なんとなくいい人」の仮面だった。


「えっお前それはエグいって!」


「北セン普通にうざいよな〜」


「あの女子スカート短くね?」


「なんか最近うちの高校で行方不明者出たってよー」


「おもろいことないかな〜」


「うちのココアバリ可愛くね?」


「なんか元彼が――」


帰路。下校中の生徒の話が耳に入ってくる。性欲しか頭に無い猿のような男子生徒や、承認欲求が前に出過ぎている女子生徒など、有象無象が通り過ぎていく。どいつもこいつも、やはり幼稚で低能だ、なんて罵倒が浮かんだとき、教室で話しかけてきたあいつの顔がよぎった。


――なんでだよ

あいつらは、いつでも馬鹿みたいに騒いで、受験勉強もしないでカラオケに行って、意識も低くて、そんなやつらが僕より優れているわけがない。僕より良質で、充実した人生を送れるはずがない。それなのに、なんで。あいつらは幼稚なくせに、なんであんな気を遣うような事ができるんだ、なんで学園祭とか、行事になったらあんなに楽しそうにみんなで取り組めるんだ、

――なんであいつらは、僕より幼稚なくせに僕にできないようなことができるんだ。


「…はぁ…」


あいつらより自分の方が人間として上のはずなんだ。変に期待して子供にプレッシャーをかける親なんかよりよっぽど自分のほうができた人間なんだ。そんな自己暗示と葛藤の繰り返し。繰り返し。路上に落ちている吐瀉物を跨ぎ、重い足を動かす。

親は僕が今度こそ有名大学に進学することを期待している。

クラスのやつらと遊び明かすなんてことはないので、勉強はしている。勉強をするポーズを、かろうじてとっている。


「やっぱしんどいな…」



クラスメイトと関わらないわけではなく、勉強しないわけでもなく、学校を楽しむことなんて無いが堕落できるほど肝はすわっていない。バランスを取ろうと思い過ごしていたのに、今は全てが中途半端に感じ、自分という存在自体が霞んでくる。

生への執着だって、とうに捨てた。でも、死ぬのは少しだけ気が引けた。家族、友達、学校、勉強、都会、期待、嫉妬、葛藤。自分を取り巻く全ての事象を、投げ出したかった。ただこの環境を、今の自分を、捨て去りたかった。


「…誰か、僕を連れ去ってくれ」


そんな、ジレンマで雁字搦めの独り言が自然と溢れた。








気分が沈んでいても、それは受験勉強を怠る理由にはならない。僕は学校から区立の図書館へ来ていた。いつものように使い込んた参考書を開き、いつ買ったのかもわからないシャーペンを片手に握る。大学なんて行きたくないが、親がそれを許さない。失望を塗り替えないといけない。だから勉強をする。それだけだった。


「適当に夕方まで勉強するか。」


親はまだ家には帰っていないだろうが、あまり遅くなると心配、というより友達と遊び明かしているのでは?と嫌疑の目を向けられてしまうため、勉強もほどほどにして帰ろう。




「permanently…… なんだっけこれ…?」


1時間ほど勉強したところで苦手な英語に詰まり、集中が切れた。いつになっても単語が出てこないのはどうしてだろう。


「はぁ…。なんかどうでもよくなるな。」


行くかも分からない大学のために勉強して、なんの意義があるのだろう。気色の悪いほどに不透明で不安定な未来のために努力して、実るのは黒い果実だけだ。

どれだけ文句を言っても環境は変わってくれないので、仕方なく勉強を続ける。気分転換に、と思い席を立ち、本棚の方へと歩いた。前髪をかき上げて本を探す。勉強の少しの逃げ道になる本なら何でも良かった。

スポーツ紙のコーナーを見終わり、別のコーナーへ移ろうかと思っていると、ふと、横に並んでいたオカルトのコーナーにある赤い背表紙に目がいった。手にとって見てみると、それはありがちな、都市伝説をまとめた本だった。


【✡スピリチュアル✡ 異星への行き方】


なんと胡散臭いタイトルだろうか。表紙には、謎のサングラスをかけた禿頭の老人と、宇宙や銀河といった画像が散りばめられている。誰が信じるんだよ、と鼻で笑うも、勉強の息抜きにはちょうどいいと思い、読んでみることにした。

自分の席に戻り、早速表紙をめくった。目次を見ても、よくわからなかったので、素直に1ページ目から読み進めることにした。そこには、異星やパラレルワールドの説明、そしてそこへの行き方がそれぞれまとめてあった。なにやらエレベーターを使ったやり方や、紙に書くやり方など色々あったが、異星へ行くための方法も記してあった。


【異星への行き方】

新月の夜、深夜3時に、東経136度7分35,95秒、北緯36度14分15,96秒の場所、「東尋坊」の海と異星が繋がります。東尋坊が自殺の有名スポットですので、人々の魂が海に灯り、空間の歪みが起こるのです。普段は矮小な歪みですが、月のない新月の夜になると、月のマイナスエネルギーが消失し、時空間の乱れが大きくなり、日本で唯一の転移スポットとなり得るのです。上記の条件下で東尋坊の崖から海へ飛び込むことで、宇宙の彼方にある異星へと転移します。この場合、酸素や水分などの条件は、行き先に適応できるように設定されてから転移することが可能です。転移先の星は、地球と少し似た環境にあります。


