第33話「帰還」
「ただいま」
家中に聞こえるように言うと、ロゼが素早くリビングから飛び出してきた。
玄関に立つ、ゾディアックとビオレを見て、目を丸くする。
「た、ただいま」
「……えっと、ただいまです、ロゼさん」
ロゼは破顔し、ふたりに頭を下げる。
「おかえりなさいませ、ゾディアック様、ロゼさん。本当に、ご無事でなによりです!!」
花も恥じらう、可愛らしい笑顔。
ああ、帰ってこれたんだと、ゾディアックは笑みを浮かべた。
★★★
「あら~……」
装備を外し、体を清めたゾディアックを見て、ロゼは大口を開けた。
全身が青痣だらけだった。特に、体の前は痛々しいほどに、青紫色に腫れあがっている。
「これ、治療しましたか?」
「……我慢してました」
「てい」
真顔になったロゼが、その痣を人差し指で突く。
「いったぁ!!!?」
「馬鹿ですか、あなたは。一歩間違えれば致命傷じゃないですか!!」
大声を上げた。ビオレは風呂に行っているため、誰もロゼの言葉を邪魔する者はいない。
「なんでさっさと治さないんですか!! 鎧脱ぐの恥ずかしいとか顔見られたらやだとか言っている場合じゃない傷ですよ!!」
「……おっしゃる通りです」
「もう!! ばか!」
怒気が混じる声を出しながらも、ロゼは優しく痣の部分を撫でる。そして、その手の平に、緑色の光が点る。
蛍火ほどの小さな光は、ゾディアックの痣を消していく。
「やっぱり、無理にでもついて行けばよかったです。まったく。あなたが死んだら、私はどうすればいいんですか」
ロゼの目尻に涙が浮かぶ。
「ロゼ」
「本当に、無理しないでくださいよ」
「大丈夫だよ。俺は死なないし」
「死ななくても、大好きな人の、傷だらけの姿なんて……見たくないです」
唇を尖らせるロゼの頬が、朱に染まる。
「ごめん、ロゼ」
ゾディアックが微笑んで言った。ロゼは拗ねるような眼を向け
「許しません」
そう言って唇を合わせた。
ビオレが風呂から上がったのは、ゾディアックが治療を終えてからだった。
★★★
「さぁ、ご飯の準備しますね! ゾディアック様とビオレさんは座っていてください!」
意気揚々とリビングで準備を進めるロゼを見て、ビオレは慌てる。
「あ、あの! ロゼさん」
「はい? どうされましたか?」
「わ、私、ここにいていいんでしょうか……いや、ここが嫌というわけではなくてですね、ちゃんと許可を貰おうと思って……」
ロゼは唸り、人差し指を顎に当てると、椅子に座るゾディアックをチラと見る。
「いいですよね」
「俺は構わない」
ロゼは頷くと、ビオレに笑みを向ける。
「大丈夫ですよ。ここに一緒にいて」
それを聞き、ビオレは泣きそうになりながら頭を下げた。
「さぁ、めでたいことですし、今日は豪勢な料理を作っておきましたから、みんなで食べましょうね!!」
「……じゃあ、俺も作ろうかな」
ゾディアックが立ち上がった。
「え、えっと……何を作るのでしょうか」
ロゼが苦笑いを浮かべて聞く。
「パンケーキ」
「焦げ円盤ではなく?」
「違う!! 今回は失敗しないから! ラミエルと戦った俺なら行ける!!」
そう言って、ゾディアックはキッチンに入り、調味料や材料、道具を整えていく。
「パンケーキ……?」
聞きなれない単語を聞いて、ビオレはゾディアックの調理風景を覗き込む。
ゾディアックは冷蔵庫から卵を取り出し、優しく台で叩く。ヒビが入り、割る。
それから黄身が落ちないよう、ふたつに割れた殻に移しながら、白身を落としていく。
メレンゲを作るためには、卵白だけを泡立てる必要があるのだ。
その作業を終えると、ゾディアックは卵黄の方に牛乳や薄力粉を叩き込み、泡立て器でぐるぐるとかき混ぜていく。
バニラエッセンスなるものを手に取り振る。
1回、2回、3回。
微かに甘い香りが立ち上った。
そうして順調に素材が混ぜ終わり、生地が完成した。
次に卵白が入ったボウルを置き、ハンドミキサーを手に持つ。少量の魔力で動く最新の機器だ。
回転の強さを最大にし、卵白に突っ込む。本によると、3回に分けてグラニュー糖を入れるといいらしい。
2分かき混ぜる。まだ液体状だが、グラニュー糖を投入する。
5分経過。卵白が白くなったため、グラニュー糖を投入。
7分経過。固まらない。グラニュー糖投入。
15分経過したところでハンドミキサーを止め、持ち上げてみる。
本で示されている写真は、ゴムベラで塊が取れるほどの強度を誇っていた。
が、ゾディアックの作ったメレンゲは、べちゃべちゃとした液体状のままだ。
「……よし」
「よしじゃないですよ。完全に失敗しているじゃないですか」
「い、いや、ワンチャン」
「ねぇですよ。現実を見てください」
ゾディアックは唇を尖らせロゼを無視し、生地とメレンゲ”もどき”を混ぜる。
泡を潰さないように、と書いてあったが意味がわからなかった。一気に混ぜ終わると、フライパンに油をひく。今回は水溜りではない。
それから慎重に生地をおたまですくい、フライパンにのせていく。
平べったく、重ねるように生地をのせていく。
これで弱火で2分温めれば、生地が膨らみ、お店に出せるようなパンケーキができるだろう。
ゾディアックは、コンロに魔力を流して火をつける。
が、2分後。
全く膨らんでない、平べったいパンケーキが出来上がった。
それに加えて、若干焦げている。
「……」
一目で、失敗だとわかる見た目をしていた。状況がわからないビオレは、真剣な表情で固まるゾディアックと、ジト目のロゼを交互に見つめた。
「……膨らまなかったよ」
「でしょうね」
「で、でも! 焦げてないから!!」
「まぁ前回よりはマシですかね。おめでとうございます、ゾディアック様」
「……なんでメレンゲ固まらなかったんだろうなぁ」
「特別な何かが必要なのでしょうか」
「何かって?」
「愛情?」
「注いでる」
「それとも魔法?」
「あ~、それかも。じゃあ……」
会話をしているふたりをよそに、ビオレはパンケーキを見つめる。
「……」
そして、手を伸ばして食べた。
生焼けだったが、クリームの甘すぎず、それでいてふわりと香るバニラが、ビオレの味覚を刺激した。
「美味しい……」
小さく、笑みを作りながら言った。
ゾディアックとロゼはそれを見て、顔を合わせた。
「……成功?」
「ギリギリ合格点ってところですね」
ふたりは笑い、それから豪華な食事会が始まった。
3人の楽しそうな話し声は、夜遅くまで続いた。