第56話「憧れていた存在」
(ベルクート!!)
自室で荷物を纏めていたベルクートが振り向くと、辛そうな表情を浮かべたアリシアが立っていた。
相変わらず70を超えた老人には見えない見た目をしている。黒のワンピースが、白い肌に細身という体によく似合っていた。
「おっす、師匠」
(……おっす、じゃないですよ)
寂しそうな声を出すアリシアをからかうわけにもいかず、ベルクートは力なく微笑んだ。
あれからベルクートは騎士団の裁判を受けた。そして異例のスピードで脱退命令……いわゆる”クビ”を宣告された。
命令無視に、まだ生きていた”かも”しれない団員を殺した罪による判決だと言い渡された。ガーディアンとしてのランクを奪わないだけマシだと思えとも言われた。
ベルクートを弁護するため、アリシア含む6番隊の団員たちが尽力したが、雀の涙程度の効果しか期待できなかった。
上の連中や他の隊の者たちから、ベルクートは疎まれていたのを知っていた。
努力だけでのし上がった天才的な魔術師、ベルクート・テリバランス。
使う魔法から”ザ・ヒート”という愛称で呼ばれ、その実力は、溶岩の中で生息する双頭の魔獣、オルトロスを単独で撃破してしまうほど。
騎士団が束になってかかっても苦戦した相手をたったひとりで倒すほどの実力者。おまけにそいつが所属しているのが、雑用担当の6番隊。
実力がものをいう縦社会の騎士団にとって、ベルクートは面白くない存在そのものだった。
だから、裁判の判決が下された瞬間、ベルクートは気がついた。
これはサレンたちを処理する計画ではなく。
自分自身を追放するための計画だったのだと。
そしてそれに気づくのには遅すぎた。
きっとアリシアもそうだろう。だから申し訳なさそうな表情を浮かべているのだ。
「なんつぅ顔してんだよ、師匠」
(だって)
「何も処刑されるわけじゃない。また飲みくらいは行けるだろう」
(行けませんよ、もう)
悲し気な言葉が脳内に響き渡った。
騎士団はギルバニア王国の顔とも言うべき組織であり、人々から尊敬される存在である。そのため、そこで不祥事を起こした者は、この国で生き辛くなる。何か酷いことをされるわけではないが、国民から差別されるのは目に見えている。
(ベル。逃げてください)
アリシアを見ると、覚悟を決めた視線を向けていた。
(恐らく、騎士団の一員ではなくなったあなたを狙う輩が多く出現するでしょう)
「……だろうな」
(王国内で魔法を使えば、隊長格も出てきます。だから襲われる前に国外へ)
「なぁ師匠」
ベルクートは言葉を遮り、言った。
「あんたも、知ってたのか?」
アリシアは驚いた表情を浮かべ、次いで悔し気に唇を噛んで、頭を振った。
(……ごめんなさい、ベルクート。私が、駄目なせいで……)
ベルクートはため息をついてアリシアを抱きしめた。
「悪い、”ばあちゃん”。最後まで俺の味方だったのに、疑っちまって」
(これからもですよ)
アリシアが見上げて、ベルクートの服を強くつかんだ。
(あなたは私の、一番の弟子です。だから生きてください。生きてまた会えたら、飲みに行きましょう)
そう言って微笑む。
(私、下戸ですけど)
冗談を言う師匠を可愛らしいと思い、ベルクートは笑顔を返すと、アリシアの前に片膝をついて首を垂れた。
最も尊敬する者に対する、最高の礼を、アリシアに向けてしてみせた。
★★★
出立は明日の朝だと言っていたが、ベルクートはその日の夜に、最小限の荷物を持って国を出た。
ギルバニア王国の中は広かったが、国内に設置された転移装置を使えば裏門にすぐ行ける。
裏門には門番がいたが、ベルクートの姿を見ると黙って非常用の門を開けた。
「ありがとよ」
「ったく。ギャンブルでお前に負けた分、まだ取り戻せてねぇのによ」
ベルクートはニッと笑った。
「勝ち逃げって奴だ。悪いね」
それがギルバニア王国との、別れの言葉であった。
門を出てしばらく歩いていたベルクートは、トレンチコートの内ポケットから一枚の手紙を取り出した。
(これ、サレンさんからの手紙です。読む、読まないはあなたの自由です)
アリシアの言葉を思い出す。
ベルクートはそれをしばらく見つめた後、立ち止まり、封を開けようとする。
「……人殺し」
どんな言葉が書き連ねてあっても、あの言葉と顔は、消えそうにない。今でも、ずっと頭にこびりついているのだ。
好きな人の、憧れの人の言葉だ。良かろうと悪かろうと忘れられない。
断ち切れないだろう。
いや、断ち切れなくていいのかもしれない。
「適当に生きようか」
そう。それがいい。貯金はないが。酒やクラブで金を使い過ぎたせいだ。
これからはしっかり節約して、目立たないように、いや、ちょっと金を稼いだら、どこかで静かに暮らしてさっさと死のう。
ベルクートは無理やり自分を納得させた。
そして、手紙を破いた。
バラバラになった手紙を、手の平の上に広げると、夜風に乗って紙吹雪が舞った。
まるで自分の心にあった、幻想というガラスが、粉々になって飛んでいるようだった。
「さようなら、俺の憧れていた存在」
どうか俺を恨んでいてくれ。
俺を恨んでくれ。
恨みながら、生きてくれ。
ベルクートは再び歩き始め、あることを思いついた。
「自由の国、行ってみっか。気になってたし」
自由の国、サフィリア宝城都市。
キャラバンが集まる街で、金を稼いでみよう。
ベルクートは、頭の中でサレンの恨み言を反芻しながら歩き続けた。
頬に涙が伝っているのを気づかずに、歩き続けた。
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