第85話「ラブ・"ハーモニー"・ランチタイム」
テーブルの上に置いてあったアンバーシェルが振動した。
昼食の用意を終え、ソファに座りながらヴィレオンを見ていたロゼは顔に笑みを浮かべた。自分に連絡を入れてくる相手など、今はゾディアックとビオレしかいない。
ウキウキとした気分でアンバーシェルの画面を見る。
「昼、いらない。仕事の付き合いで飲み会。酒は飲まない。夕方には帰る」
ロゼの顔から、徐々に笑顔が消えていく。
仕事上のお付き合いだとするなら仕方ないか。ロゼは「わかりました~」という文字と共に、絵文字も添えて返信した。
明るかったのは文面だけであり、ロゼは不服そうに唇を尖らせていた。
仕事が上手く行っているなら自分としても嬉しい限りだ。しかし、それでふたりの時間が減るのは寂しい。
せっかく愛情を込めて作った料理が無駄になってしまったではないか。
子供のような自分の気持ちに対し、ロゼはため息を吐きたくなった。
気分を変えて昼食にしようと立ち上がり庭へ向かう。窓を開け、弓の修行をしているビオレを見つめる。
家の庭は、的を置き弓矢を当てることができるほどには広い。ゾディアックも庭で大剣を振っているときがある。
ビオレは元から弓の技術力が高いが、エンチャントがまだ練度不足であるため、その練習を今は行っている。
「ビオレ、調子はどうですか?」
声をかけるが、地べたに片膝をついて、弓矢を持つビオレは微動だにしなかった。それから5秒ほど時間が経過したとき、矢に淡い緋色の光が纏わりつく。
「よし」
額に汗を浮かばせたビオレは、確かな手応えを感じたのか笑みを浮かべた。努力する少女の姿を美しいと思いながら、ロゼはクスッと笑う。
その小さな笑い声に気づいたビオレが、ハッとしてロゼを見る。
「ご、ごめん。呼んでた?」
「ええ。お昼ご飯、一緒に食べませんか?」
「うん、食べる食べる!」
ビオレが弓と矢を持って近づく。
「修行、頑張ってるみたいですね」
「うん。エンチャントの時間も速くなったよ」
「素晴らしいです。ただ……そうですね。矢を貸してください」
ロゼは手を差し出した。怪訝そうな表情を浮かべたビオレは、首を傾げてロゼの手の平に矢を置き、手を離した。
瞬間、紫色の光が、矢に纏わりついた。
「うわあっ!!」
突然発光したようであり、ビオレは驚きの声を上げ、一歩後ろに退いた。
「もう少し付与の時間を縮めてみましょう」
ロゼはそう言って、矢を何度か握り絞めた。拳を握る度に、エンチャントが繰り返される。
「0.1秒で繰り返しできれば、世界が変わります」
そう言って矢をビオレに返した。5秒集中してやっと1回できるビオレは、格の違いを痛感し、苦笑いを浮かべた。
「できるかなぁ、私に」
「できますよ。絶対に」
どこか確信めいたその言葉に勇気をもらったビオレは、領きを返した。
★★★
テーブルの上には焼き飯と、見たことがないスープが置いてあった。
湯気が立ち上る椀の中には麺が入っており、香ばしい醤油の匂いがビオレの鼻孔をくすぐる。
「ロゼさん、これなに?」
「「ラーメン」っていう食べ物です。別大陸にいた異世界人が流行らせた料理です」
「ビヨンド?」
疑問符を浮かべながら、ビオレは椅子に座る。
「知りませんか? 他の世界から来た存在のことを指すんです。魔力を持っていないのに普通に生きているのが特徴ですね」
「ん? それって、すぐ死んじゃうんじゃないの?」
生物の体内に流れる魔力は、いわば血液だ。それがないということは、まともに動けるはず
がない。
そう思って聞いたのだがロゼは頭を振った。
「なぜか異世界人たちは平気なんですよねぇ。ただ、魔法とかは使えませんが。そのせいですぐモンスターやら亜人に襲われて殺されちゃっているのが大半です。このラーメンを作った人も、モンスターに襲われて殺されちゃったようですし」
「ふ〜ん。会ってみたいな」
「最近は見かけなくなりましたよ。それに、ほとんどの異世界人は言葉が通じません」
そう言ってロゼはビオレの前に座った。
ふたりは両眼を閉じ、顔の前で両手を合わせる。
「「天地に感謝を」」
食事の挨拶をすると、ビオレはさっそくラーメンを食べようとフォークを手に取った。
だが、目の前に座る、憂鬱そうな表情を浮かべるロぜを見て、食器を動かす手を止めた。
「ロゼさん、どうしたの?」
「ん? ああ、いえいえ。ゾディアック様がいないせいで、ご飯作りすぎちゃったなぁって」
「そういえば、マスターは?」
「飲み会ですって。仕事付き合いの」
「……大丈夫かな、マスター。ボッチになってないといいけど」
「弟子にこんな心配される師匠もどうなんですかね」
笑うロゼを見て、ビオレは前々から聞きたかったことを聞けるチャンスだと思った。
「ねぇ、マスターとどうして付き合うことになったの?」
突然の質間に、ロゼは目を見開いた。ビオレは真剣な眼差しで見つめ続ける。