僕は缶コーヒーをすすりながら本を読んでいった。もちろん信用なんて一ミリもしていない。崖から海に飛び込むなんて自殺となんら変わりないだろう。悪趣味な本だ。だんだんこんな本を読んでいる自分が憐れに思い、僕は本を開いたまま仮眠を取ることにした。机に突っ伏して目を瞑り、ゆっくりゆっくり微睡みに飲まれていく。そういえば今日は新月だったな、なんて考えながら僕は、コーヒーのように濁った意識を手放した。


――――――――――――――――――――――――――


「………んんっ……」


街灯。道路。ベンチ。花壇。夕日。


「……は?」


目をこすりながら、視界に入るものを情報として脳に伝達し、その違和感に気づいた。


「なんで外…?」


僕は、なぜか外のベンチに座っていた。眼前には公園があったが、時間帯が時間帯なので人気は無かった。

僕は疑念と焦燥に駆られ、なんとか状況を把握しようとする。


「おっ、やっと起きた?」


「っ!?」


突然目の前に逆さの顔が映る。急いで振り返るとそこには女性の姿があった。


「いやぁぁー びっくりさせてごめんね?」


歳は高校生くらいだろうか。スッキリしつつどこか可愛さを残した、驚くほど整った容姿。肩ほどの長さで、内巻きにしてある今まで見たことがないほど綺麗な銀髪。白を基調とした、だぼっとしたジャケット。全てが他の人とは一線を画した印象を植え付けてくるが、なによりも特徴的なのは、二重まぶたに覆われた、赤い瞳だった。心臓がうるさい。こいつはなんなんだ。この胸の衝動はなんなんだ。


「なにー? そんなぼけーって顔して」


僕の中の本能は、こいつに警鐘を鳴らしていた。しかし、その赤い瞳が僕を掴んで離さない。こいつを、知りたいと思ってしまう。願ってしまう。危険な魅力に、苛まれてしまう。


「…あんたは誰だ」


「私の名前は、地球標準言語でいうと『ミラ』。」


何かが


何かが、僕の心で蠢いた


「私はね、宇宙人なんだ」


この出逢いが、僕をどこか遠くへ連れ去ってくれるような気がした。






「宇宙人って…は?」 


「そーそー、宇宙人。異星人って捉え方もできるよね。」


「……そんな宇宙人がなんで僕を図書館からベンチに連れ出したんだ?まずまず、どうやって?」


「ん?普通におんぶして運んだんだよ?」


「恥ずかしすぎる」


見知らぬ宇宙人におんぶされて、民間人に変な目で見られている僕の姿が容易に想像でき、顔が赤くなる。


「というか宇宙人なら…なんかこう人の1人くらいワープさせられないのかよ…」


「いや、普通に考えて無理でしょ。私は別に念力で物を動かしたりなんてできっこないし、UFOなんて乗ったこともないよ。できるのは人の感情を読み取ることくらい。地球人のそうやって宇宙人だからって何でもかんでも憶測をこじつけるとこ、好きじゃないよ。」


「なんなんだよお前…」


「へへっ」


ひとまず、悪意はなさそうだ。僕の中の勝手なイメージだと、宇宙人はもっと人間とかけ離れた容姿をしているのだが。ミラと名乗ったその宇宙人は、自分と同い年の女の子にしか見えない。しかし、その色彩と美貌だけが、明らかに他の一般人とはかけ離れていた。その異質感が、僕に何かを訴えかけていた。


「ミラ…だったか。もう一つの質問に答えろ」


「えー、なんだっけ?」


「なんで、僕を外に連れ出した?」


気になっていた質問を繰り返す。なぜこの自称宇宙人は僕を外に連れ出したんだ。殺すのが目的ならもう僕は死んでいるはずだ。


「それはね、君を私の故郷の星に連れて行くためだよ。」


「…なぜ?どうやって?」


「君は自分を外の世界に、ここではないどこかに連れ出して欲しいと願っている。違う?」


「そ、そうだ…こんな環境に疲れたんだ。」


「方法は簡単だよ。新月の今日、東尋坊の海に飛び込むの。」


「――っ! ほっ、本当なのかよ!」


「うん。詳しい原理は私にもよく分からないけど、それが唯一、この地球と私の星を移動できる手段だよ。私は君を連れて自分の星に帰る。君はいま、宇宙の彼方への片道切符を手にしてんだ。素晴らしい話じゃない?」


一瞬理解が遅れた。まさかあの胡散臭い本に書いてあることは本当だったのか?いやまず、この女が宇宙人である確証は?

