第96話「ヒートアップ・"ラウジング"・スリーシーンズ」
白衣を着た医師は、病院の一階にある売店に足を運んでいた。
回復魔術師である彼は、一週間前からずっと院内で寝泊まりをしている。最近
物騒な事件が後を絶たず、その影響で引っ張りだこになっていた。
今日も安物の軽食に水で腹を満たそうと、適当に商品を手に取っていた時だった。
入口の方から悲鳴が聞こえた。
患者が暴れたのか、それとも診察を待つ人の容態が急変したのか。
弾かれたように医師は動き出し、売店を出て入口に目を向ける。
そして、呆けたように口を開けた。
黒い何かが、入口に群がっていた。
窓の外にも張り付くような黒い影。それらは人の形をしており、手の平を窓に押し付けていた。
「なんだ、あれは……」
譫言のように呟くと同時に、ガラスが割れる音が鳴り響き、入口や窓から黒い影がなだれ込んできた。
★★★
ベッドの上で寝ころんでいたベルクートは、額の上に腕を置く。瞼を閉じるとあの獣人の顔が浮かんでくる。
喧嘩に自信があるわけではないが、あそこまで完膚なきまでに負けたのは久しぶりだったため、ベルクートはショックを受けていた。
「大丈夫ですか、おじさま」
ため息をつくと、椅子に座るカルミンが問いかけてきた。ベルクートは苦笑いを浮かべる。
「あ〜、大丈夫だ、ありがとよ」
「そうですか! よかった。早く元気になってくださいね」
カルミンの笑顔を見て、いたたまれない気持ちになる。
昨日から泊まりこんでまで世話を焼いている彼女に、ルクートは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。それに、見た目は大人びているが、聞けばまだ成人すらしていない少女であるという。
「あのよ、嬢ちゃん」
「はい?」
「その、世話してもらえるのはすげぇありがたいんだけどよ、 一回家に帰ったらどうだ? ビオレちゃんもいるからさ、親御さんだって心配するだろ?」
カルミンの装備を一目見たときから、相手が裕福な環境で育っていることをベルクートは察していた。そのため、キャラバンでありながらガーディアンをやっているという怪しい男の世話をしているとなると、問題となると思ったのだ。
ゆえにベルクートは、なるべく相手の機嫌を損なわないよう、ぎこちない笑みを浮かべながら言った。
カルミンは顔を下に向ける。
「心配なんて、してないと思います」
微笑みを浮かべて言った。消え入りそうな声だったが、静かな個室であったため、ルクートの耳にはしっかりと届いた。
どうやら、家族仲は良好ではないらしい。
「あっ~……あ~、そうなのね」
気まずくなり苦笑いを浮かべ誤魔化す。なんとか空気を変えようと思い、次の言葉を模索する。
「ベルクートさん〜」
個室の扉が開けられる音と共に、ビオレの声が響いた。手提げ袋をまさぐりながら、ビオレがふたりに視線を向ける。
「飲み物買ってきましたよ〜」
「おう、悪いなビオレちゃん、助かった」
袋から缶コーヒーを取り、ベルクートに渡す。気まずい空気を払拭してくれたありがたみも込めて、礼を言って受け取った。
「はい、カルミンの」
「ありがとう」
カルミンが缶ジュースを受け取った。
それが合図で会ったかのように、扉の外から甲高い音が聞こえた。
「……今のは?」
3人の視線が扉に向けられる。なにかが壊れた音やぶつかった音ではない。例えるなら獣の鳴き声のよう。聞こえによっては悲鳴にも似た音。
「嬢ちゃんたち、下がってな」
ベルクートは枕の下に潜ませていた短銃を手に取りベッドを降りる。ビオレは頷いて壁に立てかけてあった朱色に光る弓を取り、カルミンは腰の剣の柄を握る。
ベルクートがふたりを背に隠すように扉に向いた時。
勢いよく扉が開けられた。引き戸の扉が壊れるのではないのかと思うほどの音が鳴り、黒い人影が見えた。
全部で3人、身長はバラバラ。
しかし手に持った短剣は、その者たちがベルクートたちを襲いに来た証明に他ならなかった。
