第7話「愛しい彼女のために」
ロゼの本名は「ローレンタリア・ゼルヴィナス・ミラーカ」という。
彼女はこの長ったらしい名前を嫌っており、普段は略称である「ロゼ」を、本名として名乗っている。
見た目は普通の人間とまったくと言っていいほど変わりがない。
身長156センチ、体重49キロと小柄な体系。橙色の綺麗な髪をなびかせ、咲き誇る花ですら敵わない可愛らしい顔をしており、それでいてどこか妖艶な雰囲気を身に纏う美少女。
ただ普通の人間と明らかに違うのが、”598歳”という年齢だ。詐称しているわけではなく、本当に600年近く、彼女は生きている。
彼女がディアブロ族の吸血鬼――ヴァンパイアの女伯爵ゆえの特徴だろう。
ディアブロ族は、サンクティーレ内ではモンスターに分類されているため、意思疎通ができようと問答無用で討伐対象となってしまう。そのため、ロゼは素性を隠す必要があるのだ。
なぜモンスターに分類されるのか。それは昔起こった、ディアブロ族と人間の100年間続いた戦争、「ヘカトン・ゲール」が原因である。
400年前、突如として現れたディアブロ族……エルフ、ドワーフ、ホビット、リザードマン等々……は、人間達を襲い、オーディファル大陸を支配しようと目論んだ。
これに対し人間側は、巨大な国同士が同盟を結び抵抗の意を示した。
かくして世界中を巻き込んだ戦争が開戦した。
結果として人間側が勝利し、ディアブロ族の大半は”元いた世界”に逃げ帰った。
しかし人間側の傷は深く、400年経った今でも、戦争の影響は各地に残っている。ディアブロ族を怨んでいる種族は非常に多いのが現状だ。
そういった過去の出来事から、サンクティーレに、特にオーディファル大陸内で生きる者たちは、ディアブロ族を悪しき存在として認識している。
そんな世界でロゼの正体がバレたらどうなるか、想像に難くない。
もしもバレたら、ゾディアックはこの国の者たち、それだけではなく、世界中を敵に回すことになる。それはなんとしても避けたい事態だ。
もちろん、ロゼはか弱い乙女などではなく、ゾディアックに負けずとも劣らない実力を持っている。
しかし、その力を人々に向けて使うのは、世界の敵になる覚悟を決めた時だけだ。
こういった理由から、規制の緩いサフィリア宝城都市ならまだしも、国外にロゼと旅行するわけにはいかないのだ。
しかしだ。ゾディアックは目を細める。
幸せに生活を送っているが、愛する同居人に不自由な思いをさせてしまっているのも事実。
せっかく辺境の地にある古城からロゼを引っ張り出したのに、また縛り付けている。これでは7回も勝負を行い、お互いの気持ちを確かめ合った甲斐がないではないか。
いつもロゼは文句を言わず、我儘も言わず、元気な笑顔を振りまきながら身の回りの世話をしてくれている。
そんな優しい吸血鬼が、パンケーキを食べたいと言っているのだ。
であれば。
作るしか、ない。愛しい彼女のために、作るしかない。
最強のガーディアンが作る、最高のパンケーキを。
料理の「りょ」の字もできないゾディアックは強く心に誓った。
「よし」
そうと決まれば必要な物を揃えなければ。
「何がよし、なんですか?」
見上げてくるロゼを片手で抱きしめる。
ロゼは小さく嬉しそうに「やん」と呟き、恥ずかしそうに身をよじる。そして。あぐらをかくゾディアックの上に乗り、背中を押し付ける格好になる。
ゾディアックが後ろから抱きしめると、ロゼは満足そうな笑顔を浮かべた。
片手でロゼを抱きしめながら、ポケットからアンバーシェルを取り出す。
「琥珀箱」と記されるこの魔法道具は、サンクティーレの生活必需品である。
形状は長方形の箱であり、厚さが薄い。大きさは手の平サイズだ。
表と裏があり、表面はガラス張り、裏面は名が示す通り、透明感のある黄褐色に覆われている。
箱の中には”ミスリル鉱石”の粒が散りばめられており、持ち主の魔力を活性化させることで反応、起動することができる。家の扉も、これと同じ原理で開いている。
ゾディアックはこなれた様子で起動する。画面が光り、横に4つ並んだ四角いブロックが縦に2列、規則正しく並んで浮かび上がってくる。ブロックには、それぞれ特徴的なイラストが描かれている。
アンバーシェルの機能としては、離れた相手との音声・映像通話、録音・録画、写真・音楽、位置情報センサーなどが使える。
その中でも一番特徴的なのは「ブルーローズ」と呼ばれる機能だ。
ゾディアックは画面左上にある、青いバラの模様が描かれたブロックを親指で叩く。
画面が切り替わり「ブルーローズ」が起動すると、「検索ワードを打ち込んでください」という文字と共に、画面中央に記入欄が出てくる。