疑問が疑問を呼び、頭の中を錯綜している。思考をフル回転させて1つ1つ解決していかなければならないはずなのに、目の前の宇宙人の赤い瞳が脳を釘付けにして離さない。


「さ、立って。」


「ぅわっ!」


急にベンチに着いていた手を引っ張られた。ミラの手は、驚くほどに冷たかった。


「新幹線で東尋坊まで行こう。」


「は?いやまだ聞きたいこととが…」


「いいから、東京駅行くよ。君、名前は?」


「名前?僕は…」


「…あぁー、やっぱりいいよ。地球人なんてみんなおんなじようなもんだからね。」


さっきの微妙な間は何だったんだ。というかなんで僕を連れて行くんだ。混乱したまま、手を引かれて道路に出る。


「お前はなんで僕を連れて行くんだ?急に連れ出して宇宙がどうとかって、お前どうかしてるぞ。」


「町ですれ違いざまに君が、『連れ去ってくれ』って言ってるのが聞こえたから、ちょうどいいかなって」


「…通りすがりで聞こえてたのか…。」 


「だから私は、地球人くん。君を宇宙の彼方に連れて行く。」


ミラは振り返り、微笑んだ。


「私は悪い宇宙人なんだぜ?」


――息を呑んだ。沈みかけの夕日の光が、ミラの赤い瞳に反射する。揺れる銀髪の一本一本が。繋いでいる手の冷たさが。彼女のどこまでも妖しく美しい笑顔が。全てが僕の理性を揺らし、胸を焦がす。気づけば、今日の日まてずっと抱えていた中途半端な破滅願望が、異星転移なんてなんの根拠もない手段に縋りついていた。


「…ははっ」


乾いた笑いが漏れた。どこかで僕を守っていた、縛っていた大切な糸が切れた。


「東尋坊まで行くなら、東海道新幹線だな。」


きっと僕も、どうかしていた。









「じゃあこれから、東海道新幹線で米原?ってとこまで行ってから北陸線に乗り換えて、芦原温泉で降りるってことだね」


「そうだな。芦原温泉の宿に適当に泊まって、3時になったら東尋坊まで歩いて行こう。」


新幹線で横に座りながら、ミラと計画を建てる。

あの後、2人で東京駅まで行き、そそくさと新幹線に乗った。ミラは、駅に来るのが初めてだったようで少し混乱していたが、宇宙の彼方に駅なんてあるはずがないので、仕方ないのだろう。新幹線の中は流石に広く、自由席のエリアでも設備がとても充実していた。落ち着いた色調の座席に2人で腰掛け、話を続ける。


東尋坊は福井県坂井市にある。このまま行けば、着くのは22~23時頃だろう。あと数時間でこの惑星とおさらばできると思うと、高揚感と先の見えない少しの不安感が混ざり複雑な気持ちになる。


「ねえ、君。なにか地球の遊びを教えてよ。」 


「なんで?」


「だって暇でしょ?」


「まぁ、それもそうだな。」


しかし、何をすればいいのだろう。頭の引き出しを開けて探る。


「じゃあ、あっちむいてホイなんてどうだ?」


「なにそれ?ルール教えてよ。」


「お互い、グー、チョキ、パーの中ならどれか1つ選んで、まず勝敗をつけるんだ。グーはチョキに、チョキはパーに、パーはグーにそれぞれ強いんだ。同じ手だったらもう一回な。そしてそのあと、勝ったほうが指を出して上、下、右、左のどれかを指して、それと同時に負けた方がどれかの方角に首を傾ける。もし2人の方向が一致したら、指で指している方の勝ちで、これを一致するまで繰り返すんだ。」


「おっけ。なんとなくわかったよ。じゃあやってみよう。」


「「最初はグー、じゃんけんぽん」」


僕がパーで、ミラがチョキだった。


「よし行くよ。あっちむいてー」


「ほい」


ミラが指したのは下、僕が向いたのも下だった。


「まじか…」


まさか一瞬で宇宙人に負けるとは。落ち込んでいると、耳にひんやりとした感触が当たった。


「じゃあ、罰ゲームね」


「なっ!?」


ミラは急に、僕の耳を甘噛みしてきた。突然の出来事に、思わず声が出そうになる。


「おい、聞いてないぞ!」


「へへ、宇宙人の洗礼ってやつだよ。」


「っ!」


どうやら彼女は本当に宇宙人らしい。赤い瞳と魔性の性格、そしてどこまでも深い思想が、彼女を宇宙人たらしめている。


「それにしても、君は随分転移に乗り気だね」


「まぁ…な。どこか遠くに行けて、今の環境を全て投げ出せるなら願ったり叶ったりだ。」


「それはそれは」


もういいんだ。僕は疲れた。宇宙人に連れ去られて宇宙まで行けるなら、この上ない展開だろう。これから始まるのは、そんな逃避行の路なんだ。


「ところで、僕を連れて行ってどうするんだ?」


ミラを見る限り、今から行く星は地球と身体的特徴がそこまで変わらないのだろうか。


「あぁーそれね。じゃあ私の星について語ろうか。」


ミラは、自分の星について話した。


「あっちには、広い森と広い海、たくさんの自然があるんだ。地球みたいにビル街なんてないし、会社とか学校とかもない。でも文明は、そこそこ発展してるから困ることは少ないと思うよ。言語はもちろん地球と違うから、今は地球標準語に変換する宇宙人の能力を使ってるんだけどね。面積は地球の1,5倍くらいかな。」


「そしてあっちでは、差別がない。人それぞれの違いを気にしない文化だから、多数派や少数派なんて概念が存在しないの。」


どこか儚さを帯びた声色で、ミラは語る。 


「地球では、茶色のウサギのなかに一匹だけ、白くて目が赤いウサギがいると、その子は他のウサギに仲間外れにされる。そうして群れから追い出されたウサギは、住む場所も食料もなくなって死んでいく。そんな悲劇とも呼べない事象は、私の星では起こらない。誰も迫害なんて受けない。色が違うなんて理由で仲間外れにするウサギは、私の星にはいない。」


