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第一章 密告

プロローグ


 前王ヴァリスの死から1年ほど続いた王位継承問題は、王女ユナが王族の籍を自ら抜けたことで王弟ケルスが王として即位し、決着した。

 ケルスが王となった後もしばらく混乱は続いたが、1年もするとケルスの統治が人々の間に浸透し、安定感を持ち始めた。

 そんな国の混乱の中でも、擬似生命体・アクトを全て破壊するという使命を背負わされたアクト排除兵たちは、アルキス王国のどこかにまだ残っているアクトを探し出し処刑するため、日々の業務に追われていた。

 王国歴1227年。

 登録されているアクトは残り2体。それを知っているのは国王ケルスとアクト排除兵の兵士長アディックだけであった。



第一章 密告



 広々とした執務室の中で、アディックは全国各地から寄せられたアクトの目撃情報に目を通していた。

 アディックの元に届く目撃情報は日に10数件程度だが、実際にはもっと多い。各都市に設置されたアクト排除兵の常駐部隊の元に寄せられる情報が精査され、これはというものだけがアディックの元に届く。しかし、そのほとんどは誤情報だった。

 国民に対しても、更にはアクト排除兵に対しても、この世界に残っているアクトが残り2体であるということは知らされていない。アクトの逮捕に関連する懸賞金が年々増加していることから、残りはさほど多くないだろうという推測は出来るが、具体的な数字は秘匿されていた。

 というのも、具体的な数字を公表してしまうと、広く情報が集まりにくくなってしまうからで、わかっている限りのアクトの容姿などが公表されないのも、固定観念を持たれないようにするための配慮だった。

『隣に住んでいる男性が外にも出かけず、10日間近く何も食べていないようです。アクトの可能性があります。』

『いつも店に買い物に来る女性が話しているところを見たことがありません。話せばアクトだとわかっててしまうからだと思います。』

 アディックは目撃情報を眺めながら思わずため息をついた。

 前回アクトを逮捕したのがほんの1ヶ月前ということもあってか、懸賞金目当てでの目撃情報が一気に増えてしまった。精査してこのレベルなのだから、常駐部隊の部下たちの苦労が目に見えてわかった。

 アクトと人の見分け方は刻印のあるなしが最もわかりやすいが、大体の刻印は服の下に隠れてしまうので、人と違う仕草や言葉遣いなどでまずは見分ける必要がある。大半のアクトは話し方に抑揚がないので、それで見分けるのが一番手っ取り早い。他にも、歩き方が規則正しすぎる、姿勢が良すぎる、などがある。

 アディックもこれまでの経験から、ある程度の動きを見れば人なのかアクトなのか区別がつくくらいにはなっていた。アクトを隠す人たちはそれを知っていて、アクトにあえて何も話さないように指示を出していることが多かった。

 アディックがアクト排除兵の兵士長になって10年になる。

 アディックが兵士長の職を引き継いだ時点で残りのアクトの数は100を切っていた。

 前兵士長はアクト排除法施行時に兵士長として任命された元軍幹部の男だった。アクト排除兵は警察の特別組織に位置しており、警察組織内の誰かが兵士長になるものと思われていたが、アクトを残らず破壊するという使命から軍の幹部が任命された。

 アクト排除兵は警察のように逮捕権を持ち、軍のように銃火器を扱い、必要とあらば警察や軍の人員を可能な限り捜索や逮捕に使用できる特権が与えられていたため、長く軍に属し忠誠心の確かな者でなければ務められないということもあった。

 しかし、国民の約10%、総数およそ500万近くになっていた人に近いアクトを破壊し続ける中で、前兵士長の心は壊れてしまった。アクトに愛情を持っていた人々の憎しみの多くは王と兵士長に向けられる。7年で残り100体以下にまでアクトを減らした実績と共に、前兵士長はある日自ら命を絶った。

 その後任に指名されたのがアディックだった。

 当時はまだ32歳で、アクト排除兵として主に公開処刑を担当してはいたが、特権部署のトップになるには若すぎる年齢だった。けれど、前兵士長の遺書の中に、アディックならば最後まで兵士長の任を全うできると書かれていたため、任命されることとなった。

