第87話「コーション・"ターゲット"・ブルーファー」
アーチから中に入ると、ゾディアックは横にある廃墟の壁を見た。
でかでかとした、ミミズののたくったような字で、「ディレット通り」と書かれている落書きがあった。
ディレット。快楽という意味だ。
それを示すかのように、数えきれない飲み屋とクラブがひしめき合っていた。
テーブルゲームで金を稼ぐギャンブルクラブ、喧嘩を酒の肴にするファイトクラブもある。サフィリア宝城都市でも違法扱いされているクラブだ。
毒々しい色彩の看板や落書きが目に映る。どこの言語かもわからない記号のようなものも描かれていた。
通りには大勢のガーディアンやキャラバンが遊びに来ていた。それに加えて、他の地区とは違い、通りに堂々と亜人が歩いていた。
夜の街、亜人街の日常風景だ。
「すっごぉ。なんなの、この街」
ミカは感心するような声を上げた。
ビオレは、黙って周囲に目を向けていた。
明らかに警戒心を強めているビオレを見て、ゾディアックは口を開く。
「大丈夫だ」
「で、でも……」
ビオレはゾディアックを見上げた。
ビオレが不安がっているのは、ナロス・グノア族が原因だろう。敵対関係の種族があんな風に話しかけてくれば、誰だって警戒する。
だが心配するだけ無駄なのだ。
「この街は、亜人たちで争いごとを起こさない」
「ど、どうしてですか?」
「それだけ、亜人たちの結束が固いんだ」
「結束……」
「亜人たちは差別に対して、手を取り合って立ち向かっていかなきゃダメなんだ。そうしないと」
それ以上は言わなかった。
ビオレも察したのか、悲しみの表情を浮かべた。一歩間違えれば、自分もここにいたのかもしれないという不安が、ビオレの心に巣くったからだ。
「とりあえず色々見ながら、あの男の子探そうよ」
ミカはふたりに声をかけ歩き始めた。ゾディアックとビオレはその背中についていく。
歩いている最中、亜人たちの目はビオレに向けられていた。
亜人のガーディアンだから、なにか思われているのだろうか。人間に媚びを売っている裏切り者だと、恨まれているのかもしれない。
ビオレは下を向いて歩いた。街の喧騒と、どこからともなく聞こえてくる変な音楽が腹に響く。ビオレは気持ち悪さを感じ、服の胸元を握りしめる。
ふと顔を前に上げた時だった。
ビオレの視線がある店を捉え、足が止まった。
「……ビオレ?」
「?」
立ち止まったビオレに気づいたゾディアックとミカはビオレに近づいた。
「どうした?」
「あ、いや、あの……」
ビオレは店の方を見た。つられてゾディアックも同じ方向に視線を向ける。
そこはダンスクラブだった。踊りと酒を楽しむ、一応”健全な”店だ。
その店の裏口に、ビオレと同じグレイス族の女性がいた。へそを出したキャミソールに、足の長さと細さを強調する長いズボンを履いていた。
女性の視線がビオレを捉えた。すると、その人物が近づいてきた。
警戒心を強めるビオレの前に立ち、女性は一瞬目を細め、次いで頬笑みを浮かべた。
「へぇ~! グレイス族のガーディアンが来るなんてめずらしい」
「え?」
「なになに? 遊びに来たの!?」
楽し気な女性に対し、ビオレは頭を振った。
「え、えっとあの、その……」
しどろもどろになりながら、視線を女性の耳に向けた。特徴的な尖った耳が、丸みを帯びていた。
それは、女性があまりにも長い間、自然から離れていることを物語っていた。もう自然の声も聞こえないのだろう。
「あのぉ、ここで働いている人ですかぁ?」
ミカが話しかけると女性は頷いた。
「そうだけど?」
「ここら辺で狐の男の子を見かけませんでしたかぁ? 青い毛が特徴で」
女性の眉が一瞬上がり、次いで手を叩いた。
「あ~、あの子! すっごい目立つ子だから、知ってるわ」
ミカは歓喜の表情を浮かべた。
見つける手間がかかると思っていたが、まさかこんなに早く情報が手に入るとは思わなかったからだ。
「ここの通りを抜けて右に曲がって。ふたつ通りがあるけど、無視して進むと廃墟が並んでいる場所に出るわ。そこに住んでるわよ、その子。何度か見かけたことがあるの」
「本当ですか、ありがとうございます!!」
笑顔のミカに対し女性は微笑むと、踵を返し店の扉を開ける。
そして中に入る前に、ビオレを横目で見た。
「失敗してここに来ないよう……お仕事、頑張ってね」
女性は言うと、ビオレの返事を待たず、中に入って扉を閉めた。
確かな気遣いと優しさを感じたビオレは、その扉をジッと見つめていた。
いつの間にか、気分の悪さは、無くなっていた。
★★★
女性の話を全部信じるわけではないが、それ以外情報が無いのも事実だった。
ゾディアックは前を行くふたりの背中を見つめながら歩き続け、ようやく通りを出た。そこからさらに道なりに進む。
途中、ピンク色に輝く通りがあり、ビオレは顔を向けた。
数秒後、顔を真っ赤にしてゾディアックの陰に隠れた。
「どうした?」
