第53話「石像」
「君は、亜人街の子か?」
レミィの問いかけを無視して、少年はふたりが出ていったセントラルの出入口を睨みつける。
ここで自分の役割は終わりか。
いや、断じて違う。
自分にだって何か、できることはあるはずだ。
「決めた」
「ん?」
何かできることはあるはずだ。それをやろう。
そして、ゾディアックから礼のセリフを聞くんだ。そしたら恩を売れる。納得する答えを聞けるかもしれない。
だいたい、ありがとうくらい言われてもいいだろ。
少年は、ふたりの後を追うように駆け出した。
「お、おい! 君!!」
レミィの制止を呼びかける声が届く前に、少年はセントラルから出ていった。
★★★
セントラルを出て周囲を確認する。
ゾディアックもあの緑髪の男も見当たらない。ふたりはすでに現場に向かったのだろうか。
転移魔法を知らない少年は馬を使ったのだと思い、フーマ城へ向かおうとする。
少年は馬車を使わず――そもそも獣人を含む亜人たちは、馬車など使えないのだが――マーケット・ストリートへ向かう。
通りは相変わらずの賑わいを見せていた。少年は人々の合間を縫うように走り続ける。小柄であるため、隙間を抜けるのはたやすいことだった。
日頃からスリを続けているせいか、少年のスピードは速かった。
「おい、待ちな」
正門まであと20メートル付近といった所で、目の前に壁が現れた。いや、壁ではない。大きな鎧を身に着けた、ハゲ頭で厳つい顔をしたガーディアンが立ち塞がった。
巨漢という言葉が似合うガーディアンを前にして、少年はバツが悪そうな顔をする。
興奮していたせいか、いつもは使うはずのない広い通りを使ってしまった。
そのせいか、動きが少しばかり目立っていたのだろう。他の亜人たちは、皆死んだような目で、道の端をコソコソと歩くのが普通だ。だから余計に目についたのだ。
少年に何かを嗅ぎ付けた男は、ふんと鼻を鳴らし、ゴミを見ような視線で見下ろす。
「坊主。お前ら亜人が、人間様の通りを使うことができないのは知っているよな?」
「……」
「何か言えよ」
巨大な拳骨が、少年の頭を小突いた。小手をしていなかったのが幸いだったが、その衝撃は容赦なかった。
少年の口内に鉄の味が広がる。
「亜人如きがな、このストリートを堂々と歩いてんじゃねぇ。獣臭くなるだろうが」
「……すいません」
「すいませんだぁ!? ちげぇよなぁ!」
「申、し訳ございません」
「何立って言ってんだよ。犬なんだから四つ足になれや」
犬じゃなくて狐だ。少年は歯嚙みした。
言われた通り両膝をつこうとすると、男は少年の耳を掴んだ。急に引っ張られたため、痛みが全身をかけた。
「いっ!!?」
「坊主。多少年は食ってるらしいな。ならわかるはずだ、広い通りを歩いちゃいけねぇことくらいはな。それを無視するくらい急いでいるじゃねぇか」
男は顔を近づけていった。息が臭い。少年は鼻を押さえたくなった。
周囲にいる人々は無視するか、見世物を見るように、半笑いでふたりを見ている。何人かはアンバーシェルを構えていた。
「何かいいことでもあったのか? 俺に話してみろ。そうしたら見逃してやる」
「……何もない」
瞬間、男の拳が飛び少年の頬を殴った。
口の中が切れ、少年は口から血を吐き出す。
「話せ」
「本当に、何もない、です」
男は舌打ちすると、再び拳を振り上げた。
少年は痛みに耐えるよう目を瞑った。
「すいません、ちょっとよろしいでしょうか~」
「あん?」
気の抜けるような声が聞こえた。男は首を横に向け、拳を下げる。少年も目を開け、話しかけてきた人物に目を向ける。
桃色のもじゃもじゃとした髪が特徴的な、糸目の女性がそこには立っていた。手には木の杖ととんがり帽子を持っており、小豆色のローブを身に纏っていた。
人間族から見たら、美人と言われる見た目だろう女性は、一歩男性に近づく。
「往来であまり騒ぐべきではないかと~。このガネグ族の男の子が何かしたわけでもないですし~」
ほわほわとした喋り方だったが、どこか透き通るような声に、少年は聞き入っていた。
だが男は不機嫌な表情を浮かべると、手を離して女性の方を向く。
「嬢ちゃん。この亜人は悪いことしてんだよ。だから口挟むなや」
「悪いこと?」
「亜人が大通りを歩いている。充分悪いことだろ?」