 また、アクト排除兵の兵士長は特権部署のトップではあるが、国民から忌み嫌われる部署でもあり、誰も兵士長になりたがらなかった、という理由もあった。

 前兵士長曰く、アディックは私情と任務をちゃんと切り分けられる人物で、アクトに対して感情移入することもなく、国家に対しても忠実であり、自分の立場をわきまえた上で出しゃばらず、それでいて自分の権限内で最大限努力をする、とのことだったが、さすがにそれは言い過ぎだとアディックは心の中で前兵士長に反論していた。

 自身が次期兵士長として指名され、他に誰も手を挙げないのならやるしかないと思っただけだった。

 アクトに対して思い入れは全くなかった。人に近い姿形をしてはいるが、人ではないと認識すれば処刑することにためらいはなかった。前兵士長も部下たちも、そんなアディックのようにキッチリとした線引きが出来ないとアディック自身わかっていたので、アクトの公開処刑は本来兵士長が出る幕ではないのだが、兵士長となった後もアディックが引き続き担当することとなった。

 そのため、命を狙われたことも1度や2度ではなかったが、国としてもアディックが失われることを恐れて強固な身辺警護兵をつけていたので、暗殺などが成功することはなかった。

『よく花を買いに来る女性がいつも筆談なので、アクトだと隠している可能性があると思います。』

『ふくらはぎに丸い痣のある男性を見ました。アクトの刻印ではないでしょうか。』

 引き続きアクトの目撃情報を確認する中で、アディックは思わず苦笑した。

 この世界からアクトの数が激減し、関連書物が一掃されて17年も経過すると人々の記憶も曖昧になってくる。アクトの刻印は人間の心臓の位置辺りにある核からそう遠くない位置に印されるものが多い。刻印から核に向けて起動情報が送られ、核と刻印が切り離されるとアクトの活動が停止してしまうため、なるべく核と近しい上半身のどこかにアクトの刻印はある。

 この目撃情報がアディックのところまで上がってきたということは、そういう知識も末端のアクト排除兵の中からは消えつつあるのかもしれない。

 アクトの残数は2体。それは仕方のないことかもしれなかった。

 残ったアクトの内1体はアクト研究において最先端を担っていたラニア研究所のものだが、製造番号と名前が登録されているだけで稼働情報はなく、アクト排除法成立時に完成していたかどうかもわかっていなかった。

 ラニア研究所のアクトであれば体内に発信機が埋め込んであって現在位置が確認できるのが普通だったが、取り除かれたのか最初から埋め込まれなかったのか、位置情報が発信されることはなかった。該当のアクトが最初から存在しないのならば製造番号の登録はされない。ラニア研究所ほどの場所で、起動されないまま破棄された個体があるとも考えにくく、設計図や体のパーツなど見つかれば話は別だが、それすら見つかっていなかったため、ラニア研究所制圧の直前に起動され、設計図ごとどこかに逃がされた可能性が高いと思われた。

 もう1体のアクトは大量生産品の部類に含まれるごく一般的な介護用のものだった。

 それでも当時の一般市民にはなかなか手が出せないもので、老い先短いと感じた老人たちがそれまで稼いできたお金をつぎ込んで終生の介護をさせるために買うことが多かった。

 容姿は国民の平均を取ったように平凡に作られ、設定は20代半ばの黒髪の女性で、刻印は胸元に正五角形が刻まれている。

 アクト制作においては末端の工場が作っていたものなので、発信機は埋め込まれていない。

 よくもここまで両極端なアクトが残ったものだな、とアディックは感じていた。

『近隣施設で介護をしている人の見た目が何年も変わっていません。アクトの可能性があると思います。』

『同じ職場の男性は無口で仕事上のミスを一切しません。これはアクトだからではないでしょうか。』

 身近な人が実はアクトではないか、という通報は実に多い。嫉妬などが原因で該当者を貶めようとするもの、単純に嫌いな人をアクトかもしれないと通報してくるものも少なくない。

 ただ、介護施設で働いていた人が実はアクトだったという場合は実際にあった。アディックが携わったアクトの逮捕事例の約半数が該当する。

 アクトを介護要員とする事例はアクト生産の最初期からあり、世に出たアクトの中で最も利用されていた事例でもあった。

 アクトは1度稼働してしまえば補給なしで何十年も稼働できる。人間と同様に休息は必要だが、傷などを自己修復するのでメンテナンスもほぼ必要ない。従順で給与も必要としないので、長い目で見れば下手に人を雇うよりも安上がりと考える施設は多くあった。

