第70話「ハート・"キル"・ホーネット」
南地区の正門近くに、今はもう使われていない建物があった。
3階建ての建物で、以前までは全部の階に店が入っていたのだが、今ではもぬけの殻だ。
両隣が観光客を招き入れる宿泊所であるため、この建物は異質な存在として扱われている。
昔、この建物内で無差別の殺人事件が起こり、その怨霊がここに渦巻いているという噂がサフィリア宝城都市では流れている。
事実、この建物内に店を構えようとしたとき、不可解な現象が次から次へと起こったらしい。
怨霊たちの悪戯。
それは、決して間違いではない。
★★★
階段で2階に行くと、一番奥にある扉の前に、ふたりの男女がいた。
男は身長が高く、がっしりとした体型をしている。胸板が厚く、布服の上からでも筋肉が発達しているのがわかる。
女の方はスラリとした長い手足が特徴的だった。筋肉があるようには見えない。ヒールを履いており、これから出かけるといったような風体だ。
魔術師の衣装に身を包んだラズィは首を傾げながら扉に近づく。
「止まれ」
男が低い声で言った。
ラズィは何の反応も示さず、杖で地面をつきながら近づいていく。
「申し訳ございません。ここは現在立ち入り禁止です。魔術師のあなたには関係のない場所です」
女の方がやんわりとした口調で言ったが、それでも足は止めない。ローブを揺らしながら歩く。
「……聞こえてないのか?」
「警告はしましたよ。これ以上近づく場合は実力」
女の声が終わる前に、ラズィは杖を上に放り投げた。
両者が杖の方に目を向ける。
瞬間、ラズィは踏み込みで距離を潰し、身を屈めて拳を引く。
はっとした男が目線を下に向けると同時に、ラズィは拳を男の股間に叩き込んだ。
「がっ……!!」
服を掴み、立ち上がる勢いで男の顎に、突き上げるような頭突きをかます。
女が慌てた様子で腕を動かすが、その動作は遅かった。
ラズィは女に向き直ると、無骨な前蹴りで女の股関節を押す。折りたたまれるように動かされ、女は尻もちをついた。
同時に、ラズィのトーキックが女の顔面に叩き込まれた。鼻尖が潰れ、血が醤油差しのように零れ落ちる。
「~!?~~~!!」
慌てて女は顔を押さえ、声にならない声を上げた。
その側頭部に左足のミドルキックを見舞う。普段は脇腹や肝臓を狙う技であるが、今回は容赦なく、爪先をこめかみに叩き込んだ。
当たったと同時に女は気を失い、横向きに倒れた。
男は股間を押さえて、腰を浮かせてうつ伏せで倒れている。なんとも無様な格好だった。
その項に向かって、ラズィは踵落としを見舞った。
ゴキン、という気持ちのいい音と共に、男が痙攣し、やがて止まった。
「”ホーネット”」
部屋の中から声が聞こえた。
自分のコードネームを呼ばれたラズィはふたりを放っておき、扉を開けて中に入った。
埃っぽい空気が襲い掛かり、ラズィは鬱陶しそうに手で払う。
空っぽに近い空間だった。天井から裸でぶら下げてある電球と、その下にあるテーブル以外何もない。棺桶の中にいるような部屋だった。
そのテーブルに、男が一人座っていた。この空間には似合わない、高級なダークスーツに身を包んだ男は、ウイスキーを瓶のまま飲んでいた。
まだ開けたばかりなのか、あまり匂いは充満していない。
男は猫科の肉食獣を彷彿とさせる鋭い眼光で、部屋に入ったラズィを睨んだ。
獅子の顔に、赤黒い鬣。そして毛深い手。
ラズィの倍近く体は分厚く、座っていても高身長であることがよくわかる。
シャーレロス族の戦士であり、ラズィの雇い主である”トム”の表情は、いつも怒りを浮かべている。
「あそこまでする必要があったのか?」
扉を守っていたふたりのことを指しているのだろう。ラズィはトムの対面に座ると鼻で笑う。
「もっと強い人を配置した方がいいですよ?」
「馬鹿を言え。お前と同等の奴なんか、私は持っていない」
「お褒めの言葉、有難く頂戴します」
「御託はいい。まず話を聞かせろ」
トムはウイスキーを口に持っていくと、一気に飲み干した。
そして後ろに空き瓶を放る。
「ゾディアックの他に、もう一人ターゲットがいたな」
パリンという音が響き渡る。
