第196話「聖なる甘味路を照らさん-後-」
マルコはトレイにキッチンペーパーを広げ型を作り始めた。異世界では”キッチンペーパー”と呼ぶのかどうかわからないが、今はどうでもいいことだ。
ゾディアックの方を見る。練習の成果か素早く卵を割り、卵白と卵黄を分け終えている。卵白だけを落とす黄身取り器があればもっと早くなるだろうが、この世界にはないらしい。
作成するブッシュ・ド・ノエルは1本としている。大人3人に切り分けても余る想定ではあるため、食材の分量さえ間違えなければ問題はない。間違えてしまっては見た目も味も台無しになる。ゾディアックはそのことを、肝に銘じていた。
小さめのボウルにチョコチップを入れ、手の平に炎の魔法をかける。ボウルを温めると、チョコが溶けだしていった。魔法を解くと牛乳を入れ、泡立て器で混ぜ合わせる。
作業をしているゾディアックの隣で材料の準備をしていたマルコがラルの方を見る。
「質問があります」
「ん? なぁに異世界人。魔法の使い方なら隣のイケメンくんに聞きな。使えないと思うけど」
「いえ、魔法ではなく審査員の好みについてお聞きしたいです。詳細は語らなくて結構ですが、今更「甘いのは無理」などとは言いませんよね?」
「もちろん。そんな無粋な事してもこっちに得はないからねぇ。俺は何でも食うし、ユヴェーレンとアリサも好き嫌いしない、いい子たちだよぉ~」
マルコはラルを挟んで座る審査員ふたりに目を向ける。ユヴェーレンは宝石が付けられた煌めく指輪を見せつけるように、軽く手を振った。アリサ、という名の長身の女性は背筋を伸ばしたままマルコをじっと見つめている。
嘘をついているようには見えなかった。マルコは視線を切ってゾディアックの助手に戻る。グラニュー糖と強力粉が入ったボウルに卵白を入れ、混ぜ合わせているところだった。
素晴らしい力加減で混ぜていたのだろう。既にクリーム状になっていた。
ゾディアックは泡立て器を持ち上げ液体状になったことを確認すると、さきほどのチョコソースを投入し混ぜ始める。
完全にとろみが出た所で、マルコは余った卵白とグラニュー糖を投入してあるボウルをゾディアックの前に差し出した。入れ替えるように現れた新たなボウルに対し、彼が過剰に反応することはない。
マルコがハンドミキサーを手渡すと、軽く混ぜながらスイッチを入れた。機械の音が室内に木霊する。
その様子を、フォックスはそわそわとしながらうかがっていた。
「順調なのかな? まだできないかな?」
「まだ作り始めたばかりでしょ、フォックス……」
「心配する気持ちもわかりますけどね~」
「いいから黙ってみてろってお前ら。うちらの大将が頑張ってんだ。静かに応援してやろうぜ」
仲間たちは口を閉じゾディアックの背中を見つめた。
ふんわりとした白いメレンゲができあがると、スイッチを切り強度を確認する。
完璧だった。持ち上げると柔らかだが固さのある角が浮かび上がっている。
ゾディアックは額を拭った。妙な緊張感と気恥ずかしさのせいか、額には少し汗が浮かんでいる。
ゴムベラを使い、メレンゲを分けてチョコソースのボウル内に投入する。メレンゲが潰れないよう、切るように混ぜる。マルコのアドバイスを思い出しながら慎重にかつ大胆に白を茶色に染めていく。
数回に分けて同様の作業を行い、生地が仕上がった。
「ど、どうだ?」
「完璧です。時間は」
ゾディアックの視線が壁にある時計に向けられる。異世界の時計の読み方を、マルコは理解していない。文字もだ。
「まだ15分も経ってない」
その声に対しマルコは目を細める。つまり10分は過ぎているということ。自分ができることは器具の準備や材料の分量を計ることくらいである。あまりに手を出すとラルが何を言い出すかわからないからだ。もう少し手を貸すことができればもっと早く作成することができた。
ただゾディアックは初心者に毛が生えた程度。これでも上出来だろう。
反省は後回しにしようと思い、マルコは絞り金口を袋に付ける。
「絞り出します。私に任せてください。温めて欲しい時になったら呼ぶので、それまでに練乳クリームを作成してください」
「結局オーヴァンは使わないのか?」
「練習期間ではっきりしました。ゾディアックさんの魔法の方が早いと判断してます」
喋りながら袋に生地を詰め終えると、マルコはトレイに乗せられた型の上に生地を絞り出していく。金口から絞り出し、線を引くよう真っ直ぐに出していく。
ゾディアックはその間に新たなボウルにコンデンスミルクと生クリームを入れて混ぜた。クリーム作りの工程はこれだけである。