 そういった施設の中で介護要員の大半をアクトに依存していた場所は、アクト排除法成立後にアクトの引き渡しを拒否することも多かった。

 1ヶ月前に逮捕されたアクトに関しても、郊外でずっと持ち主の介護をしていた個体だった。

 独り身の郊外暮らしでお金だけはあるというような人の元にいたアクトは、情報が出ないだけに非常に見つけにくい存在で、それがなぜわかったのかと言えば、持ち主が亡くなってアクト自らが病院にその死を知らせたからだった。持ち主に自分が死んだらそうするよう指示されていたという。

 アクト排除法成立前なら、そうして持ち主を失くしたアクトは介護施設などに引き取られ引き続き働くことになっていたが、今の時代はそのまま公開処刑された。

『介護施設によく荷物を届けるが、受け取る人が一切しゃべらない。世間話もしないのはアクトだからではないか。』

『夜に女性が1人で外を歩いていた。危険を顧みないのはアクトだからではないか。』

 そこまで目撃情報を読んだアディックは、ふと目撃情報に共通点があることに気付いた。

 一言も話さず買い物をし、筆談で花を買い、介護施設で働き、届け物をしても世間話すらしない女性。

 全て王都エレンにある介護施設周辺での目撃情報だった。

[ただ無口なだけなのか、元々話すことができないのか……まさか王都に未だアクトが?……まさか。]

 自分でも考えすぎかとアディックは感じたが、疑問があるなら解消しなければならない。アクトの目撃情報は空振りに終わることがほとんどだが、1つ1つ地道に潰していかなければならないことでもある。

「王都エレンにある介護施設『悠久の森』の職員名簿と施設概要の資料を用意してくれ。」

 アディックは隣室の秘書・ウォードにそう伝えた後、再びアクト目撃情報に目を通したが、他に気になる情報はなかった。

 ほどなくして届けられた資料に目を通しながら、アディックはウォードに問いかける。

「施設規模に対して職員の数が少ないな。」

「力仕事や介護職はアクトが多く関わっていた職です。元からあまり人気のない職種ですし、アクトが担っていた部分の穴埋めが出来ずに人手不足のまま経営する施設も多くあります。そこから考えれば、極端に少なすぎる人数というわけではないかと。」

 アディックの秘書・ウォードは誰の目から見ても優秀な人材だった。

 警察でも軍でも幹部の秘書を務めるのは女性の場合が多い。しかし、ウォードは男性で、それはアディックが女性だと結婚や出産で長く自分の元で務められないからと考えたからだった。ただでさえ国民から嫌われるアクト排除兵の兵士長の秘書ともなれば、応募者する者自体多くない。長く同じ人に努めてもらいたいと考えた結果、アディックが兵士長に任命されたときの面接で採用してからずっとウォードがアディックの秘書を務め続けていた。

 年齢もアディックより5歳年下で比較的若かったが、仕事が丁寧かつ速いので、アディックもウォードを信頼して重用していた。今も資料を用意するまでの時間は、他の者だったら倍くらいの時間がかかってもおかしくないくらいの時間で手早く用意されていた。

「この施設に障害を持った職員はいるか?耳が聞こえない、話せないというような。」

「特にそのような者がいるという登録はありません。介護施設ですから、なかなかそのような者を採用することもないかと。いれば補助金なども出ますから、未登録ということもないのではないでしょうか。」

 悠久の森は老人の介護施設。職員でもない20代と思われる女性が頻繁に出入りするには少し違和感がある場所だ。しかし、アクトだとわかっているのに買い物や荷物の受け取りを頻繁にさせているというのは、アクト排除法が施行されている中でアクトを守ろうとしているならあまりに管理が杜撰すぎる。