「え、っと……なぜ、突然そんなことを?」
頬を掻いて、ロゼは小首を傾げる。
「だってロゼさん、すごい美人だし、いいとこのお嬢様みたいだから。どうやってあの難しい性格しているマスターと出会ったのなぁって」
「自分の師匠に結構言いますね、ビオレ」
ロゼは苦笑いを浮かべてしまう。こういったことを容赦なく言えるだけ、信頼関係が強まってきたということだろうか。
「ねぇねぇ、どこに惚れたの!?」
ビオレが身を乗り出す勢いで聞いた。
古今東西、女性というのは恋愛話が大好物だ。ロゼ自身も嫌いではない。亜人であるビオレとて例外ではなく、一番身近な男女の関係が気になってしょうがないのだろう。
「やっぱり顔?」
「あー……結局は見た目かよ、とか言われそうですけど、ゾディアック様の顔は好みですね。イケメンですし」
ただ、と言って、言葉を紡ぐ。
「彼の顔を知ったのは、私が完全に彼のことを好きになったあとだったので……」
ビオレが感心するような声を上げた。
「そんなに好きになる出来事があったんだ」
「ええ。それはもう。本当に素敵でした」
「何があったの?」
ワクワクしているその視線に、微笑みを返す。
「殺し合いをしたんです」
言葉を聞いた瞬間、ビオレの顔に浮かんでいた愉楽の表情が、徐々に薄れていった。
「……え?」
「冗談ですよ」
あっけからんとロゼは言った。糸が切れた人形のように、ビオレはガクッと体勢を崩した。
「なんですかそれ!!」
ビオレは怒りの眼を向けた。ロゼは肩をすくめた。
「まぁ似たようなものですよ。ビオレの言う通り、私は箱入り娘でして」
昔のことを思い出したロゼは、口元を手で隠した。その所作はビオレですら可愛らしいと思ってしまうものだった。
「彼が連れ出してくれたんです」
「か、駆け落ちってやつ!?」
「どこで覚えてきたんですかそんな言葉……」
「家で不当な扱いを受けていたお嬢様を助けた騎士様って感じ!?」
「ん〜。当たらずとも遠からず、ですね」
「あー、それは惚れちゃうなぁ。でもマスターが不細工だったらちょっと残念なことになりそう」
抉ってくるような発言に、ロゼは声を出して笑った。
「最初は、何だろう。この不審者は。って感じでしたよ」
「今みたいにオドオドしてた?」
「いいえ。もっと酷かったです」
「えぇ???」
「けれど、それも今は可愛らしいと感じてしまって。惚れてしまった弱みですかね」
そこまで言って、ロゼの喉が鳴る。
「はい、おしまいです。今日はここまで」
「え〜! もっと聞かせてよぉ!」
「ゾディアック様から聞いた方が楽しいですよ? 今度3人で話しましょうか」
「……それもいいかもね」
悪戯っぽい笑みをふたりは浮かべた。
「とりあえず、ご飯を食べましょう。麺が伸びちゃいますし」
会話はそこで終わり、昼食を再開した。初めてのラーメンに、ビオレは悪戦苦闘しながら、フォークで食べ進めた。
「ロゼさんって料理できるよね? デザートも、作り方さえ知っていれば、マスターよりも上手くできるんじゃないの?」
「そうですね」
「作らないの?」
「作りませんよ」
「どうして?」
聞くと、ロゼはクスッと笑った。
「大好きな人が、自分のために、何かをしてくれる。これってすごく嬉しいことなんですよ。だからゾディアック様のデザートが楽しみで楽しみで、仕方ないのです」
「……そうなんだ」
ビオレは視線を落とした。脳裏にラミエルの姿が浮かび上がる。
ロゼの、その気持ちが、分かったような気がした。
「私もいつか、好きな人と出会えるのかなぁ?」
「出会えますよ。絶対に。ビオレは素敵な女性ですから」
言われたビオレは、顔が赤くなる思いだった。
「ロゼさんが男だったら惚れてたなぁ」
「あら。それは残念です」
それからも、談笑しながら、ふたりの穏やかな時間が過ぎていった。
★★★
ゾディアックが帰ってきたのは、それから4時間後だった。夕日が姿を見せ、空を照らしていた。
「た、ただいまぁ」
「お帰りなさいませ。遅かったですね」
ニコニコと出迎えるロゼだったが、頭には怒りマークが浮かんでいるようであった。
「なんでこんなに遅くなったんですか?」
「いや、それが、お店をいっぱい紹介されて、連れまわされて……」
「うわ、もう。すっごい酒臭い」
「飲んでないんだけどな」
「臭いが酷いんですよ! 早く鎧と服を脱いでください。ていうか脱げ!」
可優らしい声に命命口調というギャップに、ゾディアックは笑いながら兜を取った。ロゼも笑顔だった。
楽し気なふたりの姿を、ビオレは静かに見つめていた。
「いいなぁ」
自然と出た言葉だった。
誰かと、恋をしてみたい。
ビオレはロゼの幸せそうな横顔を見て、そう思った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回もよろしくお願いいたします。




