第28話「刻」
息を吐くような、わずかな声量でラミエルに言葉を告げた。
恐らく聞こえていないだろうが、それで構わなかった。
ゾディアックは大剣を構え、大地を蹴った。同時に天を仰いでいたドラゴンの顔がゾディアックに向けられ、山をも飲み込むほどの大きさを持つ火球が口から放たれた。
轟音を立てながら迫りくる巨大な火球は、相当の高熱であるせいか、周囲の景色を歪ませていた。
それでもゾディアックは足を止めず、正面から立ち向かう。火球が放つ眩い光のせいで目が眩むが、足を止めはしなかった。
そして火球が間合いに入った瞬間、ゾディアックは一歩踏み込み、大剣を振り下ろした。
刀身が接触すると同時に、火球に込められた魔力が爆発し、巨大な火柱が天空へと昇った。
天を支えるように聳え立つ青い巨大な火柱は、徐々に横に広がっていき、オーロラのような炎のカーテンを作り上げた。
夜の世界が、鮮やかな青に照らされる。
『流星群』が漆黒の騎士に当たった瞬間を、隻眼で確認したラミエルは、黒煙を吐き出しながら、立ち昇る火柱を見据える。
【――やはりな】
譫言のように、ラミエルは呟いた。
刹那、立ち昇る炎の壁が霧散する。まるで最初からなにもなかったかのように、跡形もなく火が消え失せ、世界が再び暗闇に閉ざされていく。
諦めの色が混じる隻眼に、剣を振り下ろした状態で静止しているゾディアックが映る。
夜の世界でも一際目立つ漆黒の姿。まるで血のようにも見える赤い輝きを放つ、大剣を握りしめる。
まるで死神の様であった。
片膝をついていたゾディアックは立ち上がり、血を払うかのように大剣を振ると、荒い呼吸を繰り返しながら、歩いてラミエルとの距離を詰めていく。
ラミエルは最早、咆哮すら放てなくなっていた。体力と魔力、己の魂と竜の誇り、全てを捧げた――全身全霊、至極の獄炎は、ゾディアックに撃ち負けた。
容赦なく足音が近づいてくる。矮小な存在である人間の足音が、いやに大きく聞こえる。
諦めず大口を開けるが、掠れた声しか出てこない。魔力が無くとも火を吐けるよう、腹に溜めていた燃料も底をついていたことに今気づく。
すると、突如力が抜けていく感覚に襲われた。嗚咽のような咆哮を数回し、巨躯が傾ぎ始める。自重が支えられず、視界がどんどん下がり、顔が地面に近づき、轟音と共に地に伏した。
口からは弱々しい呼吸音と、細々とした黒煙が出続けている。
それは命の灯火が、消えかけているのを物語っていた。
――死の刻が近い。
そう確信すると、ラミエルは瞳を閉じ、浅い呼吸を繰り返すようになった。
ゾディアックは止めを刺そうと、足を前に進める。
「待って!!」
その声にはっとして、ゾディアックは動作をやめた。
視線を声のする方に向けると、ビオレがこちらに向かって走ってきていた。
ビオレはゾディアックとラミエルの間に入り、両手を広げ、潤んだ瞳でゾディアックを睨む。
「殺さないで!! 私の……大切な友達を、殺さないで!」
涙を溜め、それでも力強くこちらを射抜くその目に気圧され、ゾディアックは一歩が踏み出せなくなった。
ビオレは両手を下げ、ラミエルに近づこうとする。
「ラミ……」
「待ちな!!!」
ビオレの足が止まる。
その声は聞き覚えのある声だった。だが、この場で聞くとは思わなかった。
ふたりの視線が横を向く。
「……ウェイグ」
そこには、粘着質な笑みを浮かべて立っているウェイグがいた。
★★★
「な……あのガキ」
ビオレを追っていたベルは、離れたところからウェイグを確認し銃を構えようとする。
その腕をラズィが掴んだ。
「落ち着いてください。ここで撃っては駄目です。”言われた通りに動きましょう”」
「……わぁったよ」
ラズィは口元に小さな笑みを浮かべた。
ベルは頷き、自分のポケットからアンバーシェルを取り出した。
★★★
「本物のドラゴン、ですか……初めて見ました」
ロバートが槍に手をかけながらも、ラミエルを見て感嘆の声を上げた。
「うえぇ。気持ち悪。さっさと素材にして、綺麗なアクセサリーにしちゃおうよ」
杖を構えているメーシェルは、相変わらず甲高い声を出した。
ウェイグは両手をパンパンと叩き、満面の笑みをゾディアックに向ける。