 ひとまず、目撃情報にある女性がアクトではないことを確認する必要がありそうだとアディックは考えた。

「これから悠久の森の監査に行く。同行する兵士を3人見繕ってくれ。それと、工作員を1人。」

「承知しました。兵士長が自ら出られますか?」

「私が直接行って圧をかける。後ろ暗いところが、あれば何かしら動きがあるだろう。」

 そう言いながらアディックは立ち上がり、執務室を後にした。



 介護施設『悠久の森』は主に60歳以上で介護の必要な人が入所する民間施設だった。

 王都エレンの郊外にあり、敷地面積は王都としては比較的広い部類に入るものだった。

 設立は30年以上前で、建物は老朽化とまではいかないものの、一部の壁が剥がれ落ちたり建物周辺に雑草が生えていたり、所々手入れが行き届いていない様子だった。

 元はアクトを所有する人専用の介護施設で、施設は介護しやすい環境と食事を提供し、基本的にはアクトが介護を行うが、必要とあらば施設職員が手を貸すというシステムだった。

 それがアクト排除法によって施設内全てのアクトが破棄されてしまったため、介護は人の手に委ねられることとなった。類似の施設ではその時点で廃業する場所も多くあったが、悠久の森は事業を継続した。ただ、経営状況はあまり良くないということが見て取れた。

 アディックが部下の兵士を連れて悠久の森を訪ねると、受付の女性職員は慌てた様子で施設長の元へ走っていった。受付の玄関ホールにいた職員や入所者たちの間にも一斉に緊張感が走ったのが、その場にいる全ての人に対して明らかだった。

 アディック以下アクト排除兵たちは専用の制服を身に付けているため、一見してそれとわかる。たとえ後ろ暗いことがなかったとしても、出会って平常心でいられる人の方が少ない。

 施設長の元へ走っていった職員は戻って来るときも駆け足で、更にそこから先も小走りでアディックたちを応接室まで案内した。

「こちらで少々お待ちください。」

「できれば施設長の部屋で直接話を聞きたいのだが、いかがか?」

「あ……ええと……」

 アディックの提案に女性職員は明らかに動揺した様子を見せたが、これもまたよくあることだった。相手の想定外の行動を取ることで動揺させ、ぼろを出させるためなのだが、アディックの威圧感のせいで動揺しない人の方が珍しいくらいだった。

「手狭だというなら行くのは私ともう1人でいい。他の部下たちはこの部屋で待機させる。いろいろ見せてもらいたい資料もある。応接室よりも施設長の部屋の方が、そちらとしても都合がいいと思うが。」

「りょ、了解いたしました。では、こちらへ……」

「ありがとうございます。行くぞ、キール。」

[早めに応接室に隔離しておけと言われていただろうに、思っていたよりも素直だな。]

 そう思ったことをアディックは一切表情に出さず、指名した者とは別の部下に目配せをして、キールと呼んだ部下と共に施設長の部屋へと案内されていった。

 廊下で職員とすれ違うたびにギョッとした目で見られることも、アディックにとっては慣れたものだった。

 もうすぐ昼食の時間だからか、応接室から施設長室に向かう廊下の途中にある食堂付近では入所者が集まりつつあり、そこでも声には出さなくとも緊張した視線を送られてきた。

 女性職員が施設長の部屋のドアをノックすると、中で慌てて椅子から立ち上がるような音と、バサバサと書類をまとめるような音がしてからドアが開いた。

「もう少し待ってもらってちょうだい。まだ準備が」

 もう50代を半ば過ぎたくらいだろうか、明らかにアディックよりも年上の施設長がドアから顔を出した瞬間にアディックの存在を認め、凍り付いた。

「アクト排除兵の兵士長アディックです。突然の監査で申し訳ない。ですが、こちらが要求する資料を出していただければ問題ないので、何かしらの資料の準備は必要ありません。」

 いつもは無表情のアディックだったが、ここで少しだけ笑って見せたので、施設長もひきつるような笑顔になってアディックを部屋に迎え入れた。

 施設長室は掃除が行き届いているようで、部屋の両側にある書類棚の扉が一部開け放たれている以外は、きれいに整頓されていた。施設長の机の上には書類が散乱していたが、アディックは何も気にしないかのように勧められるままソファに腰を下ろした。キールは立ったままアディックの後ろに控える。

「悠久の森の施設長をしておりますエストルと申します。監査とのことですが、事前に連絡はいただいていないのですが……」

 施設長のエストルはハンカチで額の汗をぬぐいながら質問した。目はあちこち泳いでいて、アディックを直視できないようだった。

「アクト排除兵の監査は事前通告しないことになっています。当たり前ですが、事前通告するとアクトを隠されてしまう場合がありますので。ですが、今日の監査は定期監査です。何もこの施設に限ったことではありません。アクト排除法成立前、アクトが最も利用されていたのは介護職です。アクト排除法成立後も、アクトを労働力として使役する施設が数多くありましたからね、定期的に巡回しています。」