それからも、ミラは自分の星のことについて語った。なんでもあちらの世界には喋る花や歌う鳥など、童話に出てくるような面白い生物なたくさんいるらしい。なんとも楽しそうだ。その世界は、地球とは比べ物にならないほど平和で、温和で、快適そうだった。縋りたくなるような、甘い甘い世界。しかし、そんな話の中でも、少しの違和感を感じた。それは、とても微細で弱々しく、でも確かに漏れ出たような、そんな違和感だった。


「ずいぶんといい星なんだな。」


「でしょ?地球みたいに汚れていない、素敵な星だよ。」


喉の奥につっかえた小骨を無視し、話を続ける。

ミラは外見に違わず、幼さと達観した大人っぽさの混在した不思議な印象だった。このアンバランスさは、彼女が宇宙人だからなのか、別の理由があるからなのか、それは分からない。分からないことだらけだ。


「私はその星でずっと独りだった。寂しかったから、地球の人を連れてきて、一緒にただ過ごそうと思ったんだ。それで地球に来てすぐ、すれ違いざまに君の独り言を聞いたんだよ。」


ミラは僕を一緒に生活するパートナーとしてご所望のようだ。嬉しい話だ。

こうして話している間も新幹線はどんどん進む。窓から見える景色はまだまだビルばかりで、自然の緑が入り込む余地なんてどこにもなかった。


「さぁ、次は君の番だ。君はなんで、今を投げ出したいの?その破滅願望の根底にあるものは何?」


「――僕は全てが中途半端なんだ。過去に一度失敗して、そこから立て直そうと思ったけど、だめだった。僕はただ充実した人生を送りたいだけなのに、そのゴールにたどり着く道がどこにも繋がっていないんだ。絶対に途中で崩れるような道を渡るのが怖いから、全部を中途半端に進んでいる。勉強も友達も進学も就職も、親の期待も失望も全部が全部中途半端で、その全てが嫌になったんだ。だから逃げる、だから投げ出す。それだけだ。」


やはり身の上を話すのは精神にくる。ミラとの出逢いで浮き立っていた心が、急にまた地に落ちたような、そんな感覚だった。一通り話し終え、目頭に手を当てていると、ミラの手が僕のもう片方の手に重なった。


「わかる。君はきっと根は真面目なんだね。真面目で、努力家で、ただ、努力する方向が分からなくて、自分を見失いそうになってしまう。先の見えない道を怖がって、違う道を進んだり、また別の道を選んだり。そんなのの繰り返しが、中途半端な寄り道の連続が余計に君自身の存在を霧の中に閉じ込めて、それがどうしようもなく怖いから、一般論でのいい人を演じ続けて、他人からの評価で自分を形成しようとしたんだよね。ある意味依存対象だった他者が、歳とともに入れ替わって、それで混乱して、他者の求める自分の在り方がわからなくなったんだよね。」


すとん、と心の中で何かが落ちる音がした。彼女の言葉が、これまで言語化できなかったものに形を与えて、自分を俯瞰で見ているような感覚を覚えた。重ねた手は、冷たかった。僕の瞳に反射する彼女の瞳は、僕を慈しむように見つめていた。どこまでも妖しく赤色に綺羅めくそれに、僕はどこまでも魅了される。呼吸を1つ置く。彼女に、呑まれそうになる。


「君の気持ちなんてすぐ分かるよ。だって私、宇宙人だもん。」


そういって彼女は微笑む。やはり彼女は他の一般人と決定的に一線を画している。僕の中の疑念が、1つ確信に変わった。この圧倒的な魅力の前で、僕の嫌疑なんて無意味だと知った。魔性の魅力、なんて地球の言葉では表しきれない笑顔が、そこにあった。


それからも、僕たちは新幹線の中で話をした。主に僕のことについてだが、その話の中で彼女は何度も核心を突くような反応をした。アンバランスな見た目から発される、どこか達観したような台詞に僕は吸い込まれ、ミラは本当に宇宙人なのか、なんて疑念は消し飛んでいた。これまでに、僕自身が他人にここまでのめり込んだことがあったろうか。両親への執着なんてとっくに捨てた。中学のときの彼女なんて、顔さえ覚えていない。一緒に遊び明かした友達も、今の高校の友達も、全員が端役に、有象無象に思えるくらい、ミラの存在は果てしなく大きかった。流れ行く窓の景色は次第に緑が多くなり、彼女に侵食される僕の心のようで滑稽だった。恋愛感情なんて一過性のものではなく、永続的に彼女の魅力に取り憑かれていくような感覚があった。もし僕が彼女の魅了の能力のようなものにかけられて、狂わされていたとしても、それはそれで構わない。そう思えるほどに、僕は彼女の虜で、彼女はどこまでも宇宙人だった。




米原駅に着き、新幹線を降りる。次に北陸線の電車が来るまで少し時間があるので、2人で休憩を取ることにした。ミラは相変わらず駅には慣れていないが、車両から降りるときや切符の買い方など、すこしずつ慣れてきたのか、スムーズに進む場面も少しあった。

僕は、ベンチに座っている彼女のために自販機を探し、缶コーヒーを買った。これから宇宙へ行く、とわかっていると金遣いが粗くなるものだ。電車賃も、一文無しのくせに自分の分は自分で払う、なんて反抗するミラをおさえて、2人分僕が払った。