怪訝に思ったゾディアックは通りを見た。そして納得した。
ここはいわゆる、風俗店が多い通りだ。その証拠に、かなり過激な衣装に身を包んだ女性の亜人たちが溢れかえっていた。中には全裸で客引きしている者もいた。
ゾディアックは一度もこういった店を使ったことがなく、そもそも通りに足を運んだのも初めてである。
ロゼがいてよかったと心の中で思った。もしいなかったら耐性皆無であり、ビオレと同じような反応を見せていただろう。
「この通りを抜けたらすぐですよ!」
ミカは全然気にしていない様子だった。
ふたりは大胆に進んでいくミカを頼もしく思いながらついて行った。
そうして、目的地である通りにたどり着く。
女性の言う通り、廃墟が立ち並ぶ不気味な街並みが広がっていた。おまけに電飾も何もなく、薄暗い。
この場所だけ亜人街から切り出されているようであった。
「ここ、住めるのかなぁ?」
ミカが苦笑いを交えて言った。ビオレも同じ思いだった。亜人よりもモンスターやネズミが住んでいると言われた方が、まだ納得できる光景だったからだ。
ガセネタを掴まされた、という言葉が頭の中に浮かび、ミカは天を見上げた。
「無駄足か。しょうがない戻りましょうか」
ミカが言ったその時、ゾディアックはハッとして、ふたりを自分の背中に隠した。
一瞬遅れて、ふたりは周囲の気配を探った。
瓦礫の隙間、廃墟の空洞から怒り、憎しみ、殺意が伝わってくる。
明らかな敵意を感じ取り、ふたりは顔を引き締めた。
「ふたりとも、離れるな」
ゾディアックが言うと同時に、亜人たちが廃墟や瓦礫の中から出てきた。
ガネグ族やシャーレロス族ばかりだ。ほとんどが、みすぼらしい薄汚れた服装に身を包んでいたが、それ以外に共通することがあった。
武装していた。刃が欠けた剣や刺せればいいだけの小型ナイフ、変に折れて短くなった槍、果てには木で作ったであろう不格好な棍棒を持っていた。中には鎧や盾を持っている者もいる。
ガーディアンやキャラバンから盗んだか、それとも殺して奪った物か。
亜人たちは3人を取り囲み、じりじりと迫った。
「また、殺しに来たのか……?」
誰かが言った。怯えの混じった声だった。
その声を皮切りに、亜人たちが歯を剥き出しにして唸り、威嚇し始めた。
「仲間の恨みだ」
「あんなことしやがって」
「てめぇらも骨にしてやる!」
なんの話だ。ミカが問おうとした時だった。
ひとりが雄叫びを上げ、全員が一斉に襲い掛かろうとした。
ゾディアックはやむを得ないと判断し、剣の柄を握った。
「待てよっ!!!」
その時、聞き覚えのある声が上から聞こえた。
亜人たちの動きが一斉に止まり、全員の視線が注がれる。
2階建ての建物の屋上。その上に、青い毛並みをした狐の少年が立っていた。
月光に照らされるその姿は、まるで神秘的な生き物が君臨したかのようであった。
「その人たちは関係ねぇよ!」
少年は叫ぶように言うと屋根からジャンプし、軽やかに着地した。
そして早足でゾディアックに近づく。
「何でここにいんだよ、あんた」
「いや、それが……」
「私が会いたいって言ったの」
少年がミカを見て、目を開いた。
「あんたはたしか」
「やっほー。あの時は助けてくれてありがとう~」
ミカが嬉しそうな笑みを浮かべて手を振った。
和やかな雰囲気に、周囲の亜人たちは、お互いに顔を見合わせる。
少年はそれを察知し、ゾディアックから視線を切り、亜人たちを見渡した。
「あの、俺の客人っていうか、知り合いなんだ。誓って言うよ。この人たちは関係ない」
「どうしてそんなことが言える!」
「俺を救ってくれた恩人だからだ」
力強い言葉で少年が言うと、周囲の亜人は、渋々といった様子で武器を下ろした。
少年はゾディアックたちに視線を戻した。
「事情はあとで説明するから、ついてきてくれ」
「……君について行けば安心か?」
「ああ。少なくとも襲うつもりなら、このタイミングで止めねぇだろ」
「そうか、なら」
ゾディアックは視線をふたりに向けた。
「この子について行くんだ」
「え? マスター?」
「どういうことですか?」
「……少し、野暮用ができた」
そう言うと、深くは語らずにゾディアックは駆け出した。
ゾディアックは見つけたのだ。
すぐ近場で自分を監視している者を。どこに潜んでいるのか、その位置を。
それは、自宅を監視している者と、同じ気配をしていた。
ゾディアックは、目的をふたつ持ってこの地に来ていた。
ひとつは少年を見つけること。
そしてもうひとつは、監視している謎の人物を捕らえることだった。
周囲は廃墟ばかりであり、今は夜。少なくとも相手はひとり。亜人はさきほどのやり取りで、ゾディアックから距離を置いている。
絶好のチャンスだった。
ゾディアックは相手の逃げ場所を予測しながら、通りを駆けた。
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