主人としもべ
エイラを引き連れたアルがやってきたのは、エリアス特級大監獄から然程離れていない場所にある小屋だった。小屋といっても、人が住める状態ではない。二人も入れば身動きが取れないほど小さく、突風でも吹けば崩れ落ちてしまいそうなほどだ。小屋というよりは……物置に近いだろう。
「さあ、今日からここが君の家だよ」
「……聞き間違いか?」
着いてきたのは間違いだったかと、過去の自分の判断を責めるエイラを他所に、アルは小屋の扉に手をかけた。開かれた扉の先には、外観からは想像もできないほど広い室内が広がっていた。
思わず、言葉に詰まるエイラ。何度か外に出ては、外観と内装とを見比べ、瞬きを繰り返している。
「これは……これも魔女の力か?」
「そう。『魔法』ってやつだよ。人間が使う『魔術』の原点となったものだね」
魔術。それは、遥か昔、絶対的な力を持つ魔女に対抗する手段として、人間たちが編み出した奇跡の力。現実を上書きして超常的な力を行使する魔女の『魔法』を模倣したもので、現代に於いても人々の生活の根幹となっているものだ。
その原点となった、魔法と呼ばれる力。一説によれば、魔法で不可能なことはないだとか、神にも等しい力だとか。
遠慮なく室内に踏み入るアルに倣って、エイラもその後を追った。人一人で暮らすには持て余すほど広い室内は、様々な生活用品で散らかっている。
「随分と散らかっているな」
「片付けって苦手でね……魔法でやるとやり過ぎちゃうから、そのままにしておくことが多いんだよ」
アルの言葉に、エイラは疑問を覚えた。それではまるで、彼女自身がこの家に住んでいるかのような。
「……まさか、お前の家か?」
「そうだよ? エイラ、君は今日から私と暮らすんだ」
「初耳だが……」
「初めて話したからね。色々と話しておきたいことはあるけど……その前に、その喉を治しちゃおうか」
『その辺に座ってて』と言い残して奥に消えたアルを見送り、エイラは身近にあった椅子に座る。それから待つこと数分。アルは悪臭を放つ妙な液体の入った小瓶を幾つも手に持って、彼のもとへ戻ってきた。
「おい、魔女……まさかとは思うが、それを飲めと言うんじゃないだろうな」
「そのまさかだよ。大丈夫、ちょっと臭いだけだから」
机に置かれた小瓶からは、鼻をつまみたくなるほどの激臭が放たれている。とても人間が飲むためのものだとは思えない。話の流れからして薬なのだろうが、まだ『毒物』や『劇薬』と言われたほうが理解のできるものだ。
エイラは薬とアルの顔とを交互に見て、飲む以外に選択肢がないと判断したのか、比較的臭いの少ない、紫色の液体が入った小瓶に手を伸ばした。
「……ぶぐッ……!」
覚悟を決めて小瓶を傾け、液体を口に含む。次の瞬間、舌の焼けるような感覚と全身を駆け巡る悪寒がエイラを襲った。
これは薬ではない、決して。吐き出そうとして小瓶を口から離すと、それを見計らってか、様子を見守っていたアルが小瓶とエイラの体を押さえた。そこには、絶対に飲み切れという強い意志があった。
意識が遠のきそうになり、永遠とも思える苦痛を感じ始めた頃——エイラはようやく、一本目の薬を飲み終えた。それは、これまで大監獄で受けてきたどんな仕打ちよりも苦しく、辛いものだった。
「……ぐッ、おい、魔女ッ……これは何の真似だッ……!」
「えっとね、それは……栄養薬だね。見るからに顔色が悪かったけど、少し体調が良くなったんじゃない?」
「そんなわけ……」
『ない』、と否定しようとしたエイラは、言葉を詰まらせた。アルの言う通り、今まで感じていた倦怠感や脱力感を感じなくなっていたからである。
まさか、本当にただの薬だったのか。そう思ってアルの顔を見ると、彼女は満面の笑みで残りの小瓶を手にしていた。
「じゃあ、こっちが喉を治す薬で、こっちがお腹の調子を整える薬ね。他にも色々あるけど、今飲んだ薬よりちょっとだけ苦いから、頑張ってね」
「……いや待て。一気に飲むのはどうだろうか。体のためを思えば、少しずつ飲むべきだと思うが」
「そんな悠長なことは言ってられないでしょ。ほら、口開けて。飲ませてあげる」
じりじりと後退するエイラと、薬を持ってにじり寄るアル。結局、彼は薬を全て飲む羽目になり、しばらくは突っ伏して動けなくなってしまった。
——そうして、アルが用意した劇薬のような薬で体調が良くなったエイラは、改めて彼女と相対することになった。
「さて……それじゃあ契約といこうか、エイラ・ベルシュタット」
「……」