「ラビット・パイの幹部、No.5のジーニアス・イガ。あいつを仕留めたのか?」
「ええ」
「証拠を見せろ」
ラズィはため息をつくと、ローブの内側からある物を取り出し、テーブルに置いた。
「彼が所持している5番倉庫のカギです。ラビット・パイはでかいキャラバンですからね。それぞれのナンバーが対応した倉庫のカギを――」
「これじゃ証拠にならない」
「どうしてですか?」
「盗んできたかもしれないだろう?」
トムの目の奥が光る。
「……明日になればわかりますよ」
「今わかるものを持ってこないで、何が殺し屋だ」
呆れたような、それでいて怒りに塗れた吐息を出すと、トムは立ち上がった。
「ホーネット……舐めているのか。今この場で、お前を殺してもいいんだぞ?」
「いいんですか? そんなことを言って。私以上の人員を持っていないとあなたは言っていましたね。私がいなくなるのは困るのでは?」
「……」
「それでもやるのであればどうぞ」
ラズィも立ち上がって、挑発的な笑みを浮かべ相手を睨み上げる。
「あなたを殺して、私は帰りますが」
ふたりの殺気が部屋に充満する。2メートル以上ある巨大な獅子であるトムと、魔術師のラズィ。
普通に考えれば、ラズィに勝ち目はない。
だが、トムは知っていた。戦えば双方無事では済まないことを。
「……やめだ。不毛だ」
トムは座ったが、ラズィは立ったまま見下ろしていた。座った瞬間、トムが襲い掛かってくる可能性があったからだ。
「話を戻そう。次はゾディアック・ヴォルクスだ。こいつに関しては心を殺すだけでもいい。しっかりと仕留めろ」
「……なぜ、彼を? 仕留める意味がありません。彼は目立たないガーディアンです」
「確かに、セントラル内ではただのお飾りだった。それが今はどうだ? ドラゴンを殺し、パールの冒険者を救って、人気を集め、仲間を作っている」
トムは拳を握った。
「あいつが力を持つと、害しかないぞ」
「それはいったい」
「深く聞くな。仕留めろ。それだけでいい」
言葉を遮って言うと、ラズィを指でさす。
「仕留めることができたのなら、お前の姉を解放してやる。お前はこの稼業から足を洗えばいい」
その一言を聞いて、ラズィは目を見開いた。
「疑うな。嘘を吐く意味がないことを、お前も知っているだろう」
「……それでいいのですか」
「俺はな、この時を待っていたのかもしれない。ゾディアックに……復讐するこの機会をな」
トムは恨みのこもった声でそう言った。
恨んでいる理由が気にはなったが、仕事の内容と達成した際の報酬を頭の中で反芻すると、ラズィは踵を返し、扉に手を振れる。
「しくじるなよ、ホーネット。お前がしくじれば、姉の命は無いと思え」
ラズィは足を止め、振り返る。
「……約束を守ってくださいね。破ったら殺しますから」
そう言うと部屋を出た。
倒したはずのふたりの姿はなかった。それどころか、血の跡もない。
「成功を祈っているよ」
振り返ると、トムの隣には、さきほど相手をした男と女が立っていた。
首を折った男は何事もなかったかのように立っており、鼻が潰れていた女の顔には、傷ひとつない。
また下らないことをしてくれたな。
ラズィはそう思い、不快感を示すように力強く扉を閉めた。
★★★
扉を見ていたトムが笑い、ポケットから筒状のなにかを取り出す。
「よろしいので?」
女が声をかけた。
「あの女。あまりにも態度が失礼すぎるような」
「失礼だから、ちょっと灸を据えてこい。そう言ったらお前たちは動くのか? さっきみたいにやられて終わりだろう?」
女は押し黙った。
「実力があって結果も残している。お前たちとは違ってな。あれくらいの態度は可愛いものさ」
トムは筒状の何かを自分の右目に押し当てる。
「あぁ……綺麗だな」
それは万華鏡だった。
人間の骨で作った外殻の中に、獣人の血液で作られた結晶が入っている。
「知っているか? 他人の血液に魔力を流すと、さまざまな色に輝くんだ」
トムはクツクツと笑う。
「ゾディアック……お前の血の色は、何色に輝くんだ……?」
薄暗い部屋に、不気味なトムの笑い声が響き渡った。
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