第200話「相まみえる友、顔を合わせ敵と成る」
クーロンの目が見開かれる。突如現れたオーグの雄。3メートル近くある背丈は、体の厚さも相まって風雨に晒され磨き上げられた巨大な岩石を彷彿とさせる。
相手の風体から、オーグの中でも滅多に見られない変異体であることを、クーロンは見抜いた。
優先目標を切り替える必要があると判断し、野太刀の切先をオーグに向ける。
「同族か」
「そうだとも。久しぶりに同族に会えた気がするな」
「聞こう。助太刀する気か」
「ああ」
即答した相手に対し眉根を寄せる。
「今行われているのは決闘、他者が首を突っ込むなど言語道断である。相手してやる故、拙者がこの女の素首が落とすまでしばし待たれよ」
「首を落とす? そうか、”ありがとう”」
ブランドンの巨躯がゆらりと揺れ動く。
「私に殺される覚悟は充分だ、ということを教えてくれて」
次の瞬間、一直線にブランドンは駆け出した。力強く地面を踏みしめる度に轟音が鳴り響く。だが動きは鈍牛のそれではない。放たれた矢の如く、低空で飛んでいるような素早い物だった。
クーロンは冷静だった。その程度の動き見切れないわけがない。自信の表れかの如く、素早く野太刀の切先を下げ刀身を上向きにし、刀を振り上げた。
相手の顎に刃が当たる。
瞬間、クーロンは目を見開いた。
「何っ……」
刀が、相手の体をすり抜けた。
クーロンは頭では理解していた。それが錯覚であると。昔、剣の師範と戦った時と同じ現象が今起きている。
達人の体捌きはまるですり抜けているかの如く、敵に錯覚を引き起こすことができる。その術中に嵌ってしまっていた。
刀を戻そうとするが時すでに遅く、ブランドンの巨大な拳が鼻っ柱に叩き込まれた。
「レミィの分だ。返すぞ」
ブランドンはそのまま腕を振りぬいた。空気が振動する音が鳴り響く。ブランドン並みとは言わずともクーロンの体も巨大で鍛え上げられているが、それでも踏ん張ることはできなかった。
鮮血を噴き出しながらクーロンは吹き飛び、仰向けに倒れた。
追い打ちをかけようとブランドンが距離を詰める。
「異種が図に乗るな!!」
カッと目を見開き殺意溢れる言葉を吐き出すのとほぼ同じだった。立ち上がる途中で居合腰になったクーロンは一瞬で抜刀した。
「ブランドン!!」
レミィの叫び声が木霊すると、横薙ぎに振った野太刀の刃がブランドンの脇腹に接触した。
だが”触れただけ”だった。丸太も鉄骨も岩石も、鎧も竜の鱗も両断する業物が、肌の一枚すら斬ることが叶わなかった。
ブランドンは止まらず巨大な手を伸ばし、驚いた表情を浮かべるクーロンの首根っこを掴む。
そのまま流れるように持ち上げ。
「ふんっ!!!!」
有無を言わさず、力任せに地面に叩きつけた。
落雷を彷彿とさせる音が轟く。受け身が取れないクーロンは後頭部をしたたかに打ち付けてしまう。その瞬間、接触した部分を中心に大きなヒビが広がった。
「殺す気はないから安心して欲しい」
ブランドンは手を離した。クーロンは目を開き、掠れた呼吸を繰り返している。
重戦車同士のぶつかり合いはブランドンが制した。それを確認すると、再び昇降機の駆動音が聞こえ、展望台で停止した。
レミィが視線を向けると、自分と同じ種族である、黒髪のシャーレロスが姿を見せた。
「クロエ……」
「レミィさん!」
クロエは傷ついたレミィの近くに駆け寄る。
「無事、じゃないですね。顔がちょっと凄いことになってますよ」
「うるせぇ。あぁ~くっそ。奥歯砕けたわこれ……顎も軋んでるし」
レミィは真っ赤に腫れた頬に手を添える。
「何でブランドンとクロエはここに? ここ北地区だぞ。客人でもない亜人を見かけたら殺されるぞ」
「レミィさんとクーロンが歩いているところを目撃した子がいて。ブランドンに相談したら一緒に行くことになって……。大変でした、潜入するのは」
「潜……」
本当に忍び込んでここに来たとは。もし兵士に見つかれば処刑は免れない。
猪突猛進な仲間に呆れながらも、危険を冒してまで助けに来てくれたことに感謝し、レミィは笑みを浮かべた。
「決闘の邪魔をして悪かったな、レミィ」
ブランドンが手首を擦りながらレミィの元へ近づく。
「いいよ。正直助かった」
「そうか。とりあえずここを出るぞ。相手はまだ死んでいないからな」
クロエの視線がクーロンに向けられる。既に上体を起こしていた。
「クーロンさん……」
「その声、お主、黒江か!?」
バっと鋭い視線が向けられたクロエは後ろに一歩下がった。