手を組み、微笑むアル。エイラは思わず体を強張らせた。目の前にいるのは、不老不死の化け物、魔女。今はまだ協力的であるアルも、ひとたび機嫌を損ねればどうなるかは分からない。そんな懸念が、彼の心をよぎっていた。
「そう強張らなくていい。私は君の人権を尊重するし、決して侵害しない。私のことは、ただの雇い主だと思ってくれていい」
「雇い主、か……」
魔女との契約。実は、それ自体は然程珍しいことでもない。古来より、魔女の力を悪用しようとしてきた者たちは大勢いたのだ。
何せ、相手は絶対的な力を持つ化け物。魔女一人を味方につければ、その者はこの世の支配者ともなれる力を手に入れることになる。
だが、魔女は不老不死という特性故……人間とは価値観が異なる。魔女の力を手に入れようと企み、契約してきた者たちは、例外なく破滅の道を辿ってきた。
エイラの眼前に座る魔女、アル・クォーズはどうなのだろうか。人権を尊重するとは言っているが、魔女は魔女。目的を達した時、エイラの身に破滅が訪れない保証はどこにもない。
(いや……今更、か。破滅というなら、もう既に……)
内心、エイラは自分自身を嘲笑った。失うものは何もないと、ほんの少し前に諭されたばかりだ。魔女と契約した者の身に破滅が訪れるというが、彼は既に破滅している。
「お前の目的は……魔女を一人残らず殺すこと、だったな? 何故そんなことを望む? 仲間だろう?」
「悪いけど、理由はまだ話せない。でもね、君は前提からして間違えているんだよ。そも、魔女に仲間意識なんてものはないのさ」
アルは得意げにそう話すと、じっと、エイラの目を見つめた。
「……私が君に望むことは、君が言っていた通りのことだ。私が魔女を殺すための剣になってほしい」
その言葉に、エイラは息を呑む。エイラの家名、ベルシュタットという名には特別な意味がある。彼らにとって、魔女殺しの剣になれという言葉は、ベルシュタットの血に宿る『特別な力』を要求していることに等しい。
当然、魔女である彼女もその意味は知っているだろう。知っていなければ、エイラを監獄から逃すこともなかったはずだ。
「その代わり、私は君の復讐に協力する。どのみち、全ての魔女を殺すんだ。利害は一致していると思わない?」
「ああ。利害は一致している、な……」
エイラの目的は『銀髪の魔女』を殺すこと。そして、アルの目的は銀髪の魔女を含めた『全ての魔女』を殺すこと。少なくとも、銀髪の魔女を殺すまで二人の目的は一致している。
エイラは、彼を見つめるアルの目を見つめた。嘘を言っている様子はない。だが、悠久の時を生きた魔女ならば、息を吸うように嘘を吐くことも容易だろう。
「……お前は俺に、剣になれと言ったな。それは、その通りだと捉えていいのか?」
「そうだね。そういう意味で言ったんだ」
彼には、アルの行動原理は分からない。同族である魔女を殺し尽くすという彼女の目的も理解できない。
だがしかし、彼女と契約を交わせば、銀髪の魔女を殺すことができる。彼の直感がそう告げていた。
「……いいだろう。俺は銀髪の魔女への復讐の対価として、お前に協力する。全ての魔女を殺すと誓おう」
エイラは少し悩んだ末に、そう答えた。現段階で魔女であるアルのことを信用したわけではない。ただ、銀髪の魔女を殺すためには、同じく魔女である彼女の力と情報が必要だと判断したのだ。
そんな彼の思惑を知ってか知らずか、アルは悪戯心の含まれた笑みを浮かべる。まるで、最高の玩具を手に入れた子供のような笑みだった。
「……いいね。君はとても素直で好感が持てる。そして、目的のためなら天敵である魔女とも手を取り合えるほど、肝が据わってる」
「気に入らないか?」
「まさか。私は君みたいな人間を探してたんだ、エイラ」
そう言ってアルは立ち上がると、エイラの眼前までやってくる。誰に言われるでもなく、彼はアルの前に跪いた。
「契約は成立だ、エイラ・ベルシュタット。君は今この時から、私のしもべ。私のことは主人と呼ぶように」
「承知した。では、主人よ。俺は、何からすればいい?」
にこりと微笑んだアルは、跪くエイラに対して、こう命令を下した。
「……まずは、この家の掃除からだね」
「……承知した」
家財が好き勝手に散らかっている現状を見て、二人は苦笑いを浮かべた。
——かくして、エイラ・ベルシュタットは、幼き魔女アル・クォーズのしもべとなった。魔女に復讐をするため、そして、全ての魔女を殺すため。それぞれの目的のために、主人としもべとして、二人の共同生活が幕を開ける。