「In The End」
荒れ狂う雷は、天が怒っているようであった。
滝のように降り注ぐ雨は天の涙のよう。しかしそれは慈悲の涙ではなく、哀れみの涙だ。
北地区のワイバーン発着場からサフィリア宝城都市を見下ろしていた黒髪の女性は、両手を広げて天を見上げる。汚れを洗い流すように全身に雨を浴び、気持ちよさそうに両眼を閉じて頭を振る。
「終わりですね、これで」
勝ち誇るように言い放った女性の言葉は、雷雨によって掻き消された。
★★★
「全員避難しろ! こっちだ!!」
北地区に入るための門にて、ベルクートは声を荒げていた。雨が地面に叩きつけられる音と雷鳴にかき消されないよう声を張り上げる。
隣にいたラズィは門から出ていく人々を確認していた。
「意外と人は少ないですね~」
「ああ。北地区の連中は昨日の時点で8割方逃げ出しているらしいからな」
ベルクートは吐き捨てるように言うと、北地区から逃げる住民の姿が失せたことを確認する。次いでラズィに視線を向ける。
「大丈夫か? 傷の具合は」
「……大丈夫ですよ~」
「隠し事は無しだぜ?」
「痛がっている場合じゃないので。大丈夫ですよ」
わかりやすい強がりだった。だが今は強がらなければいけない時であったため、ぐっと言葉を呑む。
その時、こちらに近づいてくる影が見えた。ゾディアックだ。駆け足で寄ってきた漆黒の騎士は周囲を見渡す。
「住民の避難は」
「北地区は完了だ。南地区の方も、ラルと他のガーディアンが上手くやってくれたらしい」
「一般人が多い東地区は意外と苦戦しているみたいですね~。まだ避難は完了していないらしいです~」
ゾディアックの視線が空に向けられる。
あまり時間はない。場所を考慮すれば東地区は無害である可能性が高い。そう判断したゾディアックは門を潜る。
「行くのか、大将」
「ああ」
短く返事をするとふたりがその後ろに続く。
時間がない。ゾディアックたちは再度そう思うと、そのまま北地区のワイバーン発着場へと向かった。
降りしきる雨は強さを増すばかりだった。
★★★
屋上まで向かい外に出ると暴風と横殴りの雨が3人を襲った。兜を被っているゾディアックだけは何の反応も示さず、目の前にいる女性を捉えた。
鼻歌を歌っている黒髪の女性。フェイクファーが付いた紺色のロングコートを着ている。
ゾディアックは違和感を覚えた。この大雨の中、女性本人と周囲の地面が濡れていなかったからだ。
「あら、ようやく来てくれましたね」
挑発的な視線が向けられる。ベルクートはバレないようポケットに入ったアンバーシェルの通話ボタンを押した。
「わざわざ来なくても待っていればよかったのに。この卵が孵化する瞬間を」
そう言って女性は天を指差す。見上げなくてもその巨大な”卵”は視界に入っていた。
サフィリア宝城都市、北地区の上空には巨大な氷の球体が浮かんでいた。大きさは氷柱というよりは、氷山に近い。氷ではあるがエメラルドグリーンとコバルトブルーという色合いは非常に美しいが、曇り空の下にあるため不気味にしか見えない。
球体は若干透けており、中にはあるモンスターが眠っていた。
「あとは私が少しでも魔力を流せば、この街、いいや、国は水没する。そして一瞬で凍結……少なくとも人が住める場所では無くなる」
残酷なことを誇らしげに語る女性。ゾディアックは拳を握り、怒りの瞳を向ける。
「……満足か」
「え?」
「こんなことをしていて、満足かと聞いている」
「以前は「何でこんなことをするんだ」と聞いてきて、今回もそんな腑抜けた質問をするのですか? まぁ答えますが、満足”途中”ですよ」
女性は白い歯を見せた。仙姿玉質と言わざるを得ない相手の微笑みは万人が美しいと言えるだろう。
だがゾディアックと仲間たちの瞳には、怪物が映っている。
「本当に満足するのは、あなたが大泣きして許しを乞う姿を見せてくれる、その瞬間から」
「憎いか?」
女性の眉が動く。空中の球体からヒビが入る音がした。
ベルクートとラズィが一歩引く。ベルクートは女性と球体を交互に見る。球体からは唸り声のような氷の軋む音が鳴っている。
「俺が、憎くてたまらないか?」
「……はい。今のあなたは、憎くてたまらない」
口許には笑みが浮かんでいるが瞳は笑っていなかった。
空中から氷が割れかけている音が聞こえてくる。
「駄目ですよ。あなたはそうじゃない。あなたはこんな場所で笑顔を振りまいて、何かを守るために戦う者じゃない」
女性の口許から、笑みが消えた。
次いで底なしの沼のような瞳と無表情をゾディアックに向ける。
「お前は世界の敵でなければならないんだ。ゾディアック・”ファントム”・ヴォルクス」
瞬間、空が割れた音が鳴った。
直後金切り声のような咆哮が天に、そして国中に、その周囲に轟いた。地面が揺れ空気が振動し視界が小刻みに震えている。
あまりの音と重圧にラズィが膝をつきそうになる。
ゾディアックは首を上にあげた。
「さぁ、ガギエル。全てを飲み込みなさい」
氷の球体が砕け散り、中に眠っていた四つ羽の白龍「ガギエル」が姿を見せていた。
大型のドラゴン。傷も何もなく、力を蓄えた状態で顕現している史上最強のモンスター。
ガギエルが大口を開ける。白い吐息が微かに零れ、空気を一瞬で凍結させていく。ガギエルの周囲に降り注ぐ雨は即座に氷柱に変わっていく。雨雲の中を蠢く雷は、その登場を祝福するかのように鳴り響いている。
一瞬動けば吹雪が起こり、吠えれば大地に濁流が発生する。
ゾディアックはひとつ息を吐いて、背中の大剣の柄を握った。
「行くぞ、みんな」
その声は仲間たちに届いていた。
「おうよ、大将。やってやろうぜ」
「……了解です~」
ベルクートはポケットからアンバーシェルを取り出し、音量を最大にする。
『準備はできてるぜ、師匠!』
『勝とう、マスター!』
『ドラゴンなんざ切り捨ててやる』
『ゾディアック様、いきましょう』
聞こえてくる仲間の声に、ゾディアックは頷いた。
「これが、最後の戦いになる」
覚悟を決めて、漆黒の大剣を抜く。
「……覚悟はいいか……!!」
決死の声はガギエルに向けられたものか、それとも女性に向けられたものか。
黒髪の女性は尊敬するような瞳をゾディアックに向け続け、その首を縦に振った。
次いでガギエルも答えるように強襲を仕掛けた。
ゾディアックは大剣を大きく振り上げ、迫りくるドラゴンに振り下ろす。
白黒が一瞬交わった直後。
白銀が、漆黒を飲み込んだ。
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