第199話「鬼の剛腕疑念と憤怒に塗れ」
「……緊張したぁ」
ゾディアックは椅子に腰掛けてホッと胸を撫で下ろした。慣れない場所で、素顔を曝け出しながらの作業。手元が震えっぱなしだった。
「お疲れ様です、ゾディアック様」
ロゼが明るい声を出しながら隣に座った。黒いスカートがふわりと浮き、甘い香りが漂う。
「素敵なデザートでした。名前の由来も含めて、とても」
「全部入れ知恵されただけだけどね」
「それでも立派に説明できていました! 味も褒められていますし、努力の賜物です。胸を張っていいのでは?」
「いや。胸を張るのは、彼だよ」
自分の力だけでは合格は得られなかっただろう。ゾディアックは勝利の立役者に視線を向ける。彼は今、少し離れた場所でラルに絡まれていた。
「異世界人の知識と技術はやっぱり馬鹿にできないねぇ~」
「あはは……仕事の知識が活かせる場所でよかったです。こっちの世界には驚かされてばかりで」
例えば、と言ってマルコは自身のパーカーの襟元をグイっと引っ張る。
「魔法、というより、ヴェーナ、でしたっけ? それを使えば伸縮自在になる服とか」
「ああ。やっぱりこの世界の服を着てたんだね」
マルコの服装は白いパーカーにジーンズと、何の工夫もない。ラルは鼻を鳴らした。
「ケチだなぁ、最強のガーディアンさんは~。もっと上等な物、強請ってみたら~。それだけの功績だと思うしぃ」
「え?」
「ゾディアックはデザート作りに関してはシロートでしょ? ほとんどあんたが頑張っているなんてことは見抜いているのさぁ」
「かも、しれません。でも、それだけじゃないです。今日作ったのは紛れもなくゾディアックさんですし、解説の助けもしてくれました。自分は大きな顔できませんね」
どこか吹っ切れたような笑みを浮かべてマルコはラルに頭を下げ、ゾディアックの方へ向かった。
「……暗黒騎士のデザート屋さんか」
サフィリアに新しい観光名所が増えそうだと思ったラルは、今度発行される観光雑誌の見出しを決めようとしていた。
「お疲れ様です、ゾディアックさん」
「ああ。お疲れ様。助かったよ、マルコ」
「いえいえ! こちらこそ助けられました」
「一応の対策を用意しておいてよかったな」
「ですね」
互いに安堵の笑みを浮かべ合う。仲間たちの楽しげな声に耳を傾けながら、ゾディアックは心地いい疲れを感じていた。
ふとマルコを見ると、何かを探すように周りを見渡していた。
「どうした?」
「やっぱり、レミィさんいないですね。どこ行っちゃったんでしょう」
「……彼女も気まぐれだから。どこか行っているのかも」
「そうですか。せっかくだから、食べて欲しかったのに」
マルコは残念そうに呟いて窓の外を見る。燦々(さんさん)と輝く太陽が青空とサフィリア宝城都市を照らしていた。
★★★
「「嵐」を次代に継ぐ者が善乃様では無い。告げである」
「そのような……納得できませぬ! 何かの間違いでは。今一度お告げの再臨を!」
「図が高いぞ九龍!」
「否! 覆さなければなりませぬ! 善乃様が宝刀を継がなければ国が傾きます! それも代わりに選ばれたのが、奴婢にも劣る彼奴などと知れ渡れば」
「九龍。此度の告げ、星ではない。神告である!! 言葉が過ぎれば裁きの槍がお主の頭蓋を貫き体を串刺しにされるだろう!」
「言葉を慎め!」
――何故こうなった。継ぐ者が彼奴でなければ納得した。何故「嵐」は彼奴を選んだ。
「……納得、できませぬ」
九龍は歯を噛み締めた。しかし、首を縦に振らなければならない絶望的な状況を覆すことはできない。
できることは、怒りと諦めを交えた拳を、机に叩きつけることだけだった。
★★★
クーロンは野太刀を力任せに振る、喧嘩剣術を得意とするオーグだ。昔からその戦法であり、今も変わりはない。
そのためレミィはクーロンの隙、癖がわかっていた。そこを的確に突き、相手にダメージを与える。
何も間違いはない基本的な戦術。戦いの流れというものは確実にレミィに流れる。セントラルの職員として戦闘スキルを磨いてきたレミィにとって、それは造作もない。
