安楽椅子探偵はアンラック
「なるほどね……。なんだか面白……じゃなくて、なんだか事件の臭い。ビル。貴方もそう思わない?」
クレイの説明を聞き終え、私は平静を装いながらもそのじつ心を躍らせていた。ギクシャクとした人間関係。正体不明の声。そして、使用人の謎の行動。こういう話を待っていた。私はそばに仕える執事へ同意を求めたのだけれど、不真面目なその男は面倒くさそうに返事をした。
「ソウデスネー。トテモムズカシイジケンダー。コンナノトケルワケナイヨー」
感情の籠もっていない言葉を口から垂れ流しているビルへ窘めるような視線を送る。彼がこんな反応をする時は二つに一つ。厄介ごとから逃げようとしている時か、今まさに厄介ごとを押し付けられた時だ。確かに傍目には学生が不審な行動を取っているだけで、ビルからしたら面白さの欠片もないかもしれない。しかし、こういうちっぽけな事件が得てしてこの学園の闇に迫るような大事件に繋がるものだ。
「ビル」
「嫌です」
「まだ何も言ってないでしょ?」
食い気味に拒否してきたビルに私は少し語気を強めた。しかし、ビルはそんな私に気を使うことなく、小さくため息をついて問いに答える。
「言わなくても分かりますよ。どうせ、この謎を解決する為に調査してくるように命じるつもりなのでしょう? そんな面倒くさいこと嫌に決まってるじゃないですか?」
従者の癖になんて自分勝手な発言なのだろう。普通こういう場面では、畏まりましたと言いながら優しく笑みを浮かべるところなはずだ。もしくは、表情を全く変えずに既に調査済みである事を冷静に報告するとか。それなのに、こんな嫌そうな顔をしながら主人の命令を拒むだなんて執事の風上にもおけない。
即刻解雇処分を言い渡したいところだけれど、そんな権限のない私はこの雇われ執事になんとか言うことを聞かせようと、上目遣いをしながらか細い声を捻り出してお願いする。
「そんなこと言わないで? 私が貴方のことをどれだけ頼りにしているか知ってるでしょ? ねぇ? お願い?」
モブ令嬢とはいえ女の子がこんなに愛らしくお願いをしているのだ。ビルがいくら捻くれていても、テーブルの向こうでデレッとしているクレイのように首を縦に振るはずだ。しかし、私の目の前にいる執事はウンザリとした表情で私のお願いを払いのけるかのように手を動かした。
「そんな媚びたって無駄です。お嬢様がドライな性格をしてるのはこれまでで充分理解してますから。事件に目を輝かせるのは勝手ですけど、やるならお嬢様一人でやってくださいよ。俺を巻き込まないでください」
「道楽で他人の悩みに首を突っ込んでいるみたいな言い方するのはやめて。私はこの学園の平和が乱されるのを防ぎたいだけよ。それに、クレイ様がここまで真剣に相談して下さったのに無下にするなんて出来ないわ」
「アリエス嬢ッ!」
クレイが感極まったかのように腰を浮かせてこちらに身を乗り出してきた。そして、まだ何もしていないというのにテーブルに手をつきながら私に頭を下げて感謝の意を述べている。もし勢いのまま手でも握ってきたら反射的に引っ叩いてしまうところだったけれど、流石にそこまで常識知らずではなかったみたいだ。
一方のビルはというと、胡散臭い人間を見るような目つきで私を見つめている。建前としてそれらしい事を言えたと思ったのだけれど、数ヶ月以上そばにいるビルにはやっぱり通用しなかったようだ。しょうがない。それならより現実的な手を使うだけだ。
「こんなにお願いしているのに分かって貰えないなんて、残念。この事件の謎を調べてくれたら、ご褒美を用意しようと思ったのに」
ビルの表情がわずかに変わる。獲物が餌に食いついた事を確信しながら、私は話を続けた。
