第75話「アサシン・"マスター"・ライオン」
一瞬で切られた。鋭利な刃物で。
ラズィは0.1秒でそれを理解し、1秒で敵の姿を見据えた。
獅子の大きな手には、刃物が握られていた。剣じゃない、ダガーだ。その巨体には見合ってない、小型の武器だ。
モンスターと戦う日々を送っていたおかげか、ラズィは反射的にその刃物を避けていた。
だがまったく見えなかったのも事実だ。
わかっているのは相手がとんでもなく強いということ。
そして、こちらを殺そうとしていること。
――舐めやがって。
闘争心が刺激され鼓動が高鳴る。
ラズィは両足で地面を踏みつけると、姿勢を正して剣を構え、切先を獅子の喉元に向ける。
獅子は、まるで子供と戯れる親のような、穏やかな表情を浮かべている。
「舐めやがって」
思いを声に出し、ラズィは駆け出した。格上の相手から攻めさせたら防げる自信が無かったからだ。
自分から仕掛けに行って、どこでもいいから骨を折る。
理想は額か鎖骨。額を割れば敵は狼狽え、鎖骨を折れば武器が触れなくなる。
距離を一気に詰め、剣の間合いに入る。木剣とダガー、殺傷能力に差はあれど、間合いはラズィに分がある。
ラズィは突くと見せかけて、小動作で木剣を獅子の額目掛けて振った。腕全体を使わず、手首のスナップだけを用いた面割り。
その時だった。獅子の姿が消えた。
正確には両膝を折ってラズィの視界から消えていた。
ラズィは「しまった」と思うが、踏み込みの動作をしてしまう。
獅子の大きな手がラズィの腹に当てられる。
「うっ」
ただ、手の平を当てられただけ。
それだけでラズィは息が詰まる思いだった。
この状況を整理すると、ラズィの負けである。
獅子がその気なら、ダガーをラズィの腹に突き刺すことができたのだから。
「く、っそ!!」
悔しさを吐き出すような声を出し、無骨な前蹴りを放つ。
だが、体重差があるせいで獅子は微動だにせず、それどころか上げた足を取られた。
軸足を蹴られ、ラズィは背中から地面に倒れてしまう。
両目を閉じて、衝撃を耐える。そして目を開けた時。
逆手に持たれたダガーの切先が、眉間に突きつけられていた。
「また、死んだな」
奥歯を噛み木剣を振る。相手は大袈裟な動作で距離を取った。
ラズィは逃がすまいと距離を詰め、剣を下からすくい上げる。下は砂地。風が吹けば砂が舞う。
切先が地面を擦り、砂を巻き上げた。これがラズィの狙いだった。
「む」
獅子が両目を瞑り、ダガーを持った方の腕を目元まで上げた。利き手で目元を庇う反射的な動作。
好機だ。ラズィは胴体目掛けて木剣を横に振る。
しかし、獅子の体に触れる寸前。
脇腹に衝撃が走った。
獅子の爪先が食い込んでいる。靴を履いているおかげで、爪が食い込んではいない。
だがその衝撃は容赦なかった。
息が詰まり、鈍痛が襲ってくる。視界が揺らぎ膝に力が入らなくなった。
鉄球を体の中に入れられたような感覚にラズィは困惑していた。
「は……あ……はぁ……」
辛うじて呼吸をするがもう立てそうにない。止まっていれば止まっているほど痛みが増していくようであった。
「また死んだな」
獅子はラズィを見下ろしながら、冷ややかに言った。
ラズィは最後の力を振り絞り、まだ握っていた木剣を振る。
大きな手がそれを掴み取り、握力だけで握り潰した。
「武器も失った」
獅子はラズィの頭を掴み、無理やり引き起こした。
ラズィは鋭い目で相手を睨む。もはやできる抵抗はそれしかなかったからだ。
「それでも諦めないか。いい目だ」
いや、まだ抵抗はできる。
ラズィは口の中に唾を溜め込むと、獅子の目元目掛けて吹きかけた。
唾は目に入ったが、獅子は瞬きすらせず、拭いもせず、まったく意に介していない様子で鼻を鳴らした。
「度胸も合格」
獅子は手を離した。
糸が切れた操り人形のように、ラズィの膝関節は折れ、尻もちをつく。腹の痛みで気を失いそうになりながらも、下唇を噛んで堪える。
「だが駄目な部分がある。それは職業だ。君に合っていない」
「……え?」
「君は才能があるが、それを潰してしまっている。どうだろう。私に教えを乞う気はないか? ああ、金なんて取らない」
いきなり襲い掛かってきた自分より圧倒的に強い相手から、弟子にならないかと言われている。
ラズィは不快感で顔を歪めた。
「……戦う必要、あったわけ?」
「私の目に狂いが無いのか確かめたかったというのがある」
「じゃあ、なんで私を?」
「言ったろう。才能がある。だから私の弟子にしたい」
「なぜ」
獅子は腕を組んで鋭い眼光でラズィを睨んだ。
「どうしても、殺したい奴がいる。だが私ひとりでは無理だ。だから私と、いや、私以上に才能溢れる者と共闘しなければならないと考えた」
自分の強さに固執していない相手を見て、ラズィの心が揺らいだ。
理由は何であれ、獅子の技術は本物だ。技を盗み実力をつければ、姉を守る力を身につけることができるかもしれない。
「ねぇ……私にむいている職業ってなに?」
聞くと獅子は鋭い歯を見せた。
「暗殺者」
そう言うとダガーを地面に落とした。鋭い切れ味を物語るように、それは地面に突き刺さった。
「力を身につけたければ、そのダガーを手に取れ。安心しろ。私の指導で死にはしない」
獅子は自分の鬣を撫でる。
「死ぬほど厳しいがな」
それを聞いて、ラズィは口角を上げた。
「……力を身につけたらさ」
「ん?」
「まっさきにあんたを殺してやる」
「おお、それは楽しみだ」
小馬鹿にするような声が頭上から聞こえた。
ラズィは自分の魂が燃えるのを感じながら、木剣を放り捨て、ダガーを手に取った。
「よろしく頼むぞ、ラズィ」
「……そっちの名前は」
「トムだ」
ラズィは腹の痛みを堪えながら、立ち上がり、トムを睨み上げた。
かくして、ラズィは暗殺者となり、トムの下で技術を学び始めた。
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