はずだった。
甲高い音が鳴り響き、レミィの体が宙に浮く。
野太刀を振り切ったクーロンは、丸太のように太く大きな右腕を振り被る。
掬い上げるように強襲してきた太刀を凌いだためレミィの両腕は上がっている。子犬のように腹を曝け出してしまっている。
マズいと思った時には、クーロンの拳が腹に叩き込まれていた。
「ぐうっ……!!」
肝臓に鉄球を撃ち込まれたような感覚だった。視界が揺らぐ。
そのままクーロンは拳を振りぬいた。レミィは木枯らしに抱かれて舞う小枝のように吹き飛び、柱に叩きつけられた。
背中を激しく打ち付けたため息が詰まる。レミィの口から、苦しさを隠せない息と、ダメージを物語る血が吐き出される。臓器は潰れていないが大打撃だった。
女性にしては筋肉質ではあるが、クーロンと比べれば大人と子供である。体術戦では勝ち目がない。
「……他愛ない」
「あぁ?」
口元を拭って立ち上がったレミィはクーロンを睨む。相手の瞳は冷めきっていた。
「まぐれ当たりが出たからって調子乗ってんじゃ――」
一瞬だった。レミィが次の言葉を吐き出すよりも速く、クーロンは距離を潰していた。
レミィの視線が右に向けられる。同時に巨大な裏拳が頬に叩き込まれた。
棘の付いた鉄球、粗く削られた岩石。色々と表現できるが、兎にも角にも強大だった。レミィの体が再び浮き、飛ばされる。
視界が裏返り目の前が真っ暗になる。地面に倒れ冷たさを感じ取るとようやく視界が戻った。
「あ……?」
立ち上がろうとする。だが、視界がぐにゃぐにゃと揺れていた。平衡感覚が狂っている。
口の中がズタズタに裂かれていたため口内にすぐ血が溜まる。吐き出して何とか片膝をついて前を見ると、クーロンが仁王立ちで立っていた。
「他愛ない」
さきほどと同じ言葉を吐き出したクーロンはレミィを見下す。
「何故お前なのだ。弱く、醜いお前が、何故」
悲しむように呟く相手に対し、レミィは鼻で笑った。
「「嵐」が私を選んだのさ。私にも理由はわからんが……性格のキツい女は嫌いなんじゃねぇの?」
「減らず口は、昔から変わらないな。そう、お主は変わっていない。昔から。今なら、ヨシノ様の方が「嵐」に相応しい」
クーロンが歯噛みする。鮫を彷彿とさせる鋭い歯がギラリと光る。
「海を越え、この大陸の王に会える前に、何としても「嵐」を手に入れなければならぬ。だからお前が潜伏しているこの宝城都市に足を踏み入れたのだ」
「はじめっから、知ってたのか」
「ヨシノ様を舐めるな。お前に対する恨みが奇跡を呼んだのだ」
「……は。ストーカー自慢なんかしてんじゃねぇよ。そういう卑しい性格してるから、刀にすら選ばれねぇんだよ!!」
レミィは立ち上がりながら刀を振った。逆袈裟の一撃は容易く避けられはしたが、距離を離すことは成功した。
一足一刀の間合いが生じ、レミィは正眼に構えを取った。
額に脂汗が浮かぶ。このままでは勝てないことは明白だった。クーロンは明らかに昔より強くなっている。
隙を見て逃げ出すのも不可能だということはわかる。
――「嵐」の”あれ”を使うしかないか。
覚悟を決めたその時だった。展望台へ繋がる昇降機の扉が開く音が聞こえた。
両者の視界の隅に、降りて来た者の姿が微かに映る。
瞬間、ふたりの視線はそちらに注がれた。
「やはり、ここだったか」
巨大な影。それはまさしく鬼を彷彿とさせる、オーグ族の男だった。
「ブランドン!? どうして……」
レミィが名を呼ぶが相手は反応しなかった。ブランドンは傷ついたレミィを一瞥し状況を理解すると、クーロンを睨む。
「同族か。おい、お前」
「……?」
「私の大切な仲間を、随分と可愛がってくれたようじゃないか」
ブランドンが巨大な拳を手の平に打ち付けた。
「邪魔させてもらおうか。その女は、傷つけてはならない存在なのでな」
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