「やはり紅葉に着いて行ったか。卑しい猫め。どの面下げて立てついている!」
激昂する相手をクロエはキッと睨みつけた。
「五月蠅い! 私はもうあの屋敷に囚われている小間使いじゃない。私の使命は「嵐」とその所有者を慕い、守ることだ。あなたも、お姫様も、「嵐」は選ばなかった! 「嵐」が選んだのは彼女だ、だから私はここにいる!!」
レミィを背に隠しクロエが力強く発言するとクーロンは立ち上がった。怒りの感情を隠そうともしない。
ブランドンが再び相手に挑もうと一歩踏み出す。
「……拙者の力を見縊るなよ」
クーロンは左手だけで野太刀を持つと半身になり、空いた右手で峰の部分を緩やかに撫でる。感触を確かめるような動作。それを見ていたレミィが目の色を変える。
止めなければならない。相手はある魔法を使おうとしていた。これでは人気のないこの場所で戦っている意味がない。
レミィはクーロンを止めようと口を開いた。
「止めなさい。クーロン」
それを遮るように、凛とした声が展望台内に響き渡った。
静かな真昼に、微かに鳴り響く風鈴のような、耳に残る声。力強さと美しさを兼ね備えたその声。
同時に横から優しい蓮の花の香りが漂ってきた。ゆっくりと顔を横に向けると、そこにはヨシノが立っていた。
昔と変わらない華やかさすら感じる出で立ちに見事な着物姿。一瞬とはいえ、レミィもクロエも、その姿に目を奪われていた。
「姫……拙者はまだ」
「クーロン。あなたの魂と活躍は見事でした。しかし今日は相手が上手ですね。あなたが本気になったら負けるとは思いませんが……五体満足で勝てる、とも言い切れません」
クーロンは歯噛みしてブランドンを睨む。鬼同士の視線がかち合う。闘争心溢れる両者は互いに譲ろうとしなかった。
ヨシノは嘆息すると、隣にいるレミィに、氷のような瞳を向けた。侮蔑の意味が込められていると、レミィは肌で感じ取る。
その瞳を隠すように、ヨシノは顔に花を咲かせた。
「久しぶり。紅葉」
少女のような可憐な笑みには確かな嬉しさがあった。
レミィは鼻で笑って返事をした。
「よぉ。善乃」
「本当に紅葉なんだ。身長、凄い伸びたね。7年前から随分と、綺麗になったね」
「そういうお前は太ったか? どうせまだ脂っこい拉麺ばっか食ってんだろ?」
「まさか」
今度はヨシノが鼻で笑った。
「食事なんて喉を通らないよ。あなたが消え失せて、「嵐」を持っていかれた時から。ずっと。ずっとね。ずっと……私は……悪夢しか見ていないの」
ヨシノは声色を変え、レミィの前に紙を落とした。
「んだよこれ」
「果たし状」
「はっ。この古くせぇ文化、まだ滅びてなかったのかよ」
「明後日」
レミィを無視して言葉を紡ぐ。
「明後日。戦おう。誰にも邪魔されない場所で正々堂々と。もしそこにいるオーグや黒江」
ヨシノの目がクロエに向けられる。昔と変わらない権力者の視線に、クロエは視線を反らしてしまう。
「あなたが邪魔をするなら、私はこの国を”両断”する」
正気とは思えない発言にレミィが困惑した声を上げた。
「馬鹿かてめぇ。ここはギルバニア王国の」
「知ってる。けれど、「嵐」があるならそれでも構わないと思ってる」
「……お前」
レミィが顔を強張らせると、ヨシノの顔から笑みが消えた。
「私はね、紅葉。本気だよ。海をわたってこの大陸に来たのは、すべて「嵐」のため。「嵐」があるかないかで、私は、スサトミ大陸にある国々は……ギルバニア王国に宣戦布告する」
吐き捨てるような宣告にレミィは言葉を失ってしまう。
絶句したのは数秒だった。ここで彼女を止めなければ、取り返しのつかないことになってしまう。
唇が戦慄き、何とか一言だけ言葉を絞り出した。
「また道を見失っているのか、善乃」
懇願のようにも聞こえるその疑問に対し、ヨシノは頭を振って口角を上げた。
「違うよ。見つけたんだ」
視線を切ってクーロンの元へ向かう。クーロンはブランドンを睨んだまま柄を逆手に持ち刃を背中に隠した。
不意にヨシノは立ち止まり、肩越しにレミィを睨む。
「逃げないでね。紅葉。私を止めたいのなら。”レミィ・カトレット”として生きたいのなら――死ぬ気でかかってきなさい」
それは決別の意味が込められた覚悟の言葉だった。
遠ざかっていく背中に言葉はかけられず、レミィは自分の持つ刀を見つめるだけだった。
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