周囲から微かに「そうだ」という声が聞こえた。
女性はクスクスと笑う。
「何がおかしい」
「いえいえ~。私としては、体の大きいあなたが、ここで立ち止まっている方が、悪いことだと思いまして~」
男が額に青筋を立てた。
やばいと少年は思ったが、動向を見守ることしかできなかった。
「随分と、生意気な口利いてくれるじゃねぇか。魔術師風情が」
「そういうあなたは、重戦士ですね~」
「そうだ。お前ら後衛職を守るために、敵の真ん前に立つ重要な職だ。わかるか。お前ら紙装備のゴミ共は、俺に生意気なこと言える立場じゃねぇんだよ。むしろ感謝するべきなんだぜ?」
女性は口元を隠して再び笑った。
「脳味噌まで筋肉でできている人しか就けない職で、よくもまぁ粋がれますねぇ~」
「あ?」
「紙装備のゴミですか。ではこちらも言わせてもらいましょう」
糸目が少しだけ開き、エメラルドグリーンの瞳が、男を射抜く。
「壁が喋ってんじゃねぇよ。それしかできねぇ能無しが」
その言葉はのほほんとした先ほどまでの言葉とは違い、侮蔑に塗れた言葉だった。
「んだとこのクソアマァ!! ぶち殺されてぇか!!」
男は怒りを爆発させた。罵声を浴びせると同時に女性の胸倉をつかむ。そして力任せに引っ張り、自分の方に引き寄せようとした。
だが、両者そこで動かなかった。
何をしているんだと少年が疑問に思い、男の顔を見る。
男の顔は、驚愕の表情を浮かべていた。
「あ……?」
重戦士という言葉通り、男は自分の力に自信があった。毎日重たい武器と重厚な鎧を身に着けながら歩いているため、異常なまでに太く、そして堅い筋肉は、決して見掛け倒しではない。
なのに。
なのに。
「なんで」
たったひとりの女性、それも非力なはずの魔術師を、引き寄せることができなかった。
まるで石像を引っ張るような錯覚に陥る。相手の体内に流れる魔力を見ても、魔法を発動したようには見えなかった。
「まだやりますか?」
男の動揺を見透かしたように、女性は口角を上げた。
「私ね。こう見えて、”喧嘩”、強いんですよ~?」
得体の知れない、不気味な気配。ガーディアンとして生活をするなかで身に着けた、男の危険信号が真っ赤に点灯した。
男は舌打ちすると手を離し、唾を吐いてその場から離れていった。
周りにいたギャラリーたちも、何が起こったか理解できてなさそうだった。少年も、その謎の光景に見入っていた。
「大丈夫ですか~?」
糸目になった女性が少年に手を差し伸べる。
「あ、ああ」
手を掴み、立たされる。女性は優し気な微笑みを浮かべていた。
「あ、あんた、何で俺を助けた?」
怪しみながら聞くと、女性は腕を組んで言った。
「私、ラズィ・キルベルと申しまして~、ゾディアックさんの仲間なんです。私~。それで今日セントラル言ったら、あなたが話しているのが店の外から出も聞こえて~。なんでも「フーマ城」でビオレちゃんがピンチらしいじゃないですか~」
どこか楽し気にラズィと名乗った女性は喋り続ける。
「だから助けに行こうと思って。そしたらあなたが襲われているのが見えたので助けました~。あなたは大切な恩人ですからねぇ~」
「あんたも助けに行くのか」
「ええ、まぁ~、お仕事ですからね~。そうしようかなぁと」
「そうかよ」
「来ますか~? 一緒に~」
少年の目が見開く。ラズィは笑みを崩さず、もう一度手を差し伸べる。
「走るよりも、一瞬で移動した方が楽ですよ~?」
「……いいのかよ。俺、獣人だぜ?」
「構いませんよ~。あなたが行きたくないと言うのであれば、もう何も言いませんが~」
この女性を信頼してもいいのだろうか。いったい何のメリットがあってそんなことをするのか。少年には理解できなかった。
だが、ここを使わない手はない。
「い、行くよ! 邪魔はしないからさ!」
必死にそう言うと、ラズィが少しだけ目を開く。
「憧れているんですねぇ」
「は?」
「いえいえ~、じゃあ行きましょうか~。ゾディアックさんに会いに」
ラズィが杖で地面を二度叩くと、淡い光がふたりを包み込んだ。
次の瞬間、ふたりの姿が消え失せ、周囲にいた人々は顔を見合わせた。
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