第208話「過去-決別-」
亜人である猫魔族が、王足りうる者にしか触れることができないとされていた宝刀を握った。あまつさえ抜刀し、その力を示しもした。
善乃が無事であることよりも城の宝物庫に火の手が上がったことよりも、その事実は一瞬でスサトミ大陸全土に響き渡った。
瞬く間に広まる世界の声。東玄国内が大きく揺らいぐのに然程時間はかからなかった。
★★★
消火を終え後始末をつけてから早3日が過ぎた。
国を支える輝神霊城に腰を据える大名たちは朱雀の間に呼ばれていた。別名謁見の間。善乃の父でもある王と直接対話ができる部屋だ。その広い一室に大名たちは身を寄せ合うように集まった。
大名たちの顔は険しい。王が喋る内容によっては、反旗を翻すことになるだろうと誰もが思っていた。
『皆の者、集まったか』
厳格な雰囲気の声が室内に響き渡る。
ひとりの正座をしていた大名が声を荒げた。
「王よ! してどうされるおつもりか! 亜人が虚現刀を使用したこの事実をどう捉えるおつもりか!?」
「図が高いぞ! そなたの疑念よりまずは王の声よ!」
室内がざわつく。だが王の咳払いにより、再び静寂が流れた。
『……此度の問題。全て事実なり。紅葉なる亜人が、我等が輝神に選ばれたのもこれ事実』
「なんと……」
「どうされる、おつもりでござるか。まさか亜人を王に据えるとでも」
『ならぬ。生じた過去を覆すことは叶わぬ夢。既に我が声が炎の地に轟くのには遅すぎた。なれど魔族を人族の上に立たせるなどそれこそ愚の骨頂!』
「であれば、紅葉の首を取りましょうぞ! さすれば新たな主を見つけるはず!」
『ならぬならぬ!!』
轟雷のような声が木霊し、大名たちが神妙な面持ちとなる。
『虚現は神そのもの。神の意志を覆すことなど決してできぬ!! 紅葉を打ち取れば東玄は煉獄の炎によって浄化されることだろう』
沈黙が広がる。ほぼ全ての者が納得できないよう、眉をひそめている。
不安が広がる重苦しい空気を断ち切るべく、王が息を吸った。
『次の主は善乃に決まっておる』
全員が顔をばっと上げた。
『もし我が娘が諦めていなければ。虚現は微笑むだろう』
★★★
雨が降り注ぐ中、紅葉は4人の塒として使っていた家屋の前に立っていた。中から人の気配はしない。
あれから善乃とは一度も会えていない。というより自分の方が監視されていた。
手のひらを見つめる。紅葉は丸腰だった。あの火事の後、意識を取り戻してからというもの、宝刀は既にその姿を消していた。いったいどこにあるのか、見当すらつかない。
ここに来たのは尋問から逃げるためだった。宝刀を使用したことによって、紅葉の立場は益々危うくなっていた。このままでは城から追い出されるのも時間の問題だ。
それならそれでよかった。ただ善乃の無事だけを確認したかった。
そう願っていると、背後から大きな足音が鳴った。
「九龍か」
声をかけるが返事はなかった。肩越しに視線を向けると、紅葉同様、傘を差さず壁のように立っていた。
「上に俺を連れてくるよう言われたのか?」
「……違う。善乃姫がお前を待っている」
「生きているのか!?」
慌てて振り向くと、九龍は能面を付けたような無表情で頷いた。
「案内する。ついてこい」
そう言って背を向けた。嫌な予感がしていた。だがそれでも紅葉は九龍についていくしかなかった。
歩くふたりの間に言葉はなかった。ただ黙々と歩き続ける九龍の後ろ姿を見て、紅葉は以前のように戻れないことを察していた。
そうして足を踏み入れたのは、雑木林の中だった。
街道から離れ、開けた場所に出ると。
「……善乃」
傘を差す善乃と、その隣には黒江が立っていた。
相変わらず清楚な佇まいで怪我をしているようには見えない。服装は簡素な布服だった。
「あ、紅葉」
紅葉に気づいた善乃は笑顔を見せた。紅葉も小走りで彼女に近づく。
「無事だったんだな」
「ええ。あなたのおかげでね」
善乃がクスリと微笑む。
「本当どうやって助けてくれたのかな。魔法で? それとも無理やり?」
「……覚えて、ないな」
嘘を吐いた。当たり前だ。王族である善乃を差し置いて、宝刀を使ったなどと言えるわけがない。