「普段から私の為に一生懸命働いてくれているビルを労う意味も込めて、学園に掛け合って休息日を設けてあげようかな、なんて考えていたの。私の世話をしていない時でも先生達から色々と仕事を任されていて、一人でゆっくりする時間もないみたいだし。私一人で事件を調査するとなると先生方へその事を提案しに行く暇もなくなっちゃう。それに、捜査に時間を取られるってことは私の学生としての生活に割く時間が減ってしまって、ビルの仕事を増やすことになるかも。でも、仕方がないよね? ビルが手助けしてくれない以上、私が頑張るしかないもの。あーあ、これから忙しくなりそう。ではクレイ様。早速調査に向かいましょうか? まずは、この謎の中心人物であるノーマンさんのところへ……」
「お待ち下さい、お嬢様。学業だけでも多忙なお嬢様の手をこれ以上煩わせるわけにはいきません。この事件は私が引き受けましょう」
「あら、そう? でも、無理することないのよ? ついさっき、私がお願いしても嫌だと言っていたし……」
「執事である私がお嬢様からの命を本気で拒否するわけないじゃないですか。先程のあれはほんの冗談、ただの戯れですよ」
微笑みながら調子の良い事を言っている。どういう意図で冗談を言ったのかと追求したくなったけれど、せっかく謎解きに協力してくれる気になったのだから止めておくことにした。私はソファの背もたれに体を預けると、偉そうな司令官のようにビルへと指示を出した。
「それじゃあ、ビル。頑張って調査してきてちょうだい。貴方の働きに期待しているわ」
対価の為に駆け足で談話室から出ていくと予想していたのだけれど、ビルはその場から動かなかった。どうしたのかと私が尋ねると、その執事はニヤリと笑いながら口を開いた。
「わざわざ調査しに行く必要はないですよ。俺にはとっくにこの謎が解けてるんでね」
驚いている私とクレイを尻目にビルは話を始めた。
「ノーマンが見せた異常な行動を順に追ってみましょう。まず、周囲に対して当たりが強くなった点について。沸点の低い奴だったらその日のテンションで周りに当たり散らしただけだとも言えますけど、ノーマンが執事として優秀である点を考えるとそうではないでしょう。ここで注目したいのはその対象です。先程のお話ですと男子生徒へ厳しく接していたそうですが、一方で女子生徒への対応はどうでしたか?」
「え? いやぁ、普段通りに見えたけどなぁ……」
ビルからの質問にクレイは腕組みをしながら答える。その解答に満足したようにビルは小さく頷いた。それを見て、私はビルへ問いかける。
「女子生徒への接し方は変わっていなかったってことは、ノーマンさんは男子生徒の誰かに対して何らかの理由で怒っていたの?」
ビルは首を横に振る。
「もしそうなら男子生徒という大きな枠組みではなく、特定の誰かにだけその感情をぶつけるはずです。友人であるクレイ氏だけでなく他の男子生徒へも平等に同じような接し方をしている以上、特定個人への怒りではないでしょう。尤も、ノーマンが過激なフェミニストだったというのなら同性に対して理不尽な憎しみを抱いても不思議じゃありませんが」
そう言ってビルがクレイへと視線を向ける。クレイは腕組みをしたまま首をひねった。クレイから見ても、ノーマンがそのような常軌を逸した思想を持っているとは考えづらいらしい。そもそも、突然態度が急変した上にその一週間後にはまた以前の接し方に戻っているのだから、どんな価値観を持っているにしろそれに言動が支配されたわけではなさそうだ。でも、そうなると一体なぜ急に男子生徒への当たりが強くなったのだろう。
「先程のお嬢様の考え方からその理由を導き出すことは出来ますよ。考え方の方向性を少し変えてやれば良いんです。男子生徒の誰かではなく女子生徒の誰か、怒りではなく好意にね」
「それってつまり……好きな女の子がいて、ライバルになりそうな周りの男子に敵対心を持ったってこと?」
ビルから提供されたヒントから出した答えをそのまま口にする。私の執事は今度は首を縦に動かした。