「はぁ……定期監査で兵士長様が直接いらっしゃるとは……」

「私は元々現場の人間です。現場の感覚を忘れないためにも、たまに定期監査に参加していますよ。」

 にこやかに話すアディックの後ろで、キールはアディックの肝の据わり方に舌を巻くばかりだった。予め用意していたものではあるだろうが、澱みなくアディックの口から嘘が流れ出る。制服姿で威圧しておいて、一見親しみやすそうな笑顔で油断させる。キールはアディックの駆け引きの上手さを実感させられていた。

「早速ですが、この施設の入所者と職員の名簿、それから職員のシフト表を提出してください。過去に遡らなくて結構です。現時点のもので構いません。」

 言葉遣いとしては下手に出ているが、その言葉には有無を言わさぬ力が込められていた。

 そもそも、アクト排除兵からの要求を拒否しようものならそれだけで逮捕案件になる。元から断る選択肢など存在しない。

「わかりました。用意させます。」

 ちょうどそこへトレーに飲み物を載せた職員が部屋に入ってきた。3人分用意されているが、2人分手つかずになることは明白だった。アクト排除兵が不用意に他人の用意したものに口を付けるなどあり得ない。

「ちょうどよかった。リンズ、入所者と職員の名簿とシフト表を渡して差し上げて。」

「わかりました。」

 リンズと呼ばれた女性職員は中央のテーブルに一通り飲み物を置くと、一礼してから一旦退室した。

「彼女は?」

「主任のリンズです。職員たちをまとめる役目をしています。シフト表は彼女の管理です。」

 言い終わるとエストルは目の前に置かれたティーカップのお茶を一口だけ口に含んだが、その手は震えていた。

 それから間もなく、一通りの名簿を持ったリンズが再び現れた。原本ではなく複製したものだったが、見せるだけでなく渡すことが前提なので、それは仕方のないことだとキールは考えた。

「施設規模に対して職員が少ないように感じますが?」

「この業界はどこも人手不足です。特にアクトの労働力に頼っていたうちのような施設では、人も集めにくく……」

 渡された資料に目を通しながら質問するアディックに対して、エストルは相変わらず目を泳がせながら答える。握りしめられたハンカチは化粧の上から汗をぬぐったせいで少し変色している。

「アクト排除法成立時に廃業は検討されなかった?」

「この施設は私の両親が建てたもので、老後を安心して暮らせるようにという両親の願いも継ぎたかったですし、入所者を放り出すわけにもいきませんから……今でも何とか赤字を出さないように経営は出来ています。」

「そうですか。ご立派です。では、施設内を案内していただけますか?」

「わかりました。では、リンズ。ご案内して差し上げて。」

「はい。」

 ソファから立ち上がったアディックは一連の資料をキールに渡し、先導するリンズに従った。

 ちょうど昼食が始まったところだったので、食堂は賑わっていた。

 1度アディックたちとすれ違った職員たちは再会したアディックに対してまるで化け物と再び出会ってしまったかのような反応を見せたが、アディックがにこやかに話しかけると幾分緊張を解いたようだった。

 各入所者の部屋、介護用の浴室、トイレ、倉庫など施設を一通り巡ってそこで出会った人を紹介された後、監査の終了を告げてアディックたちは悠久の森を後にした。



「首尾はどうだ。」

「施設各所への盗聴器の設置はつつがなく終了しました。感度も良好です。」

「そうか、ご苦労だった。」

 悠久の森の監査を終え、ここまで移動するために使った車の中に戻ると、アディックは監査中に見せていた笑顔とは真逆の厳しい顔になって部下に確認した。

 一旦部下と別れたことも、施設内を案内させたことも、全ては盗聴器を仕掛けるための布石だった。

 応接室と施設長室で4人それぞれが盗聴器を設置し、施設内を案内されている間も、隙を見ていくつか仕掛けていた。

「キールはあのエストルという施設長をどう見た?」

「はい、突然の我々の訪問で動揺していたことは確かですが、それを除いても怪しいと感じました。」

 アディックは部下の成長を見るため、こういった質問をよくする。今回は施設内でほぼアディックと行動を共にしていたキールが対象となった。

「なぜそう思う?」

「施設長室に入ったとき、何かの資料を慌てて隠そうとしたように見えました。ですが、アディック兵士長が入所者などの資料を提出するよう求めたとき、過去のものはいらないという言葉に対してホッとしたような表情を見せました。アクト排除法以前にアクトを労働力として使っていたとは認めていましたが、現在も継続しているかどうかはわかりません。ただ、アクト排除法成立後もアクトを労働力として使っていた可能性であればあるのではないか、と。」