だが紅葉の気遣いは逆に善乃の逆鱗に触れた。
「どうして嘘を吐くの?」
低い声だった。お気楽な普段の善乃からは絶対発せられない声色に、紅葉は顔を強張らせる。
「善乃。話を」
「聞く必要はないよ。全部覚えているもの。あなたが虚現刀を奪って、これ見よがしに刀身を見せびらかしたことも」
「違う!! あれは」
「さぞ気分がよかったでしょうね。王になると思って遊び惚けてた娘の前で力を見せびらかすのは」
明らかな嫉妬心と恨みの感情が、ひしひしと伝わってくる。
紅葉は口を開いた。が、言葉が出てこない。
「ねぇ、紅葉」
「……」
「あなたのせいで、私の夢が潰れたわ。あなたのせいで私の評価は、どんどん落ちぶれて行っている。わかるでしょう? どうすればいいか」
善乃の視線が動いた。気づいた時にはもう遅かった。
九龍の鉄拳が後頭部に叩き込まれた。
「がっ!!」
視界が一瞬暗くなり、紅葉は膝を折った。グラグラと揺れる頭で前を見ると、善乃が近づいてくるのが見える。
「ねぇ、返してよ。私の刀を。それはあなたが持っていい物じゃない。今ならまだ戻れるから」
「……知ら、ねぇんだよ。気づいたら、あれは無くなっていたんだ」
「それがないと、私は価値がなくなるんだ。しらばっくれないで。お願いだから、答えて」
頭から血を流す紅葉は頭を振った。
「言え」
その言葉は殺意に溢れていた。紅葉の目が潤む。雨のせいかそれとも心のせいか。
紅葉は必死で友の名を絞り出した。
「善乃……!!」
「盗人が!! 私の!! 名を呼ぶな!!!」
その言葉は、決別の意味が込められていた。
背後に冷たい何かが這った。
紅葉は慌てて横に飛ぶが、一瞬で背中が熱くなった。
「っ!?」
手の甲を背中に付けるとべたりとした感触が伝わる。見ると赤い液体が流れていた。
背中を切られた。その事実を確かめるように、紅葉は九龍を睨む。
大太刀が握られていた。あと一歩遅かったら、体が斜めで真っ二つに裂けていた。
「避けるな紅葉、ここで死ね。お前が死ねば虚現刀は帰って来るやもしれん」
「そんな保証はどこにもないだろ!」
「だが試す価値はある! 主を蔑ろにしたお前など、このまま生きていけるものか! ここで死ね、紅葉!!」
紅葉は腰に手を伸ばす。だが空を切った。尋問と治療のせいで武具の一式は取り上げられていたのだ。
どうしてこんなことになったのだろう。
疑問が浮かび上がる。しかし九龍の刀は止まらない。
紅葉は最早自分の方を見ていない善乃に視線を向けた。
「なんでだろうな」
お前を、助けたかっただけなのに。
そう伝えようとしたのと同時に九龍が踏み込み、大太刀を唐竹割りに振った。抵抗できないその一撃に対し紅葉は目を閉じる。
その時だった。紅葉の両腕が勝手に動き始めた。困惑している暇もなく手のひらに魔力が集っていく。
次の瞬間、甲高い音が鳴り響き、ずっと不安げな表情で右往左往していた黒江が声を上げた。
「なるほど、こいつか……!」
刀を振った九龍が眉根を寄せた。
紅葉の両手には宝刀である虚現刀が握られていた。
なぜ、突然どうして、という疑問が浮かぶが、紅葉は力任せに振って九龍の刀を弾く。
「むっ」
一瞬の隙。両者の間に隙間ができる。そこに黒江が割り込んだ。
「黒江!?」
「紅葉様、耳と目を塞いで!!」
黒江が灰色の石ころのようなものを足元に投げた。1秒にも満たない時が過ぎるとそれが弾けた。
眩い閃光と激しい爆音が周囲に響き渡った。閃光を一身に浴びた九龍は警戒心からか反射的に下がり、善乃は目が眩み声を上げた。
投げた黒江と警告を聞いて身構えていた紅葉は被害が最小限だった。
「逃げよう、紅葉様!」
黒江が紅葉の手を引いて走り出す。紅葉は困惑する頭で善乃の方を見ようとした。
「殺せ!! 九龍! あいつを殺して!」
しかし、その声を背中に浴びて、紅葉は奥歯を噛み締めその場を後にした。
紅葉と黒江の抹殺命令が出たのは、それから数刻後のことであった。
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