「行動には原因と目的が伴います。使用人という自制心の強い人物ならなおさらです。ノーマンの行動に対して男子生徒の中からその対象が絞れないのであれば、女子生徒の方にあると考えるのが筋ってもんですよ。実際、そう考えたらその後の行動にも説明がつくでしょう? 明らかに独り言を呟いていたのにそれを隠そうとしたり、急に本を借りて言葉の勉強をしたり。ノーマンは手紙を書いていたんです。何の手紙かって? ラブレターですよ、ラブレター」
ラブレターという単語に胸を高鳴らせると共に、ビルの説明を聞いて妙にスッキリした気持ちになった。元いた世界と違って、今私のいるこの世界ではパソコンやスマホで簡単に下書きをしたり、ネットの辞書であっという間に単語を調べる、なんてことは出来ない。有限の紙を無駄遣いしない為には口で文章を推敲し、ロマンチックな言葉を相手に贈ろうと思ったら恋愛小説や詩集から引用するしかない。ラブレターを書いていた痕跡は他にもある。裏庭での火事騒ぎだ。人知れず処分しようとした、誰に聞かれても答えられない燃えるなにか。好きな人へ向けた手紙の書き損じと考えたらその頑なな態度も納得がいく。
「まさか……ノーマンにそんな相手がいたなんて……」
クレイは友人の知らない一面に驚いているようだ。私は残った謎について尋ねようとしたけれど、ビルはこれで推理は終わりとばかりに手を叩いた。
「ノーマンの奇行についてはしばらくしたら無くなるでしょう。退学云々の前に執事の鑑と呼ばれている人物が主人に迷惑をかけておきながらそれをよしとは思えませんから。ま、暖かく見守ってあげれば良いんじゃないですかね?」
授業終わりに生徒が出ていった教室で自分の荷物を整理しているとビルが逃げるように駆け込んできた。珍しく息切れしている様子が面白くて眺めていると、執事が眉間にシワを寄せながら近づいてきた。
「おいッ! 約束と違うじゃねぇかッ!」
「約束? 何のこと?」
感情的になるあまり敬語が抜けているビルに、私は極めて冷静に言葉を返した。そのやり取りで頭に昇った血が静まったのか、ビルは息を整えて改めて話を始めた。
「先日の件で事件解決の手助けをしたら休息日をくれると約束しましたよね。それなのに休みが出来るどころか教員達が次々に俺に仕事を割り振ろうとしてくるじゃないですか。ちゃんと学園に話を通してくれたんですよね?」
「ビル。貴方、勘違いしてない? 私は事件を調査すればご褒美として休息日の交渉をしてあげると言ったの。でも、あの時貴方は調査をしないでその場で推理を始めて解決してしまったでしょう? 調査をしていないのだから約束は無効じゃない?」
私の返答にビルはまた怒りをあらわにしたが、言い返しても無駄だと察したのか肩を落とした。正直なところ、話自体は学園にした。けれど、ビルの休みを作ってあげてほしいという話がどういうわけか私の世話をする時間を減らして学園の雑務を行うという内容に変わってしまっていた。結果としてビルの負担を増やす事になってしまったのを私は嘘でごまかしたのだった。
「そう言えば、その事件についてさっきクレイさんが来て話を聞かせてくれてね。ほとんど貴方の言う通りだったそうよ? でも、その相手がまさかの人だったの。分かる?」
私は話題を逸しながらビルへ問題を投げかけた。さすがのビルも誰が相手かまでは分からないだろう。仏頂面の執事が難問に悩む姿を見たかったのだけれど、ノータイムで答えが返ってきた。
「主人のメアリー・エドモンド。違いますか?」
「正解。でも、なんで分かったの?」
「火事騒ぎでメアリーから問いただされても答えなかったということは、彼女に言えない相手ということです」
ビルの言う通りで、ボヤの後に教員はおろか主人に対しても正直に話をしなかったのは、その主人が手紙を送っている相手だったからだ。更に言うと、メアリーは送り主がノーマンと知らずに何度も手紙のやり取りをしていた。