「はい。」


「ん。ありがとう。」


足を組んで座る彼女に缶コーヒーを渡し、時計を確認する。時間にほまだ少しだけ余裕があるので、次に乗る電車が到着するまで一息付こう。


「どうだ?」


「んー… あまり美味しくはないね。苦いし。」


どうやら地球のコーヒーは宇宙人の口には合わなかったらしい。

僕も缶コーヒーをすすりながら、今後の予定を考える。

時刻は19時。駅のホームから空を見上げると、夕日の色がまだ尾を引いていた。


「この後、電車で芦原温泉まで行く。宿はもう僕がとろう。」


ミラは地球に来て全然時間が経っていないようなので、宿のとり方なんて分からないだろう。今までの会話の中でも、地球の、都会の常識がよくわかっていないようなことを言っていた。宇宙人に地球の常識なんてわかるはずがないだろう。きっと僕だってよくわかっていない。


「なんか…お腹が空かないな…」


もうすぐここを経つことを意識しているからだろうか。普段からあまり量を食べるタイプではないが、今日は食欲が湧いてこなかった。駅弁なんて食べないままここについてしまった。


「私はお腹空かないんだ。食べ物を食べる必要がないからね」


「さすが宇宙人だな。」


そんな会話をしていると、駅のアナウンスが聞こえてきた。


「行こっか」 


「そうだな」


片方の手に異星への片道切符を握りしめ、もう片方の手で宇宙人の手を掴んだ。





北陸線に乗り換え、電車に揺られながら目的地を目指す。外はもう暗くなり、先ほどとはうって変わり、外は自然や田畑が多くなった。電車内も新幹線にくらべると質素な内装で、僕はこちらの方が落ち着いていて好きだった。ここからはもう乗り換えはないし、到着まであと2時間、といったところだった。


「北陸なんて、家族旅行だな。」


「来たことあるの?」


「あぁ。富山にな。そういえば、あっちの星には家族っていう概念はあるのか?」


「家族?そんなのないよ。」


「そうなのか。そういえばミラは一人ぼっちだったって言っていたな。」


「うん。あっちに家族なんて概念は存在しない。それに、家族なんて必要ないじゃん」


ミラの表情が、一瞬だけ曇った。笑ってはいる。なのに、前までの不敵な笑みではなく、どこか儚さを纏ったような、そんな笑みだった。喉の奥の小骨が、また存在感を訴えだした。


少しずつ、少しずう電車は進んでいく。今夜は月がないので、あたりを照らすのは街灯の光だけだった。電車が駅に止まるたび、早く進んでくれ、と焦燥感に駆られる。暗い夜道を、度々止まりながら、それでも目指すところへ進んで行く電車と自分を重ねると、なぜかひどく感傷的になった。

隣に座るミラの表情は、ずっと変わらない。その深奥にあるものは僕には分からないが、ただひたすらにその佇まいは毅然としていて、僕はそれを美しいと感じた。それだけで、十分だった。


「――お降りのお客様は―」

電車が出発してから何度目かの停車。車内にアナウンスが響くたび、早くしろ、早くしろ、急かすように願ってしまう僕がいた。

入口からは、見たところ大学生ほどの男4人が煙草をふかしながら入ってきた。


「…ん?」


「どうしたの?」


男4人の内2人が、電車の前方に座っているアフリカ系と見られる外国人の真裏に座った。残り2人はその横だ。この時間帯にこの電車に乗る人は限られているため、車内は空いているのだが、なぜわざわざその席に座るのか、と疑問に思っていると、前方から声が聞こえた。


「おい、お前黒人の隣座りにいけよ。」


「えっまじで?行こ行こ行こ行こ」


「こいつガチかよ!」


「エグいエグい!」


そして騒ぎながら裏に座っていた内の1人が、前の外国人の隣に無言で座りにいった。外国人は少し戸惑っていたが、関わりたくなかったのか何も言わなかった。しかし、大学生はその後も外国人にちょっかいをかけ続けた。裏から叩いたり、としょうもない嫌がらせが続き、外国人も苛立っているのがわかった。止めに入ろうかと思ったが、横に宇宙人ごいる以上目立った行動はできないし、僕の心はもうここには無かったので、傍観することにした。しばらくそんなノリが続いたあと、裏に座っている男がおもむろにスマホを構えて動画を撮り出すと、


「へい!あ〜、Are you BLACKMAN?」


「こいつエグい!」


「やばっ!」


明確な悪意を持った差別発言に、とうとう外国人が大きな声で反応した。何語なのかわからなかったか、怒り心頭なのは誰が見ても分かった。大学生達も一瞬驚いていたが、すぐに言い返した。


「黒人のくせに何調子乗ってんだよ!出しゃばんなや!」


「やばっ!ガチ喧嘩始まったって!おもろ。」


前方の言い争いは次第にヒートアップし、とうとう外国人の方が大学生の1人に掴みかかった。駆けつけた駅員が複数人で押さえ付け、なんとか場は収まった。


「最低だな。」


目の前で起こったことに、いつもならもう少し思うところはあったが、今はあまり感情が動くことは無かった。目を細めて駅員から説教を受けている大学生を見たあと、ミラの方を向く。


