第211話「夜街に響く紅猫の歌」
ブランドンと名乗った大男と出会った後、紅葉と黒江は彼が経営しているバー「アイエス」に案内された。客の数からして盛況な様子ではなさそうだが、暖かで心地いい空気が店内には漂っていた。
バーカウンター内に入ったブランドンがふたりに酒を進めてくる。
「飲めるか?」
「まぁ。多少は」
「自分も大丈夫です! 自慢じゃないですけど”ザル”ですよ」
「それはいい強みだな。亜人街で酒に酔い潰れたものは身包みを剥がされても文句は言えない」
ブランドンは鼻で笑って麦酒を入れ始めた。
「すまんな。洒落たものの方がよかったか?」
「洒落た?」
「カクテルとかだ」
「かくてる? 果実酒とかか?」
「なるほど。言葉が通じないというのはひと目でわかったが……」
ブランドンがひとりごちた。
「どこから来たんだお前たち」
黒江は困り顔で紅葉を見た。
「……東玄だ」
「何?」
「スサトミから来た」
紅葉が答えるとブランドンの口が開き視線が泳いだ。
「合点した。フォルリィアやギルバニアから来たならエミーリォの言葉が通じるはずだからな。別大陸の亜人が来るのは初めてだよ」
「答えたからこっちも教えろ。この国はどこの大陸にある? スサトミから離れているのか? この国の名前はなんだ。そしてお前は何者だ」
「この国の名はサフィリア宝城都市。宝の城と書く。オーディファル大陸にある海が近い小国さ。お前さん……あ~」
「紅葉。俺の名前」
「紅葉か。オーディファル大陸は存じてるか?」
「知らねえ」
「そうか。とりあえずスサトミ大陸からは海を隔てているから、かなり離れていると言っていいだろう」
立て続けの質問に対してブランドンは簡潔に答えた。
黒江はホッと胸を撫で下ろす。
「そして私の名はブランドンと言う。この亜人街の頭領と言えば伝わるだろうか」
それからブランドンはサフィリア宝城都市や自分について事細かに説明した。
亜人が異常な差別を喰らっていること、この亜人街が最後の砦だということ。街中はガーディアンと呼ばれる、モンスター狩りを生業とする者たちが蔓延っているということ。この街以外で亜人が生き残るには相当の覚悟が必要な事。
そしてエミーリォはそのガーディアンを管理している、セントラルという施設の長だということ。
紅葉は首を傾げた。
「おかしくないか? エミーリォとかいうあのジジイは、どうして俺と黒江を助けるんだ。ガーディアンを雇ってんだろ」
「さあな。それは彼奴に聞かんとわからん。だがお前は言葉が通じ合えない。俺のように特殊な魔法が使えるなら話は別だがな」
そこまで言って、新しい麦酒を入れるとブランドンは両手をバーカウンターに置いた。
「さて。ここからが本題だ。紅葉。それと黒江、でいいのか?」
「あ?」
「はい! なんでしょうか」
「手短に要件だけ。お前たちは亜人街に住むべきだ」
「どういうことだ」
「理由は至極単純だ。別大陸の人間が街中にいればガーディアンの格好の餌にされる。ハッキリ言おう。奴隷にされて売り飛ばされるか慰み者にされるぞ」
ブランドンの言葉はもっともだった。ふたりは押し黙る。
「それに紅葉の方は余計に目を付けられるだろう。お前、相当な美人だからな」
「……は?」
紅葉は目を丸くした。ブランドンは片眉を上げた。
「なんだその意外そうな顔は」
「い、いやだって、び、美人って」
「美人だろう。とんでもないくらい女性としての魅力が詰まっているのに加えて、顔立ちも美しく整っている。初めて見た時は驚いたぞ。絶世の美女というのはこういう時のためにある言葉かと思ってな」
「かっ……あっ、なっ……」
「異性、特に人間からはかなり好かれるだろうな。だからこの街にいればいい。同族である亜人に不当な暴力など働かない。外部からは私が守れる。エミーリォからは私から話を通しておこう」
口をパクパクと動かす紅葉に対し、ブランドンは柔らかな笑みを浮かべた。
「ここでゆっくり傷を癒して、言葉を覚えた方が安全さ。何があっても私が守れる」
「あ、あの、それって私も……?」
「もちろんだ。ゆっくりして欲しい」
黒江は感嘆の声を上げた。
「紅葉様! ここでゆっくりしていきましょうよ!」
「部屋なら2階が沢山空いているから、好きに使って――」