ノーマンの話では前々からメアリーに対して淡い恋心を抱いていたらしいのだけれど、ちょうど数ヶ月前にハッキリと恋愛感情を持ってしまったそうだ。仕えている主に恋心を抱くなんて執事失格だと思い、クレイを含め周りの男子学生にメアリーにふさわしい人物がいないか探してみたが、気づけばあら捜しをしてしまってきつい態度が表に出てしまったとのことだ。こうなったら告白して振られるしかないと決意したが執事としての立場も失いたくはない。そこで、架空の人物を作り上げて手紙で告白をする事にしたのだ。
だが、ここで予想外だったのが作り上げた手紙が渾身の出来だったのか、メアリーの琴線に触れて文通を続ける事になってしまった。部屋で独り言を呟いていたのも、図書室で本を借りていたのも、理想の相手を演じるための努力だったというわけだ。
「でも、そのせいで火事騒動を起こしてしまって主人であり愛しているメアリーさんの顔に泥を塗る事になってしまった。ノーマンさん、嘘に耐えられなくなって、つい先日全てを話したらしいの。メアリーさんもまさか告白してきた相手が口下手な自分の使用人だとは思っていなくて驚いたんだって。ただ、自分の事を想う気持ちは嘘じゃないからって言って、文通じゃなくて正式に付き合うことになったみたい」
ロマンチックな結末に私は両手を合わせて喜びを表した。しかし、学生の恋愛話になど興味はないのか、目の前にいる執事はため息にも聞こえる気の抜けた返事を返してきた。ため息をしたいのはこっちの方だ。私の執事がノーマンのような人物ならどれだけ良かったことだろう。まぁ、モブに徹したい私としてはビルのようなテキトウさは助かっているのだけれど。
私は嫌味を交えながら、残った謎を口にした。
「恋した相手の為に隠れて努力出来るなんて、とっても素敵な人よね? すぐにサボりたがるどこかの誰かにも見習ってほしい。ところで、一つ気になっているの。相手にバレずにどうやって手紙のやり取りをしていたのかしら?」
「恐らく別館ですよ。ノーマンに誘われて定期的に別館に行っていると話をしていたでしょう? 別館の人目に触れないところへ書いた手紙を置いて、メアリーが見つけるように差し向けていたんです。周囲の目を避けるカップルばかりなので、手紙が置いてあったとしても余計なことはしないでしょうし、置いてすぐ取りに行かせれば教員に発見される事もないですから。メアリーからの手紙は後で一人で出向いて回収すればいいですしね」
確かに、別館で手紙を交換していたのであれば定期的に行っていた理由にも説明がつく。ノーマンからしてみれば自分が文通相手だと気づかれずに済み、手紙を交換するタイミングでメアリーに別館へ行くように促せば良いのでやり取りのコントロールもしやすいはずだ。今までの話を考慮するとビルの推理はきっと正しいのだろう。
「というか、そこまで分かっているのならなんであの時に全部言ってくれなかったの? もしかして、他人の恋愛だから気を使ったとか?」
私は軽い口調で尋ねた。相手からも当然、そんなわけないだろ、位の答えが返ってくると思ったのだけれど、意外にもビルは言葉に詰まっていた。
「え? もしかして、本当に気を使ったの? 学生の恋愛話なんてつまらないとか言ってたのに?」
「……面白いかどうかとか関係なく、誰かが真剣になっている事を他人が勝手にあれこれ言うべきじゃないでしょ」
恥ずかしくなったのかビルはすぐに顔を逸してしまい、廊下で待っていると言って教室から出ていってしまった。私は自分の執事が見せた真面目な表情と不器用な優しさにちょっとだけ感動し、休息日の交渉をもう一度真剣にしてあげようと決めたのだった。
お読み頂きありがとうございました
これにて完結となります
GW中に終わらせるつもりがいつの間にかGWが終わりになっていました
7日の深夜26時ということでまだギリギリGW判定でお願いします
急いで書き上げたのでところどころ文章がぎこちないかなとも思いますが、それもまたご愛嬌ということで
また機会があれば企画に挑戦したいと思っています
その時にもまたお読みいただけたら幸いです
追記
誤字報告ありがとうございました
訂正しました