「……っ!うっうぅ……っ」


彼女は、手で頭を覆い、蹲るようにして呻いていた。


「どうした!?ミラ!」


「くぅっ…。だ、大丈夫だよ…。」


「大丈夫なことあるか!」


「ほんとに大丈夫だから。心配しないで…」


「…う、そうか…」


ミラはどうしたんだ。思考を巡らせ、原因を探るも、何も分からなかった。第一僕は彼女のことを何も知らない。ただ、先程のミラが、PTSDの中学の頃の友達と重なったように見えた。しかし、ミラのことを何もしらない僕には、それ以上分からなかった。

しばらく経つと、何事もなかったかのようにミラは僕に話しかけてきた。先ほどと変わらない声色で、表情で。触れられたくないのだなと思い、僕も変わらないテンションで接する。結局、芦原温泉に着くまでは何事もなかった。ミラが取り乱した、という事実とこれまで感じつづけてきた違和感は、完成したのにピースが余ったジグソーパズルのように、ミラ、という宇宙人の印象から独立して存在感を訴えていた。





「夜風が気持ちいいね。」


「そうだな」


僕達は電車を降り、条件の時間まで過ごす宿に移動する。

駅の構内から外に出ると、東京とは似ても似つかない緑の多い土地が広がっていた。坂井市は、あまり栄えているとは言えないところだが、ビルや家と自然との調和がとれており、都会に住む人の考える、理想の田舎を体現したような町だった。川に橋がかかり、その周りで稲が夜風に揺れる光景は、どこか琴線にふれるものがあり、地球生活最後の地にはちょうどいい。


「ところで、なんで深夜3時じゃないとだめなんだ?」


「なんかあっちとこっちの時間軸が交差するーみたいな感じだった気がする。」


「適当だな。」


「そうかな?」


そんな他愛もない会話をしながら歩みを進める。月のない夜に、ミラの赤い瞳がよく映えた。





10分ほど歩き、ホテルに着いた。ホテルは、新幹線に乗っている間にスマホで予約しておいた。東尋坊というスポット自体そこまで観光客か来るわけではないので、ホテルもすんなりと予約が取れた。もう宇宙の彼方まで行くと決めたので、金額は気にせず一番東尋坊に近いホテルをとった。


「中々綺麗だね」


「ほんとだ」


そのホテルは、和と洋が入り混じったおしゃれなところで、外にはちょっとした庭園や噴水などがあった。ロビーでさっさとチェックインを済ませて、自分の部屋に入る。部屋はなかなかに広く、豪華なアメニティや和室のような装飾など、端々に意識の高さが伺えた。このホテルで寝ることはないので、ベッドはシングルの部屋を予約した。


「あと3時間くらいだな。」


「今の心境は?」


「なんだか、心地よい高揚感だ。もう学校にも行かなくていいし、親にとやかく言われることもない。開放を約束された奴隷のような気持ちかな。」


「…そっか。」


あと3時間でこの地を離れられる。それは僕にとっての救済で、願いだった。


『ブー ブー』


「ん?」


鞄の中から音がしたので見てみると、自分のスマホが鳴っている事に気づいた。スマホには、親や友達からの不在着信やメッセージが溜まっていた。


『今どこにいるの?みんな心配しているよ。』


『ごめんなさい。私達がプレッシャーになっていたのね。』


『あなたの好きなように生きていいから。お願い。戻ってきて。』


『あなただけが私達の願いなの。』


『おい、家に帰ってないんだって?』


『家出なんてお前らしくもないぞ!一緒に学園祭やろーぜ!』


『どうしたの?』


『大丈夫?』


――今さらなんなんだよ。分かった気になって。


「どうしたの?」


ベッドで隣に座っていたミラが、赤い瞳を覗かせて問いかけてくる。


「…いや、なんでもない。家族とか友達から連絡が来てただけだ。」


「…そっか。」


僕を苦しめたのはあいつらのはずなのに、なんで急に心配してくるんだ。これ以上僕の進む道を止めないでくれ。決断を、道の行き方を、生き方を縛らないでくれ。

大丈夫。決心は揺らがない。あいつらなんかより僕はミラを選ぶ。勝手に願いを押し付けて、自己中心的な言い草だと自分で気付かないのか。


「ねえ、君。君はあっちでなにがしたい?」


「ミラと過ごせればなんでもいいかな。そこまで文明が発展してるわけではないんだろ?だったらミラとずっと話しておくよ」


「なに?愛の告白?」


「…捉え方は自由にしろ」


「ふふっ。そっか。」


窓から月のない暗夜を眺めて、地球最後の時間に浸る。ミラとの蜜月とも呼べる時間に、浸る。夕方よりも、彼女は笑うことが多くなった。その裏に何があるのかは、分からなかった。


「楽しみだなぁ…」


「…そっか。」


まだスマホが鳴っている。うるさいので電源を消そうとしてスマホを起動すると、ホーム画面の通知で、母からのメッセージが新たに一件、表示されていた。


『戻ってきて。今まで本当にごめんなさい。私はあなたに幸せになってほしい。』


「…チッ。」


舌打ちが漏れる。勝手に期待しておいて、依存対象がいなくなったとたんに態度が変わっていることに苛立ちを禁じ得ない。しかし、なぜだろう。気づけば僕は、ベッドのシーツを無意識に握りしめていた。