「何が目的だよ」
顔を真っ赤にした紅葉が立ち上がってブランドンを睨み上げた。
「そんな歯の浮くようなセリフで俺たちを手籠めにしてよ。どうせあとで襲うつもりだろうが!」
激昂する彼女に対し、ブランドンは首を傾げた。
「お前たちは困っている。だから助けたい。それじゃ足りないか?」
紅葉は言葉を失った。あまりにも純粋な言葉と瞳に、何も言えなくなってしまった。
紅葉の頭の中にブランドンから言われた甘い言葉が渦巻く。
初めての体験に、気恥ずかしさを誤魔化すように、紅葉はグラスを手に取り浴びるように酒を飲んだ。
★★★
紅葉と黒江がブランドンのバーで働き始めて2週間が経った。客の数も疎らで忙しくもなかったが、給仕の仕事はそれなりに大変だった。
「紅葉ちゃん! お酒ちょうだい!」
「ああ? 自分で取りに……」
「紅葉様! そんな態度取っちゃダメです!!」
接客中通りすがりの黒江に注意される。なぜかあっちの方がこの環境になれていた。
人間との会話はできない。まだサフィリア宝城都市の言語を学んでいないからだ。しかし亜人同士なら会話ができる。ブランドんの魔法のおかげだ。原理を知り自分で使えるようになるまでそれほど時間はかからなかった。今では自分の意思で魔法を切ることも可能になった。
紅葉はなれない敬語口調で注文を終え、ブランドンの元へ行く。
「まだ、なれないよな」
「一生かかってもなれねぇよ」
「そんなことはないさ。それに、紅葉と黒江のおかげでこの店も賑わっている。特に紅葉だ」
「は? なんでだよ」
「前にも言ったがお前は美麗な赤猫だ。お前を一目見ようとしている奴らが多いのさ。私だって客だったら、毎日お前を見に来るだろう」
「なっ」
赤くなりそうになるのをグッと堪え、虚勢の笑みを浮かべる。
「へ~? お前は俺に惹かれてんだ?」
「ああ」
ブランドンが笑みを浮かべる。
「そうかもな」
顔から笑みが消えていくのを感じた。口許をきつく結ぶ。
顔が、みるみるうちに赤くなっていくのを感じた。
「……からかいやがって」
紅葉は自分がそうとう単純な考えをしていることを、この時初めて自覚した。
「口説き落とそうったって、そうはいくか」
悪態を吐いてその場から離れようとした。
その時だった。陽気な一人の客がカウンターにバンと手を置いた。
「ブランドン! 相変わらずしけてんなぁお前の店!」
「……ルーか」
黒い鱗に蛇の頭をしたナロス・グノア族の若者が豪快に笑う。顔色は不明だが相当酔っていることは明らかだった。
「何か余興やってほうがいいぜ!? ほら、他の店みたいに女躍らせろよ! 綺麗どころも揃っているしよ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべ紅葉を見た。ブランドンが眉間に皺を寄せる。
「やめろ。その人たちに迷惑をかけろ」
「ナラ何か芸をしろよ。このままジャツマラナクて、代金払わねぇゾ」
「相当酔ってるみたいだな……力尽くで帰らせるぞ」
相当険悪なムードだった。正直言って放置したかったが、ブランドンが助けてくれようとしたのは事実だ。
かといって、自分に何かできるのだろうか。紅葉は周囲を見渡した。
困惑している様子の黒江と、不安げな顔を浮かべている客、ルーと呼ばれた亜人の取り巻きが楽しそうに見ているのが目に入る。
「前ミタイに歌えばいいじゃねぇか。ステージにマイクもあるンダろ?」
「あのな……あいつらは全員違う店に行ったんだよ。だから歌は」
「歌なら」
会話を聞きつけた紅葉が言葉を挟んだ。
「歌なら、俺ができるぞ?」
★★★
「……なんか、綺麗な声が聞こえません?」
「あれ、本当だ。歌か、これ」
外を歩いていたふたりのガネグ族が同時に犬耳を動かした。
「あそこからっすよ。ほら、あのバー」
ふたりの足取りは自然とアイエスに向かい、店の中に入っていった。
それから数分も経たないうちに、客席は満席になり、十数分経った後は店の外に人だかりができていた。
紅葉が”美麗な猫歌姫”と呼ばれるようになったのは、次の日からだった。
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