第197話「聖なる薪、相照らす」
昇降機が上昇する音が木霊する。レミィは壁に寄りかかり、腕を組んで次の階層の数字を見ていた。
5階。エントランスから4階まで調べたが、ゾディアックたちはいなかった。いったいどこでテストをやっているのか見当が付かない。
これならさきほど噴水広場にいたラビット・パイの団員に場所を聞いておくべきだった。
後悔していると扉が開いた。壁から背を離し廊下に出て左右を確認する。
通路の奥から、人の気配がした。一番奥の部屋からだった。レミィの猫耳がピクリと反応する。
甲高い声にゾディアックの声が聞こえてくる。
歩調を早め扉の前に立つと声が大きくなった。レミィは静かに、少しだけ扉を開けて中を覗く。
そこには見知った顔と大量の食材、そしてマルコの後ろ姿と、ゾディアックの大きな背中が見えた。
「え……鎧脱いで……」
疑問を小声で呟くと、男の笑い声が上がった。
★★★
突然のラルの笑い声に、後ろの席に座っていたフォックスは顔を引きつらせた。
「なに、師匠。毒でも入れたの?」
「もしかしたら余りにも不味くて笑ってしまったのかもしれません~」
「な、ゾディアック様のデザートは美味しいですよ!」
「あぁ、静かにしてろって。何言ってっかこの席からだと聞こえづらいんだよ」
ベルクートが一喝するのとほぼ同時にラルが口を開いた。
「うん、なるほどねぇ、なるほどぉ」
頷きながら目の前に置かれた、一切れのブッシュ・ド・ノエルを見つめる。フォークで切り分け二口目を口に運び、再び頷く。
ユヴェーレンとアリサも二口、三口と切り分けられたケーキを咀嚼している。
「いくつか聞きたいことがあるなぁ。まずさ、このケーキ。ブッシュ・ド・ノエルってなんなの? 由来とかあるんでしょ~」
評価の前に質問をする。これは審査員によく見られがちな行為だ。意地の悪い相手だと味や調理法ではなくデザートに関する豆知識を聞いてきたりする。ラルは後者だった。大方ここで上手く質問に答えられなかったら接客態度が云々と文句を言われるだろう。
だがそれも対策済みだった。マルコがテーブルの前に立ち、後ろ手に手を組む。
「直訳すると、”クリスマスの薪”という意味になります」
「クリスマス?」
「私のいる世界では、聖夜とも呼ばれる特別な日があるのです。このケーキの由来は諸説あります。ある宗教団体では薪を燃やして厄を払うことから、クリスマスに薪をかたどったケーキが生まれた。他の説には、クリスマス当日、恋人へのプレゼントを買えなかった貧しい青年が、己の思いを乗せた薪一束を送ったという話から、薪を模したケーキを作り始めた、というものもあります」
「へ~、ずいぶんとロマンチックだね」
ラルは頬を緩めた。嘲笑ではなく純粋に納得しているようだった。
マルコは拳を握る。順調だった。解説役がゾディアックでないことに対して何も言わない。このままマルコが味のこだわりやデザートの薀蓄を語っていれば、確実な評価が貰えることは必至だ。
「それじゃあ味の方を聞こうか。まずさぁ、単純な質問なんだけど、何でもっと甘くしなかったのぉ?」
「それは食すか――」
マルコの言葉がノイズによって搔き消された。
「!!?」
驚きで目を見開いて喉に手を当てる。ネックレス型の翻訳機に指を当てながら、マルコは思考を巡らせる。
何が起こったのか、思い当たる節はある。ゾディアックの方を見ると目が合った。
『ゾディアックさん、聞こえてますか? 何を言っているかわかったら右手を挙げてください』
喉を鳴らして誤魔化しながらゾディアックに問いかけるが、相手も驚きの表情を浮かべたまま首を傾げるだけだった。
視界の隅ではラル含めた審査員たちが怪訝な表情を浮かべ始めている。
どうやら懸念点が現実になってしまったらしい。その懸念点とは翻訳機がいつまで正常に動作し続けるのか、という点だった。機械という言葉から充電か電池交換をする必要があるのではないかと、マルコは初めから疑問に思っていた。しかしながらこの世界に機械は浸透していないことを、練習中にゾディアックから聞いた。
そのため翻訳機が使えなくなった際の作戦も考えておく必要があった。そう、今この状況は作戦通りなのだ。
マルコが首元を指差すと、ゾディアックは頷きを返した。
「……俺が説明す、します」
有事の際は、ゾディアックが説明を行うことになっていた。