「君はきっとあっちでも大丈夫だよ。」


「…なぁ…ミラ。」


「何?」


「あっちの星から地球には、戻れるんだよな?」


「…っ…」


「ミラもそうやって地球に来てるんだし」


「…なんで戻るの?」


「僕は親も友達も大嫌いだ。…でも、卒業式とか、親の死に目にくらいは立ち会っとくのも、ありかな…って。」


勝手にいなくなって、死に目にだけ出てきたら親は怒るだろうか。でも、それぐらいはしておかないと、なんだか夢見が悪いような、そんな気がした。


「…戻れるよ。うん。」


ミラは、今まで見たことがない笑みを浮かべていた。否、笑みとは呼べなかった。それほどまでに儚く、泣きたくなるような表情をしていた。僕はミラじゃないから、彼女の感情は読み取れない。ただ、隠しきれていない、漏れ出した感情を推察する。それは、諦念と自戒、そして少しの羨望だった。


「…ねえ。あのウサギの話覚えてる?」


「あ、ああ。」


「君はさ、群れを追い出されたウサギはどう生きるのが正解だと思う?」


赤い目がこちらを向く。


「…ウサギが群れを追い出されたのは、可哀想だけど仕方無い、のかもしれないって思う。どれだけ他のウサギに、ただみんなと違うだけで追い出すのはやめようって説得しても、きっと分かってもらえない。違いが怖い他のウサギは、不安分子を排除したい、という思考回路だ。そいつらにとって白いウサギは、きっと違う星から来た宇宙人なんだ。

でもその色が違うウサギは、他と違う何かを持っていると思う。ハンデを背負って生まれて、他とは違う暮らしを送ってきたウサギは、きっと他にないような価値観だったり、魅力を持っているはずだ。だから、その良さに気づく他の動物に出会えたら、きっとそのウサギは安心して楽しく生きていけるんじゃないか。」


思ったことをそのまま話した。ミラはまた、笑った。その笑顔は、さっきよりもずっと悲しい笑顔だった。


「…よし、お風呂に入ろう。身を清めてから転移しないと。」


「そんなのあるのか?」


「まぁ、気分的に、だよ。」


そういってミラは先に、部屋な付いている風呂に入った。





「あぁー気持ちよかった。お風呂の設備の使い方はよく分からなかったけど。」


ミラは水でびしゃびしゃのまま上がってきた。乾かしてから、なんて宇宙人に言っても仕方ないか、と思い、ドライヤーをかけてやることにした。


「おぉー。乾いていくね。」



「そうだな。」


ミラの銀髪を、綺麗に乾かしてやる。髪は驚くほどツヤがあり、目を奪われるような美しさだった。


「…ん?」


髪を乾かしていると、ミラの首筋に何か跡があることに気づいた。赤黒い痣のような、痛ましい跡だった。


「なぁ、これ…」


「さぁ、次は君の番だよ。綺麗に洗ってきな。」


「あ、あぁ…」


問おうと思ったが、彼女の勧めの言葉によってそれはかき消された。後ろ髪を引かれながらも、僕は風呂へと向かった。






風呂から上がり、部屋に戻るとミラがワインの瓶を2つ持って立っていた。


「どうしたんだ?それ?」


「買ってきたんだよ。一緒に飲もう?」


「いや未成年飲酒…まぁいいか。」


そうして再びベッドに並んで座り、適当にルームサービスを頼んで3時を待つことにした。窓を開けているので夜風が入ってきて、とても心地よかった。


「地球で最後の1時間だな。」


そんなことを思っていると、なぜだか酒を飲む気になれなかった。夕方の高揚感は少し薄れ、今は寂寥感が心の片隅に潜んでいた。この感情がどこから来たものなのかは、分からなかった。



それから、月のない空を2人で眺めて、無言の数十分が経った。人間と2人で無言で過ごせ、となるととうしても気まずくなるのだが、ミラと2人なら、そんな感情は湧いてこなかった。この出逢いを噛みしめるような、静かで濃密な時間が流れる。たった半日の出来事のはずなのに、もう今はこのときが人生の大半に思えた。


「ねえ、君。」


「なんだ?」


「あっちには家族なんてないし、友達なんてものもないよ。完全に孤立した世界。そこで君は私と2人だ。それで大丈夫?」


「なに言ってるんだ。ミラと2人ならそれでいい。それに、寂しくなったら一度地球に帰ればいいだろ?いきなり戻ってきて、話すのは無理でも、遠目で見たり、適当に遊びに行くことくらいはできるだろ。」


「確かに…そうだね。」


彼女はまた、あの笑みを浮かべた。


「ミラ。お前さっきからおかしいぞ、どうした?」


さっきもそうだ。帰れるか聞いたときも、ウサギの話のときも。なんだお前はそんな顔するんだ。


「何があるのか?あともうすぐで転移の時間だ。」


「…そうだね。」


「そうだねって…。なんでそんな笑い方をするんだ。不安要素があるのか?…というかなんでお前ワインなんて買え……っ⁉」


口から溢れて出る疑問の数々は、ミラの口により物理的に塞がれた。


「…っ!…ん……」


僕はシングルベッドに押し倒される。彼女の口から、赤色の液体が直接流れてきた。急いで辺りを見ると僕のワインが、栓を開けた状態で転がっていた。


「んっ……」


口移しでアルコールを飲み込み、顔が火照る。


ミラの熱い舌が、アルコールを運びながら僕の歯列をなぞる。前から奥に、ひたすらに求めるように、艶かしく柔らかい感触がうごめく。

目の前には、ミラの顔があった。近くで見るとわかる、肌の白さ。髪の生え際。鼻の高さ。火照った頬。ミラの今まで見えなかった部分が、見えた。馬乗りの状態になり、彼女の銀髪が首筋を撫でる。くすぐったい感触とともに、ベッドが軋む。