ゾディアックは親指だけを動かし画面上に文字を描いていく。
「パンケーキ 作り方」
文字を入力し、欄の横にある如雨露のマークを押す。
如雨露が動き、排出口から水を流し始めると、画面が一瞬暗転し、次いで検索ワードに沿った情報が出てくる。
そこには、先ほど放送していたラフト国のパンケーキ情報が載せてあるページもあった。
ページの中身を見る。「スライムでも作れる! 簡単パンケーキ講座!!」という見出しが大々的に書かれてあった。
「勝ったな」
ほくそ笑みながら呟く。
「どうしたんです? さっきから」
ロゼが再び身をよじってゾディアックを見上げる。
視線が合う。疑問符を浮かべるその顔が、少し間抜けで、可愛かった。
ゾディアックは強くロゼを抱きしめる。ロゼは嬉しそうな声を出し、柔らかい唇を、褐色の頬に押し付けた。
「あ、そういえば」
おもむろにロゼは自分のアンバーシェルを取り出し、ある画面を映し出し、ゾディアックに見せる。
「アンヘルちゃんの配信、始まりそうですよ」
「……そういえば今日だったか」
表示された「ユタ・ハウエル」の画面を見ながら、ゾディアックは言った。
ユタ・ハウエルは、竜族「ドラ・グノア族」の者によって作られた、アンバーシェル向けの動画配信サービスだ。オーディファル大陸中に存在する無数の人々が、種族関係なく、日々さまざまな動画を投稿している。
ユタ・ハウエルという言葉にも意味があり、ドラ・グノア族の言葉で「我が生き様」というらしい。
最近ではオーディファル大陸と陸続きになっている別大陸、アストロス大陸にもその配信範囲を拡大しているため、動画の数は無数にある。
そんな中で、一際人気を集めている動画が、この「アンヘルちゃん」だ。
「おお。今日もお客さんがいっぱい来てますね。20万人も集まってますよ」
ロゼはアンバーシェルを操作し、ヴィレオンに映像を送る。これも機能のひとつ、外部出力と呼ばれるものである。
50インチのモニターに、ステージに立ち、スポットライトに照らされた女性が映し出された。赤髪のツインテールと、特徴的な猫耳パーカーを着た美少女は、まさに天使のようである。
『みんなー! 今日も来てくれてありがとー!! いっぱい歌って踊るから、最後までで見てってねー!!』
元気いっぱいの声がリビングに木霊する。そして演奏が始まり、「アンヘルちゃん」は歌い始めた。
ユタ・ハウエルに投稿されている動画は、編集が済んでいる録画映像がほとんどだ。
だが、一部では生放送で映像を流し、視聴者の声にその場で反応するというスタンスをとる者もいる。
「アンヘルちゃん」は、その生放送を行う者たちの中で、一番人気の生放送配信者だ。
主に行うのは歌や踊り。歌のジャンルは恋愛曲や応援曲ばかりではあるが、可愛らしいダンスと見た目からは想像できない美声で見ている者たちを魅了する。
友達ができず落ち込んでいたゾディアックはある日、「アンヘルちゃん」の曲を聞き、それから一気にはまってしまった。ロゼも、その歌声に魅了された者のひとりだ。
「うわー。もう同時接続数50万人超えちゃいましたよ。毎週決まった日と時間に放送し始めるから、こぞって人が集まるんですねぇ」
ロゼは感心するように言った。
ゾディアックは生返事をし、放送に集中した。
歌とダンスに見惚れているのもあるが、ゾディアックは背景と、「アンヘルちゃん」の”姿”に注目していた。
この眩いライトやステージ、「アンヘルちゃん」の風体は、すべて魔法で作られたものだ。つまり、変身魔法を使用し、この子は放送を行っている。
ここまで精密な、完成度の高い魔法を使える者は、中々いないだろう。
なぜ変身魔法を使っているのか、初めは疑問に思った。だが、それは解決すべき問題ではないと判断した。
素性を隠したい者は多い。ゾディアックにはその気持ちがよくわかる。
正体がどうあれ、ゾディアックはすでに、「アンヘルちゃん」の大ファンになっていた。
「なーに見惚れてるんですか」
ロゼが頬をわざとらしく膨らませ、ゾディアックを横目で睨む。
「いや。相手の魔法に感心してた」
「本当ですかー? 本当はアンヘルちゃんに見惚れてたんでしょう?」
「それはない」
「なんでそんなこと言えるんですか」
「ロゼの方が可愛いからだ」
恥ずかし気もなく、ゾディアックは言った。
ロゼは目を丸くしゾディアックの方を向く。
「ばーか」
くしゃっとした笑顔を浮かべながら、ロゼはゾディアックの肩に頭を当てた。
明日はロゼのために、パンケーキを作ろう。
幸せな時間を過ごしながら、夜は更けていった。
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