第203話「交わうのは刃か過去か」
曇り空が広がっていた。雨は降っていないが、台風が近づいている影響で午後から荒れるらしい。
そんな、天気のことなど考えている暇もないのに。ゾディアックはため息を吐きそうになりながらも南門を出ると、レミィが壁に背を預けて立っていた。
服装はコートにジーンズという大人びた格好。彼女のプロポーションを目立たせているようだ。
これから殺し合いに向かう人物は思えない姿だった。
「レミィ」
ゾディアックが呼びかけると視線がゆっくりと向けられる。ガラスでできたような瞳からは、確かな覚悟が見える気がする。
「よぉ、ゾディアック」
「……行くのか」
「その質問はおかしいだろ。お前がひとりでここにいる時点でわかっているだろう」
ゾディアックは項垂れた。普段から仕事先で世話になっている受付、それも何度か一緒に戦ったこともある仲間の殺し合いなど、見たくもない。
だが自分がどうこう言って止められることでもないと、どこかで理解していた。
レミィはアンバーシェルを取り出して画面を見つめる。
「ゾディアック。瞬間移動魔法である場所まで飛んで欲しい。お前も行ったことのある場所だ」
「……レミィ」
「これから先は魔力を減らしたくないんだよ。頼む」
レミィは白い歯を見せて笑った。
「”一生のお願い”って奴だ」
★★★
「いい匂いがするね。熱い炎の香りと、緑のいい匂い」
ヨシノは空を見上げて楽しげに呟いた。広い草原のような空間には、まだ生えたばかりの若い草木の匂いが漂っている。
「この場所、大陸に来た時から知っているわ。実は一度行ってみたかったの。だってそうでしょう? 火竜「ラミエル」と戦い、討伐したと呼ばれている伝説の地なのだから」
匂いの隙間から微かな魔力を感じる。それは死して魔力の結晶と化したドラゴンの残り香であることを理解する。
「スサトミ大陸はどの国々も「焔」を祀るのが特徴なの。だからね、神とも呼べる火竜と、それを殺した不届き者に挨拶をしようと思って」
ヨシノの視線が正面に向けられる。腰に刀を差したレミィと、漆黒の甲冑を身に纏うゾディアックが立っていた。
かつてビオレと、まだ仮初だった仲間のベルクートとラズィと共に、火竜「ラミエル」と戦った場所に来ていた。どうやら果し合いは、この場で行われるらしい。理由はヨシノの言動から理解した。
「決戦の場としては相応しい。そこの泥棒猫を殺してこの場で燃やしてあげる。安心して。死してなお空を泳ぐ竜が、仏の元へ案内してくれるから」
「は。幻覚見てんじゃねぇよ」
レミィが一歩前に出て刀を抜く。ヨシノも同様に、手に持っていた刀の鞘を勢いよく放り投げ抜刀した。
真白だった。刀身も、柄も、鍔すらも。すべてが雪色に染められた美しい武器の姿は目を奪われてしまう。
ゾディアックは頭を振ってヨシノに聞いた。
「本当にやるつもりなのか」
「ああ。ゾディアック様。ここまでその猫を連れてきてくださり、誠に感謝いたします。本当にご迷惑だと思いますが、今しばらくお付き合いくださいませ。あなた、竜殺しのあなたに、見届け人となっていただきたいのです」
話を聞いていなかった。ゾディアックは舌打ちした。
「ヨシノ、さん!」
「どうされました?」
「や、やめません、か? なんとか、その、話し合いで解決を」
ズン、と。振動と共に大きな足踏みの音が鳴り響いた。恐れるように草木が揺れる。クーロンが一歩前へ踏み出した音だった。
「世迷言もそれまでにしていただきたい。立会人としてここに来ている以上、死合う両者に無用な言葉をかけるな」
「……無用なんかじゃない! 殺し合いなんだぞ。あんた、あんたの姫様のヨシノだって」