ベルクートは銃口を向け躊躇いもなく引き金を引いた。50口径のハンドガン。反動が凄まじいため、両手で握りしめて発砲する。
轟音と同時に銃身が跳ね上がり、火の輪が一瞬空中に浮かぶ。
射出された弾丸は目の前のひとりに当たり、その胴体に風穴を開けた。
間髪入れずにもう一発放ち、頭を吹き飛ばす。最後のひとりはビオレの矢が喉に刺さって倒れた。
「や、やっちゃった……撃ってよかったのかな」
「見舞い品にナイフ持ってくる黒ずくめの連中だぜ? 撃たれても文句言えねぇよ」
冗談っぽく言うと、黒い影たちは液体状になり、その場に水溜りを作った。
「どういうことでしょうか。あの人たち、モンスターだったんですか?」
カルミンの疑問には答えず、ベルクートは足を前に進めた。嫌な予感がしていた。
廊下に出ると、黒い影が院内にいる者たちを襲っていた。看護師や患者問わず、無差別に攻撃を仕掛けている。
それと同時に3人のアンバーシェルが震えた。全員ポケットから取り出し画面を見て、カルミンが声を上げる。
「緊急の特別任務……?」
「はっ。なるほどな。どうやらあの馬鹿獣人がやってくれたみたいだ」
ベルクートが両手に魔力を流す。緑色の火が灯り、周囲を照らす。
「上等だあの野郎。魔法使用許可が出てんなら話は別だ。今度こそ燃やしてやるぜ」
腕を振った。緑色の炎が波の如く廊下を埋め尽くし、黒い影だけを燃やした。
対象となる者だけしか燃やさない、ベルクートの特殊な業火。襲われていた者たちは目を丸くして燃え盛る黒い影たちを見つめていた。
「さっさとここ出てゾディアックと合流するぞ、ついてきな」
「うん!」
「わかりました!」
「……行きすがら服変えてぇなぁ」
患者服の襟を引っ張りボソッと呟いた。
その時だ。今までとは質の違う魔力を感じたベルクートは、廊下の先を見据える。
その先には、青白い甲冑に身を包んだ、”騎士”という名が相応しい姿の者があった。
騎士はロングソードを片手に持ちながら3人に迫っている。
「ガーディアン……じゃ、なさそうだね」
「ビオレ、知らないの? あの甲冑!」
「え?」
ふたりの会話を尻目に、ベルクートは鼻で笑った。
「どういう冗談だよ、こりゃ。笑えねぇぜ」
騎士団の団員。懐かしい同胞の姿に、生気は一切感じられなかった。
★★★
騎士団。
オーディファル大陸を制覇する力を持っている大国、ギルバニア王国が誇る最強の戦闘集団。
自分たちがそう言っているのではなく、他国から”最強”と評価されているのには所以がある。騎士団の団員は木端まで異常な戦闘能力を誇っている。対人だけでなくモンスターとの戦いにも長けており、こと戦闘においてはどの国も正面から戦おうとは考えない。
ガーディアンで例えると、雑兵が”ランク・ダイヤモンド以上”の実力を持っているらしい。
ゾディアックたちの目の前に立っているそれが、変装した者でないことは、ガーディアンたちを瞬殺したことから見て取れた。
刺された者も手首を飛ばされた者も、ランク・ルビー。ベテランと呼ばれてもおかしくない者たちであった。
ガーディアンたちが萎縮しているのがゾディアックには感じられた。まさかすぎる強力な敵。
ならば、自分が道を切り開くしかない。
全員が息を呑む中、ゾディアックは一瞬で剣を掲げて振り下ろした。目にも止まらぬ速さだったが、騎士のロングソードが大剣を防いだ。
瞬時に大剣に魔力を流して威力を高める。それでも騎士の剣は折れない。
ゾディアックは鍔迫り合いになると同時に体当たりをかました。不意の一撃に騎士の体が浮く。
間髪入れずに横一文字に大剣を振り、騎士を吹き飛ばした。吹き飛び、壁に叩きつけられた騎士は黒い水となって飛び散った。
一瞬の攻防をようやく理解したガーディアンたちが、歓声を上げた。
本来の騎士がこれほど脆いわけがない。霊体ゆえなのか術のせいなのか、耐久力が異常にないらしい。
であれば、ランクが低いガーディアンでも充分勝機はある。