僕の首筋を赤色の液体が伝うのも気にせずに、ミラの舌が口腔内をチロチロと這う。

僕も舌を絡ませて、彼女という存在を欲する。直接感じる、ミラの舌の温度、感触、体の柔らかさ、銀髪の感触。艶かしい表情。全てが脳を甘く溶かし、融解する。口をついた疑問はアルコールとともに流された。


「…っはぁ…んぅっ…」


ミラの手が僕の腰に回る。僕も彼女の背に手を回す。鼻息が近い。心臓が重なる。精神も、溶け合う。

この瞬間だけは、人種とか、住んでる場所とか、文明とか、星とか、そんな概念を透過して、ミラと繋がれた気がした。









「涼しいな。」


「そうだね。」


ホテルから出て、東尋坊の崖の上に立つ。立ち入り禁止の柵はまたいできた。夜風がひゅうひゅうと吹き、ミラのジャケットが靡いた。時計を確認すると短針は3を指している。


「…時間になった。ここから飛び降りれば、異星に転移できるんだな。」


「うん。」


いよいよこの星と別れを告げられる。荷物は全てホテルの部屋に置いてきた。家族や友達に別れのメッセージは送らなかった。


「…ふぅーっ…」


星だけが輝く夜空を見上げ、息を吸い、吐く。あの星のどれかに、これから向かう。この決断が、唯一の救いなんた。僕のはミラと一生を過ごし、たまに地球に帰って来る、そんな生活を送るんだ。これが僕の幸せだ。


「…よし。行こう。」


ミラに手を伸ばす。強い風が吹いた。




「…ごめんね。」




「…は?」


ごめんねとはどういう意味だ。なぜだ。涼んだ脳が、理解を拒んでいた。

銀髪が、揺れる。


「半日一緒にいて分かった。」


「君は、未来に希望を持てる人だ。」


「君は、幸福を求めて努力できる人だ。」


「君は、誰かにとっての希望になれる人だ。」


「私が、その証人だ。」


証人?何が?僕はそんなできた人間じゃない。この星に、希望なんて、幸福なんてあるはずがない。


「だから、君はいってはいけない。いくべきではない。」


「……っ!」


刹那、強烈な眠気が襲ってきた。転移の間際での緊張とか、ミラの発言に対する動揺とか、そんなレベルでは片付けられない睡魔が、脳に直接干渉し、思考が追いつかなくなる。


「お前…ワインに…っ!」


何か薬を盛られた。だめだ、まだ、、


「なんで…なんでな…んだ…」


今まで感じてきた違和感、点だったそれらが線で結ばれ、一つの形を帯びる。異星転移、あの本、図書館、仮眠、出逢い、家族、友達、PTSD,諦念、自戒、羨望、首の痣、ワイン、ネズミ、異星と地球、白と赤


「お前は…なん……なんだ…ミ…ラ…」


倒れ込む僕を、白い腕が正面から支える。

赤色の光が妖しく光る。


「言ったでしょ?」


目の前の宇宙人は、少女は、壊れそうなほど儚く微笑んだ




「私は悪い宇宙人なんだぜ」




――――――――――――――――――――――――――



目が覚めると、ホテルのベッドの上にいた。

部屋に彼女の姿はなく、そこにはワインの瓶が一本だけ転がっていた。

ロビーで、同行者は先に帰ったと説明し、料金を払いホテルを後にした。


外に出ると、小雨が降っていた。梅雨独特の湿った匂いが鼻腔を満たし、今が6月中旬であることを思い出す。

傘なんて持っていないので、そのまま歩みを進める。

立ち入り禁止の柵を越え、転ばないように注意しながら目的地へと向かう。


東尋坊の崖に、彼女はいなかった。

波が崖を打つ音だけが響いていた。

彼女との半日を、最後の会話を想起する。

あの後彼女はどこへ行ったんだろう。どうなったんだろう。


彼女がいた証は、もうどこにも残っていなかった。

彼女の存在が嘘だったかのように。


スマホの電源を付けると、昨夜確認したのよりもさらに追加で親や友達からのメッセージが届いていた。

緑のアイコンの上に赤く囲まれた数字は三桁に達していた。


トーク画面をスクロールし、親から来た最後のメッセージに『今から帰る。』とだけ返信し、スマホをポケットに入れる。


昨夜のワインの影響か、痛みを主張する頭を無視し、昨日の旅を、順番を反対にしてやり直す。


一緒に歩いた道路。一緒に渡った橋。一緒に乗った電車。一緒に飲んだ缶コーヒー。一緒に見た景色。

どこを探しても、彼女はいない。たしかに存在したはずの彼女の影を探し、歩く、歩く。


小雨が止む気配はなく、東京の町を等しく湿らせる。

僕は彼女と出会ったベンチに座り、目を瞑る。彼女を、懐う。


2人の最後の瞬間。彼女の壊れそうなほど儚い笑顔が、頭に焼きついてずっと離れなかった。











































































読んでいただき、ありがとうございました。拙い部分が多かったと思いますので、是非コメントでご指摘、感想の方を書いていただけると、作者の励みになります。この作品が少しでも読者の方々の娯楽となれば幸いです。

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