「なるほど、いいところをついている。」

 褒められてキールは少し心が高揚した。アディックの下についてまだ2年と日は浅い方だったが、心からアディックのことを尊敬していたし、憧れてもいたので単純にうれしかった。

「では、職員たちはどうだ?」

「ほとんどの職員に特段変わったところはなかったように感じました。ただ、主任だというリンズという女性職員は他の職員のように慌てる素振りがなかったので、若干違和感はありました。

 施設長室に飲み物を運んできたのはリンズでしたが、流れ的に最初に施設長室に案内した女性職員が飲み物を運んでくるのが自然です。お茶くみなど主任がするような仕事ではありませんし、飲み物はキッチリ3人分用意されていました。我々は4人で施設を訪れましたから、裏で別々の場所にいるという情報を共有したのでしょう。最初の女性職員が対応したのでは何かぼろが出てしまうと判断して入れ替わったのではないでしょうか。」

「応接室もリンズという主任が飲み物を運んできました。おそらく、アディック兵士長とキールが施設長室に入る前です。我々が一旦別れたのを見ていたものと思われます。」

 同行したもう1人の兵士・スートが補足する。

「そうだな、それは私も同じことを感じた。我々を見て動揺しないのはそれこそアクトくらいのものだと思うが、さすがにアクトに直接我々の接待はさせないだろう。では最後に、キールはあの場にいた職員の数をどこまで把握した?」

 なぜ数のことを聞いてくるのかキールはすぐにわからなかったが、覚えている限りのことを口にする。

「最初に訪問したとき玄関に3人、案内される中で食堂付近で5人、施設長室で施設長とリンズの2人と会いました。その後の施設案内中にリンズが紹介したのが12人でした。」

「その中に違和感は?」

「いえ、特には……」

「よく覚えているが、惜しかったな。よく思い出してみろ、訪問直後の玄関で会った肩までの黒髪の女性職員をリンズに紹介されたか?」

「……あ……」

 言われてキールは思い出した。玄関ホールで監査を要求したとき、施設長室に走っていった女性職員の他に2人ほど女性職員がいた。そのうちの1人は後にリンズに紹介されたが、もう1人は紹介されなかった。

「それで、そのシフト表だ。」

 キールは施設長室でアディックに手渡されたシフト表を確認した。リンズを含めた13人が該当の時間に勤務していることになっていた。

「シフト表上であの時間帯に退勤した職員はいないし、施設内が忙しくなる昼食時に退勤する職員がいること自体おかしい。我々に紹介できないような職員がいて、名簿を偽装する時間もなかっただろうから、とっさに本人を隠したのだろうな。」

「アクトでしょうか?」

「現時点ではまだ何とも言えないな。単なる不法労働者かもしれない。おそらく、名簿には載っていない。」

「よく、お気付きになられましたね。」

 キールは感嘆をそのまま声に乗せた。言われるまで気付かなかったことを恥じながら。

「人の顔を覚えたり人数を確認したりするのは癖みたいなものだ。あの時はまだあの場にアクトがいると想定していなかったからな、我々が現れて動けなくなったと思い込んで、そこまで動きに注目しなかった。私もまだまだ甘い。」

 アディックはよく謙遜をする。もっと自己評価を高くしていいと部下の兵士たちは誰もが思っているのだが、それだけアディックが自分に厳しいということだろう、と納得もしていた。

「これからどうされますか?」

「ひとまず10日間集中的に監視する。今頃大慌てで作戦を練っているかもしれないからな、盗聴結果と合わせれば何か見えてくるだろう。」

 スートの言葉にそう答えると、アディックは運転席の部下に指示を出して車を発車させた。

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