第45話「青狐」
浅く、短く呼吸を繰り返しながら、人通りの多い道を走る。時に道を折れ、どこに向かったかわからなくさせる。
普通だったら自慢の足で逃げ切れるため、ここまで行う必要はない。だが、今回の相手はあのドラゴン殺しのガーディアンだ。念には念を入れておこう。
少年は前もって、そう決めていた。
その結果か、あの黒い騎士が追いかけてくる気配はなかった。
少年は先程声をかけられたことを思い出し、ほくそ笑む。余裕な雰囲気を醸し出していた相手から、あっさりと逃げることができたからだ。
「ざまぁみろ」
きっと、あの兜の下は、悔しさで歪んでいるだろう。
細路地に踏み込んだ少年は喉奥を鳴らした後、スピードを緩め呼吸を整えながら、曲がり角を曲がった。
その時、目の前に大きな影が姿を見せた。
少年の顔が徐々に上がっていく。そして、捉える。
暗黒騎士、ゾディアック・ヴォルクスが、そこには立っていた。その姿は兜や鎧も相まって、悪魔のようだった。
「いぃ!!?」
少年は驚きと怯えが混ざる悲鳴を出し、身を翻し、再び駆け出した。
なぜ追いついている。というか、先回りされているんだ。
疑問を浮かべながらも必死に逃げ、足を動かし続けていると、亜人街の入口を示す看板が見えてきた。
あの中に入ってしまえば逃げ切れる。少年は勝利を確信し、路地から飛び出した。
が、物凄い力で引っ張られた。
「ぐえっ!!?」
間抜けな声を出しながら、少年は後方に投げられる。襟を掴まれたせいで喉が圧迫され、苦し気に咳を出す。
呼吸を整えながら視線を前に向けると、ゾディアックが立っていた。その手にはローブが握られていた。
少年は慌てて顔を隠すが、遅かった。
「君は……」
ゾディアックは少年の姿に見覚えがあった。狐顔に青みがかった灰色の体毛。コバルトブルーの瞳が爛々と輝いている。
以前、ゾディアックの家を覗いていた獣人だった。
「くっそ、マジかよ。ちょっと足速すぎじゃね……」
逃げ足には絶対の自信を持っていた。なのに容易く追いつかれた。
「盗んだもの、返してくれ。それだけでいい」
なるべく優しい声で言ったが、帰ってきたのは鋭い視線だった。
「どうせ捕まえて、オレの皮剥いで、売るつもりだろ」
少年は睨む。ゾディアックは頭を振る。
「そんなことはしない」
「うそつけ!! オレのダチは、そうやって殺されてバラバラにされて売られたんだ!!」
「そうか」
「そ、そうかじゃないだろ! クソ、舐めやがって!!」
腰に手を伸ばした少年は、弧を描く短剣を取り出し立ち上がる。
ククリナイフだ。白兵戦が得意な兵士が持っていたとされる、近距離戦闘用の武器。
ゾディアックは手を差し伸べる。
「やめろ。戦う気はない」
「やかましい! 捕まったらオレたち亜人は終わりなんだよ! くそ! こうなったら、やってやらぁ!!」
どうやらやる気らしい。ゾディアックはため息をついた。
武器を取らない相手を見て、少年は怪訝そうな表情を浮かべる。
「んだよ。背中の大きな剣は飾りか!?」
「これはモンスターを倒す武器だ。威力はそれなりだが、持ち主の……」
「聞いてねぇよ!!」
少年は爪先で地面を蹴った。
まるで低空飛行しているかのような超速度で、ゾディアックとの距離を潰し、懐に入る。
ゾディアックはその速さに驚いた。視認はできるため、ロゼより少し遅い程度か。
少年がククリナイフを振りかぶる。
が、その動作は遅かった。どうやら足の速さ以外はてんで遅いらしい。
ゾディアックは右手の人差し指で少年の額を小突く。
「いたっ!!?」
少年の体がよろけ、尻もちをつき、再度声が上がる。
「いてて……くっそぉ!!」
「やめておけ」
「うるせぇんだよ!!」
少年は再びナイフを振った。もう脅威でもなんでもない。
ゾディアックは膝を折って少年の腋に手を入れる。そして抱え上げた。
突然大地から足が離れたため、少年はバタバタと暴れる。
「は、はなせよ畜生!!」
「あ、危ない。ナイフで自分を切るぞ」
「じゃあ早く降ろせバカ!!」
「盗んだ袋を返してくれ。小銭だけしか入ってないけど、チョコを買うように用意したものなんだ」
「知るかよ、んなこと!! だいたい、金持ちが小銭でチョコレートなんか買ってんじゃねぇ! もっと大胆に買えよ!」
「でもお釣りが多いと、店側は大変だ」
「そ、そこは……あれだよ。釣りはいらねぇって言ってさ、羽振りのいいとこ見せんだよ。そっちの方がかっこいいじゃん」
ゾディアックはその光景を想像した。
「ナシよりのアリだな」
「いや、ナシよりのナシだろ。真剣に考えんなっつぅの」
体力が削られた少年は、諦めたように項垂れる。
「もう、いいよ。オレの負け。どこへでも連れてけ」
ゾディアックは少年を下ろし、膝を折って目線を合わせる。
「袋」
むすっとした顔で少年は盗んだ袋を渡した。
「金持ちのくせにケチケチすんなよ。ドラゴン殺したくせに、ちっちぇ奴」
「盗んでいい理由にはならないだろ……」
兜の下で笑みを浮かべながら言った。ここまで追い詰められても強気な態度を崩さない獣人は、初めて見た。
袋の中身を確認し、少年に背を向ける。
「もう、こんな危ない真似はするなよ」
「え、ちょ、ちょっと待ってよ!!」
足を止め振り向くと、少年が気まずそうに地面に視線を向けていた。
「いいのかよ。オレ、悪いことした亜人だぜ? 殺さなくていいのか?」
「殺して欲しいのか?」
「ち、ちがう!! なんで殺さないんだって思ってさ」
答えようとして、ゾディアックは息を吐いた。
「金が戻ってきた。だから殺す理由がなくなった。それだけだ」
そう言うと、ゾディアックは少年に背を向けその場を去っていった。
あとに残された少年は、そんなゾディアックの背中を見つめるだけだった。
初めてだった。悪さをしても、こんなに怒らないガーディアンを見るのは。
ガーディアンを含む人々は皆、亜人をゴミ扱いしているだけだと思っていた。
だが、ゾディアックだけは違った。
少年の足は、自然とゾディアックのあとをつけるように、動き始めた。
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