「いやぁ、流石だぜ。ゾディアック。正直言って見直したわ。たったひとりでガキ守って、こんなドラゴンを倒しちまうなんてよ」
「……」
ゾディアックは沈黙を貫く。が、呼吸音までは誤魔化せなかった。
「満身創痍か? まぁ無理もねぇか。ああ、そうそう。ここに来れたのは転移追跡石のおかげさ。高くてよぉ、全財産に近い金額失ってまで手に入れたんだ。おかげで金欠よ。でも」
背負っていたバトルアックスを手に取り、武器でラミエルを指す。
「このドラゴンの素材で、金は解決って話だ」
ビオレが立ち上がり、ウェイグを睨む。
ゾディアックも兜の下で眉間に皺を寄せた。
「なにを、言っているんだ……お前」
「おいおい。殺気立つなよ。別に名誉なんていらねぇし、このドラゴンの討伐勲章はお前らにやる」
ウェイグは口角を上げる。
「けど、素材はちょいと奪って……いや、お裾分けを頂いてくぜ?」
「……」
「寄生職って罵るか? それともハイエナ行為ってか? なんとでも言え。隙見せる方が悪いんだよ」
ウェイグの顔が大きく歪む。
「もう体もボロボロだろ? ゾディアックさんよぉ。あとのことは俺らに任せて休んでな。このクソドラゴン解体すっから」
ウェイグは背負っていたバトルアックスを手に取った。
「俺らの行為を黙ってるなら、ちゃんとサフィリアまで運んでやる。でもよ、邪魔するなら、この斧でお前の頭……」
「ふざけないで!!」
ビオレが大声を上げて、弓を取り出す。
「私の友達を、お前らみたいなヒューダにくれてやるもんか!!」
矢を引き、ウェイグに狙いを定める。
ウェイグは額に青筋を浮かべた。
「あぁ!? うるせぇんだよクソ亜人が!! ったく、お前らみたいなゴミみてぇな種族見てるとイライラすんだよ。劣等種」
「なに……」
「自分達じゃ何もできないくせによぉ、俺らヒューダ族の真似事ばっかして。お前らが役に立ったことなんて過去も今も含めて、一度もねぇんだよ。わかるか!? お前らは俺ら以下なんだよ!」
ウェイグはドラゴンを見てゲラゲラと笑い声をあげる。
「ただよ、こいつには感謝してるぜ。ゴミをいっぱい燃やしてくれてよ」
いったい、どういう生き方をしたら、こんな人間になるのだろう。ゾディアックは手に力を込める。
本気で黙らせようかと、剣を担ごうとした。
その時、ラミエルが目を開けた。
最初に気づいたのは、メーシェルだった。
「生きて――」
ラミエルは大口を開け、咆哮を放った。
直後ウェイグに迫った。牙が折れているとはいえ、その破壊力は健在。迫り来る死の恐怖に、ウェイグは対応できなかった。
「ひぃっ!!?」
口がウェイグを飲み込む寸前、ゾディアックが間に入る。
ウェイグを抱え、ラミエルの一撃を避ける。
メーシェルが悲鳴を上げ、杖を投げだしてゾディアックに近づく。ロバートも顔を引き攣らせ、ゾディアックの方へ向かう。
「な、なんで」
ウェイグは動揺の視線を向けた。
「……逃げろ」
「な、な」
ゾディアックはウェイグを睨む。
「さっさと行け!! これ以上ふざけたこと言ってるなら、あいつの餌にするぞ!!」
初めて聞く怒声に、ウェイグ達は気圧された。
同時に、ラミエルが咆哮を上げる。
「い、いやぁああああ!!」
「撤退しましょう! 早く!!」
メーシェルが悲鳴を上げて逃げ出し、ロバートがそれに続く。
「く、くそ……ふざけんな、クソが!!!」
苦し紛れの捨て台詞を吐いて、ウェイグも去っていく。
ようやく邪魔者がいなくなり、ゾディアックは武器を収めた。
先ほどの咆哮に、もう敵意はなかったからだ。
ラミエルの方を見ると、苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「ラミエル!! ラミエル!!」
ビオレが必死に呼びかける。
その声に反応し、ラミエルが瞳を動かす。
【……ああ。ビオレ。生きていたのだな】
「ラミエル……!!」
いつもと変わらない、優しい友の声を聞いて、ビオレの目から涙が零れ落ちる。
【済まぬ、ビオレ】
「え?」
【我は……道を違えた……】
ラミエルは口を開けた。
【――我を、殺してくれ】
その口元は笑っているように見えた。