第206話「過去-夢、紅蓮に燃ゆ-」
家屋から少し離れた雑木林の中に足を踏み入れ、街道からは絶対に見えない位置まで移動した紅葉は、立ち止まって相手を見据える。
半裃に腰には大小を差している。私用で来ている割には正装だった。服装からして位も高くない相手だったが身に纏う雰囲気は、中々などうして強者であった。
「ここまで来たのは何も自分が有利に戦いを進めたかったわけじゃない。いくら善乃の護衛とはいえ、人前であんたらのような立場の人間と喧嘩していたら、どうなるかわからないからな」
「構わん。こちらも切り捨てたお主の体を処理する手間が省けるというもの。わざわざ死に場所を選ぶとは、物好きとしか思わん」
男は流れるような動作で鯉口を切った。鈍色に光る刃が微かに顔を覗かせる。
それに視線を向けず、紅葉は敵の喉元を捉え続けていた。喉を見ていれば、視線の動きも筋肉の動作もすぐに把握できる。
「一応聞くが、やっぱ止めるっていうなら今だぞ」
「それはこちらのセリフだ。命乞いをするなら見逃してやらぬこともない。”それ相応の態度と労いの作法”を行えば、無傷で山へ帰してやろう」
男の口許に、下卑た笑みが浮かび上がる。そして睨め回すように紅葉の肢体を見た。
「……喧嘩するってぇのに、男はそういうことしか考えられねぇのかなぁ」
「喧嘩? 世迷言を。これは立派な真剣勝負だ。抜くなら抜け。正々堂々勝負しろ。一太刀で腕と首を飛ばしてくれるわ」
「あっそ。じゃあちょっと待ってね」
気合十分という感じの男から紅葉は視線を切った。
相手が亜人とはいえ、それなりの警戒心と緊張度を保っていた男は肩透かしを喰らった気分だった。明らかな困惑の表情を浮かべる。
紅葉は背を向けて手頃な投げ物を探し始めた。
背中から斬りかかられることはない。この男は道場破りのような行いをしているのだが、やはり善乃のことを慕っているからか、それとも自分の立場に誇りを持っているのか、礼儀正しさが見え隠れしている。正々堂々、という言葉で紅葉はそれを確信した。
相手が苛立っているのが背中越しに伝わってくる。
紅葉は鼻歌まじりに手を動かし続け、ようやく手頃な枝を見つけた。脇差より若干短い長さの木の枝を縦に振りながら男に向き直る。
「俺はこれで戦う」
「……何を申す!?」
「お前如き、木の枝で充分ってこと」
男が口を開こうとした。それを遮るように声を上げる。
「この枝あれだから。さっき毒仕込んだから。服の上からでも効くよ」
近づきながら早口でまくしたてる。
「おまっ、なにっ」
「匂い嗅いだだけでも死ぬ強力な奴だよ。刀で斬った方がいい。はい、それじゃあ、始め!」
号令をかけるように大きな声を出すと同時に、木の枝を下投げで相手に放った。
ゆっくり弧を描きながら迫ってくる枝に目を奪われる。さきほどの毒云々の言葉が木霊し、さらに距離も近かったせいで、男は抜刀して枝を切ってしまう。
風を切る短い音が鳴り枝が真っ二つに折れる。迫りくる細長い枝を斬るのは容易だったろう。
それで紅葉の勝利は確信した。振った男は刀を戻そうとするが、時すでに遅し。
懐に飛び込んだ紅葉は自身の脇差を逆手持ちで抜く。
次いで即座に腕を引き、かち上げの要領で、男の鳩尾に柄頭を叩き込んだ。
男が口から涎と共に、苦悶の声を上げ蹲った。
「勝負ありだな。真剣勝負中に頭を差し出すなんて、敗北としか言えない」
「こ……殺、せ……」
微かに聞こえた声に対して舌打ちを返す。
「殺してやりたいのは山々なんだが。あんた負けを認める律儀な性格だろ? そういう奴は変に慕われている。無闇に殺して多くの恨みを買う恐れを背負いたくはない。さっさと帰ってまた修行に励めよ。いつでも相手してやっからさ」
紅葉は一息で言い切ると、嗚咽を漏らす男に背を向け、雑木林の中へ姿を消していった。
これが紅葉の仕事だった。善乃の護衛を行いながら、決してこの地位を奪われないように戦うこと。揉め事や争いを鎮めること。
そして何よりも重要なのは、殺生は最後の手段。
「律儀な性格してんのは、どっちだよ」
自嘲気味に笑うと街道に出た。
視線の先にはこちらに手を振っている、笑顔の善乃が立っていた。
★★★
「久しぶりにお魚を取りに行こう!」
それはさらに半年が過ぎた時の事だった。紅葉は首を傾げた。