兜を外し、赤くなった顔を外気に晒しながら、視線をラルたちの方に向ける。
「ん? 選手交代?」
「喉の調子が悪くなったみたいで」
「ふぅん、まぁ何でもいいけど。答えはぁ?」
「……そっちの好みがわからなかった、だからそれほど甘くないようにしました。甘すぎると胸焼けがするかもしれないし、単純に好みじゃない可能性も大きかったから」
「このコリコリとした食感は?」
アリサがゾディアックに尋ねた。
「チョコチップ、です。ちょっとした歯応えを入れたいと思い、いれました。数も疎らなので、気にならないかと。潰した際にほんのりとした甘さがでるので、相性もいいと思います」
台本を読み上げるように言った。それもそのはず、ゾディアックはマルコが用意した質問の回答集を暗記しているだけに過ぎない。コミュニケーションが苦手な彼が話せるよう、必死に用意した模範解答は、効力を発揮していた。
「……すごいな。本当に木のように見えるデザートだが、非常に……」
フォークを置いたユヴェーレンが顎に手を当て、考え事を呟いている。そのまま数回唇を動かすと、ゾディアックを見る。
「疑問が。なぜ柑橘類の果物を使用したのですか? ケーキの中身には入っておらず、上から塗した程度のものではありますが、特に必要ないようにも思えます」
「それは……」
ゾディアックの視線がラルに向けられる。
「ラルさんの好みだけは、当てられそうだったからです」
「……んん? どういうことぉ?」
「ラルさんがいつも食べている棒付き飴。棒の部分が虹色で、特徴的だったからすぐに見つけることができた。それを食べてみると、意外と甘くなくて、どちらかというと酸味を楽しむものだって気付きました」
ゾディアックは一度深呼吸した。語尾が震える。背中に汗をかいている。
あともう少し、頑張れと己を奮い立たせ、再び口を開く。
「なので、味付け用に。クリームの中に入れようとも思ったのですが、見た目が悪くなるのと、木という見た目から”樹液を吸っているようだ”と試食の子に言われて、上からふりかけるだけにしました」
子、という単語を聞いてラルが後ろの席に座る亜人たちを見た。
「……ふーん。俺に媚び売りに来たってわけだぁ」
「はい」
臆せずゾディアックは頷いた。
「ラルさんは、”俺たち”のお店の、最初の客人だと、思ったので……」
練習期間中必死に考えた決め台詞を、ゾディアックは口から吐き出した。
これ以上媚びへつらう言葉は用意されていない。これとケーキの味以外、彼の心は動かせない。
「いかが、でしょうか」
眉根を寄せて尋ねる。
面食らったように制止していたラルは、皿に乗った残りのケーキを一気にかきこんだ。味わうように咀嚼し飲み込むと、白い歯を見せる。
「媚び売ってくるのはねぇ、処世術のひとつだから別に嫌いじゃないんだけどね……。うん、まぁ悪い気はしないね」
「……えっと」
「最後だ。大事な事。これを言わないとね」
ラルは両手を合わせ、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「美味しかった。初めて食べる異世界のデザート……本当に美味しかったよ」
「団長と同じ気持ちです。正直言って、甘味が好きなので、一口で気に入ってしまいました」
「同じくです。ていうか一本丸ごと欲しいくらい」
続くようにユヴェーレンとアリサが評価を下した。
後ろから仲間たちが席を立つ音が聞こえてくる。
「そ、それじゃあ……」
「うん、まぁ。期待大って感じぃ。いいよぉ、手を貸してあげる。出してみなよ! 黒騎士のデザート屋さんってやつ!」
わざとらしい大声が室内に響く。
瞬間、嬉しそうな声が後方から上がった。
「よっしゃああああ!!」
「さっすが師匠!! チョコレートまみれになった甲斐があった!」
「やった! やりましたよロゼさん! やった!」
喜びの声とハイタッチをしている音が聞こえてくる中、ゾディアックとマルコは視線を合わせた。マルコが親指を立てる。
「あまり不祥事は起こさないでね~」
「ああ、ありがとう、ございます。ラルさん」
ゾディアックがラルに頭を下げると、マルコも頭を下げた。
部屋の外から合格の様子を見たレミィは、安堵のため息をついてから部屋の中へ足を踏み入れた。
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