「ゾディアックさん! 生地を温めてください」
終わったのを見計らったようにマルコがトレイを持ってきた。細長く絞り出された生地がギッシリと乗せられている。
「温度は180、その後調整でいいな」
「はい、よろしくお願いします」
生地が崩れるのだけは避けなければならない。重々承知していたゾディアックはトレイを受け取り、両手に魔力を流す。
魔力喚起によって引き起こされた炎熱系魔法が、トレイを覆いつくすように空間を温める。
魔力を高める。一瞬で温度が上昇し線であった生地が溶け平べったくなる。あとは時間と生地の具合に注視しながら魔力を流し続ける。
広がった生地が一瞬隆起する。その後しぼんでいく。まるで早送りの映像のように生地がしっとりと焼けていく様がゾディアックとマルコの目に映る。
「……充分だな」
何度も練習した調整に自信はあった。魔法を解除しトレイをテーブルに乗せる。
マルコは出来上がった生地に指を這わせた。ベタついておらず、指にも引っ付かない。精巧だった。
「いい柔らかさですね。あとは生地をひっくり返してクリームをかけます」
トレイから型を取り出し上にキッチンペーパーを被せと、そのまま生地をひっくり返し、取り出した。黄金色に近い色をした生地が姿を見せる。
作業工程を見ていたユヴェーレンがラルに耳打ちする。
「あれは生地でしょうか。作業が早いですね」
「そうだねぇ。相当練習したのかなぁ~。ゾディアック~」
ラルはどこか期待しているような声を出しながら、ふたりをじっと見つめた。
練乳クリームを新しい袋に入れたマルコは、さきほど同様、生地の上にクリームを絞り出していく。ここまで来れば完成したようなものだ。
引き終えるとクリームを慣らし、一息つく。
「では、ゾディアックさん。あとはお願いします」
「……やっぱり俺が巻かないと駄目か?」
「ええ。大丈夫です。失敗は練習中にしたじゃないですか。つまり本番では成功するということです」
「……わかったよ」
立ち位置を変わり、ゾディアックはキッチンペーパー越しに生地を持ち上げた。
あとは丸く巻くだけ。慎重に、力加減を間違えずに生地を曲げていく。
「頼むから潰れないで……」
懇願するような呟きはマルコにしか聞こえていなかった。紙が擦れる音と、生地とクリームが接触し合う音が、いやに大きく鳴り響く。
そして、生地を丸め終え、ペーパーを離す。そこには丸型のケーキが出来上がっていた。
「へぇ~……なるほど。だから”木”かぁ」
出来上がった物を見てラルは感心した。
ゾディアックが巻いた生地はひび割れていた。だがそれは失敗ではなくわざとこういう見た目にしていることをラルは悟った。若干明るい茶色の太く長い生地は、ひびもあってか、まるで丸太のようであった。
作り終えた生地をマルコが綺麗に整える。先端の、クリームがはみ出している部分は削ぎ切り、綺麗な断面が見れるようにする。そして切り取った生地を丸太の上に乗せ、断面部分は生地と同色のチョコクリームでコーティングした。
「いつの間にチョコソース作ってたんだ?」
「ゾディアックさんがメレンゲとか作っている間にちゃちゃっと。ハンドミキサーの音聞こえませんでしたか?」
「……全然」
ゾディアックは頭を振った。それだけいっぱいいっぱいだったのだろう。今は普通の素顔を見せているが、内心は乱れているに決まっている。額に浮かぶ汗の量も増えていた。
だがもうケーキ作りは佳境を迎えていた。
「ゾディアックさん、飾りつけをしましょう」
「ああ……」
マルコはパックに入った食材を渡した。見栄えのいい赤と、紫、そして黄を使うことを決めていた。形も味も似ているイチゴとブルーベリーを盛り付け、小さく切ったオレンジの切り身を乗せていく。本当は飾りも欲しかったが、今回はフルーツだけで完結するつもりだった。
そうして盛り付けが終わったところで、マルコは隣を見た。
ゾディアックが頷き、皿に盛られたケーキを持って、ラルたちが待つテーブルに置く。
「……完成です」
「すごいねぇ。本当に。木みたいだねぇ」
ラルは子供のように手をパチパチと叩き笑みを浮かべた。
「これ、何て名前?」
ゾディアックは噛まないよう、一度息を吸って言った。
「ブッシュ・ド・ノエル」
異世界で作られているデザートを完成させたゾディアックの顔には、達成感溢れる笑みが浮かんでいた。
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