「いや、明日お前礼式だろ」
「そうだよ! とうとう私もこの国の王……と言っても仮だけど。副王様、みたいな? 感じだけど。でもこれでようやく宝刀を手に入れることができる!」
「あまりガキみたいにはしゃぐなよ王様」
からかうように言うと、善乃の拳が飛んだ。
「いってぇな。肩叩くなよ」
「馬鹿にして。ほら、もう行くよ。上にいなきゃいけなくなったら、自然のお散歩もできないもの」
どことなくその言葉には寂しさが見え隠れしていた。紅葉は黙って釣り竿と装備一式の準備をし始めた。
それから川に行き、初めて出合った場所でふたりは釣りを始めた。
結果は両者共に上々だった。好きなように釣り、どちらが多く釣れただの、大きさはこっちの方が大きいだの、言い争いながらも笑いあっていた。
そうしているうちに空が、茜色に焼け始めた。
「ねぇ。紅葉。あなたは夢ってある?」
「夢?」
すっかり静かになった釣り糸を見続けながら、ふたりは声だけ投げあった。
「そう。なんでもいいわ」
「ん~、難しい。お前の方を教えてくれよ。参考にするから」
「もう。答えたくないんでしょ。まぁいいけど。私の夢はね、この世から理不尽を無くすこと」
「理不尽?」
「そう。まず、この国自体も、理不尽なことや納得できない事柄、そして差別で溢れかえっている。それで傷つく民が大勢いる。特に、亜人とかはね」
「亜人はそれが宿命だろ」
「違うわ。宿命なんかじゃない。虐げられる宿命なんてあるわけがないわ。ただ知ろうとしていないだけなのよ。人間側がね」
「そうかな?」
「現に、私は紅葉と友達だよ」
紅葉の視線が横を向く。善乃の顔は、こちらを向いていた。
「だからまず、私は亜人を救う。亜人を救って東玄内から”理不尽”を無くす。直近の夢にしてはちょっと難易度が高いかもだけど、これが私の夢だよ」
「……そうか。善乃なら……最高の王になるな」
紅葉は、ありがとう、という言葉だけはグッと飲み込んだ。言ったら、相手が遠くに行ってしまう気がしたからだ。
「さ、次は紅葉の番」
「……決まった」
「お、何々?」
「人々を守りたい。守護者になりたいんだ」
口許に、笑みを浮かべる。
「あいつらみんな、俺たち亜人のことが嫌いだろ? でもさ、その目を変えたいよ。だから、もし困っている人がいたら、何者でもいい。亜人だろうが人間だろうが罪びとだろうが、なんだっていい。助けるよ。守るよ。だからもっと強くなる」
「紅葉らしいわ」
「そうかな」
「そうよ……それで、強くなって、終わり?」
「いや。強くなり続けるよ。強くなって、お前の傍にいる。善乃の友達で、あり続けたい」
そう言い切った。
紅葉の顔に朱が差し込んでいたのは、夕陽のせいかもしれない。
善乃は一度面食らったように目を丸くすると、すぐに顔を綻ばせ、紅葉に抱き着いた。
★★★
その日の深夜は屋内警備だった。
季節は冬間近となり、肌寒い空気が頬を撫でる。
隣に立つ黒江はしきりに手に息を吐いていた。
「寒いですね~紅葉様」
「ああ」
「こんな日に、誰も来ないですよね~」
「そうだな」
城の廊下を歩きながら小声で喋り合う。しん、と静まり返った夜だった。
「明日、楽しみですね! 善乃様の晴れ着姿! 3人で選んだ服、着てくれますかね」
「着てくれるよ。あいつ、義理堅いしな」
ふたりで笑い合う。平和な時間だった。
だからこのまま、何事もなく時間が過ぎていくと思っていた。
ふと、黒江がくんと鼻を鳴らした。
「……何でしょう、この匂い」
「ん?」
紅葉も鼻を動かす。
「なんだっけなぁ……そうだ! これあれですよ、魚焼いてる時のような焦げ臭い――」
そこまで言って、ふたりの顔が強張った。
すぐに動き出し窓から顔を覗かせると、視界の隅が明るくなっていた。朝日までまだ時間はありすぎる。
「クソ!!」
灯りを出している場所を目視しようと、廊下を戻り曲がり角にある窓を開ける。
同時に黒煙が襲い掛かった。紅葉は息を止めてそれを振り払い下を見ると、蔵から大きな火の手が上がっていた。
燃えている場所は宝物庫であると知ったと同時に、城内に警鐘が鳴り響いた。
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