「ヨシノ様は負けん。主の勝利を確信している。故に拙者はこの勝負を見届ける。天命はここではないと空が告げている。猫の血を欲していると、大地が告げている!!」
狂気が渦巻く瞳を向けてくる。ゾディアックは言葉を失った。話にならないことは明白だった。
その時、レミィが鼻で笑った。
「無駄だよゾディアック。こいつらは殺し合いを楽しんでいるんだ。まったくよ。この武器が欲しいなら最初から来ればよかったんだ」
「逃げていたのはそちらでしょう?」
「……そうかもな、だって」
レミィは正眼に構えた。
「友達を、殺したくねぇからさ」
次はヨシノが鼻で笑う番だった。
懐かしさを覚える子供のような笑みを見せた瞬間、ヨシノは駆けだした。
「ゾディアック、止めるなよ!!」
レミィも駆けだす。
ぶつかり合おうとする両者に手を差し伸べるも、ゾディアックの足は、前に動かなかった。
数秒、時間にすればそれだけの時が過ぎた後、刃と刃がぶつかり合う音が木霊した。
刀で顔を真一文字に遮られたレミィとヨシノの視線が交わう。
――何でこうなっちゃんだろうな。
命をかけている勝負の最中、レミィの意識は遠い思い出に引っ張られていった。
★★★
歌が好きだった。いつから、と聞かれたら生まれた時からと答えるだろう。
妖魔に襲われ死んだ父と母は、どちらも歌が得意だった。だからだろうか。歌えばふたりは眩しい笑顔を見せてくれた。
鼻歌を奏でる。焚火の音と木々が風に揺れる音と小川のせせらぎが彼女の歌を一層華やかにする。
自然の空間で歌うというのは、心が洗われるようだった。
「ねぇ。歌、上手だね」
後方からそう言われ、歌を止めた。振り向くと見事な和服に身を包んだ、長い黒髪が特徴的な少女が立っていた。興味深そうに、小さな笑みを蓄えてこちらを見ている。
出で立ちから、いいとこのお嬢様であることはすぐに見て取れた。
彼女は視線を逸らし、焚火へと目を戻した。さきほど捕まえた3匹の魚の表面に焼け跡が付き始めている。
もし話しかけてきた相手が突っかかってきたら、腰にしまってある小太刀を抜こうと彼女は考えていた。
「あなた、赤髪の猫なのね」
少女は、あろうことか隣に座ってきた。横目で睨むと好奇心旺盛なことを隠せない、無邪気な瞳がこちらを見ていた。
「……王族か?」
「アタリ~」
低い声で聴くと、ニコニコとした様子で少女は答えた。
「ねぇ、何してるの?」
「メシ作ってるのがわからねぇのか」
「お腹膨れるの? これ」
懐に手を伸ばし、やめた。なぜか、小太刀を抜こうという気にはなれなかった。
「膨れる。何でも口に運べれば腹は膨れる。けど、魚は美味しい」
「なんで女の子なのに男口調なの?」
「仲間がこの口調しか教えてくれなかったんだよ。女口調は媚びへつらっているように聞こえるらしいからな」
「ふーん」
少女は嘆息すると目の前を流れる川を見た。
死体が、転がっていた。大人の男性。体の半分が川の中に埋まっている。真っ赤な血が清い水に混じっており、どことなくおどろおどろしい感じがした。
「殺したの?」
両頬に手を当てて赤髪の猫を見つめる。
「ここの川は、自由だ。そこで魚を取っていたら、あいつが殴ってきた。それで服を脱がされそうになったから」
「うん」
「喉に噛みついて殺した」
少女は高らかに笑った。
「あれ、あたしの召使なんだけど」
「だったらどうした」
「枠が空いちゃったの」
「責任は取れねぇぞ」
「取れるよ」
「あ?」
眉根を寄せると、少女の指が川を差した。
「あたしにも魚、取ってよ」
それが善乃との出会いだった。
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