「全員臆するな!!」
”ゾディアックが声を荒げた”。
「相手の姿に怯えるな! 強さは本物でも装甲は薄く、勝てない相手じゃない! ランクの高い者たちは複数組んで前に立ち、低い者は援護と怪我人の手当てを!! パーティ云々は考えず、力を合わせて戦おう!!」
今まで聞いたこともないゾディアックの鼓舞。自信と勇気に満ち溢れた暗黒騎士の声を聞き、まず声をあげたのはレミィだった。
「行こう! みんな! ゾディアックに続け!!」
水を打ったように静まり返っていたガーディアンたちから徐々に声が上がり、空気を振動させた。
止まっていた足が前進を始め、戦闘が激化しつつあった。だが、ガーディアンたちの動きが目に見えて変わり、欲望のまま動いていた時とは違い統率された動きになっていた。
「やるな、ゾディアック。あんな声出せるんだな」
レミィが立ち止まっていたゾディアックの肩を叩いて言った。
「あ、その……」
「ん?」
「い、勢いで言った、だけなんだけど……上手くいった……かな……?」
「ははは! 上出来だよ! さぁ行こうぜ、私たちも」
ゾディアックはレミィの言葉に頷きを返すと、ふたりは正面を見据え戦いの渦中に身を投じた。
★★★
突然、紫色の炎が騎士を包み込んだ。それは薬品や高温によって変色した炎ではない。魔法であった。
炎は壁も物も、全てを焼き尽くそうとしている。火力だけなら自身の炎より数段上であるとベルクートは思った。
炎に飲まれた騎士は多少抵抗していたようだが、すぐに見えなくなった。
「な、なんですか、これ。おじさまの炎ですか?」
「俺はここまで暴力的な魔法使わねぇよ」
カルミンの声に対し頬を引きつらせて言った。
そんなふたりを尻目に、ビオレは荒ぶる炎を見つめていた。その色と、魔力に見覚えがあった。
その色は、以前ビオレにエンチャントを見せてくれたあの人の色。
鮮やかな紫。どこか威圧的であるとも感じられる、その魔力。
「……ロゼさん?」
ビオレは炎に問いかけるように疑問を投げた。
当然答えは返ってこない。かわりに炎の威力が増しているようにも見えた。
「同業者か? まぁ敵じゃないならなんでもいいか。とりあえず病院内の連中助けるぞ」
ベルクートの指示にハッとしたビオレは返事をした。
黒い影はまだ大勢いる。ビオレは矢を手に取り、狙いを定めた。
★★★
ベッドの拘束が解けた。鎖は「パキン」と音を立てて砕け散ると、その姿を消散させた。
不意の出来事にラズィは目を丸くしながらも身を起こす。次いで周囲を見渡し、ここがゾディアックたちの家ではないことを一瞬で理解する。
廃屋であった。部屋の隅には誇りが溜まっており、天井の角には蜘蛛の巣も確認できる。
なぜ拘束が解けたのかは、この際どうでもよかった。ゾディアックたちの狙いを考えるより、自分がすべきことをラズィは成し遂げようとした。
とにかく、トムに会う。彼がどこにいるかはわからないが、以前会った南地区の廃ビルに手掛かりがあるかもしれない。
ベッドから起き上がり全身の異常を確かめる。特に動かない場所などはない。どうやら手当もしてくれたらしい。骨が露出していた足の甲も平気だ。
ラズィはベッドのそばにある椅子を見る。背もたれにケープコートがかけられていた。
それを手に取り羽織ると玄関へ向かう。アンバーシェルと武器の類は見当たらない。だが複数ある隠れ家に行けば予備を回収できる。
ラズィは外に出て通りの先を確認しようとした。
瞬間、首根っこを何者かに掴まれ、路上に叩きつけられた。
「がっ……」
息が詰まり、目が見開かれる。
困惑する視線が捉えたのは。
「どうした、ラズィ。こんな一撃を食らうとは、調子が悪いのか?」
怒りが込められた瞳を向けながら、笑顔を浮かべるトムだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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