第194話「明朝決戦、空が白の時」
窓の外を見て時間帯を確認する。時計よりも空模様で時間を把握するのは、ヨシノの幼いころの癖だ。
空が白んでいる。活発に動いている人物は少ない時間帯である。食堂や小売店の従業員ならすでに動いているだろうか。
ベッドの上で仰向けになり呑気に考えていると、部屋の扉が勢いよく開けられた。
「……静かに開けていただけませんでしょうか」
顔をしかめながらずかずかと入ってくるクーロンを睨みつける。クーロンは咎めるような言葉を無視し、ベッドの隣で片膝を床に付けたクーロンは、横になっているヨシノに一礼する。
「明朝から失礼、ヨシノ姫」
「ヨシノで大丈夫ですよ」
「否。主をそのように呼ぶことはできませぬ」
堅物、という言葉をグッと飲み込むとヨシノは状態を起こしクーロンに目を向ける。ただの座り姿ですら気品が漂う彼女は、寝起きとは思えない凛とした表情で口を開いた。
「どうされましたか」
「偵察の結果を報告いたす。先日まで小指の甘皮ほども見当たらなかった紅葉の痕跡、突き止めましてござりまする。空に揺蕩う残り香、この九龍の鼻尖がしかとひっ捕らえました」
「なるほど。それはどこで」
クーロンが顔を上げて言った。
「南地区、合わせ西地区は隅の街……亜人街」
それを聞いたヨシノが微笑みを浮かべた。亜人という言葉に反応してか、紅葉ともうすぐ会えると悟ってか、それともその両方か。
期待に胸を膨らませ、己の感情が抑制できなくなったヨシノはベッドから降り立った。
「すぐに支度を。向かいましょう。これ以上滞在することは痛手となります。紅葉を仕留め、我が宝剣「嵐」を取り戻しましょう」
「承知」
大きな声で返事をしたクーロンは、その場で頭を下げたまま動かなくなった。
ヨシノは笑みを消し、片眉を上げて頬を掻く。
「あの……クーロン」
「は。如何なされました」
「とりあえず、早く退出して欲しいのですが……着替えられません」
「これは失敬。しかし、姫様の肢体に些かの興味も無い旨を伝えておきまする」
まったく詫びている様子もないクーロンに対し、ヨシノはベッドから枕を手に取り、相手に投げつけた。
★★★
「朝っぱらからデザート、ですか」
マルコは手に持った紙を見ながら呟いた。マーケット・ストリートは閑散としており人はまるでいない。露店を準備している商人が極僅かにいるが、マルコの方には目を向けようともしなかった。
「何か問題でもあるのか?」
鎧が揺れる音を響かせながら隣を歩く、甲冑姿のゾディアックがマルコに声だけ投げた。見た目は完全に悪魔の風体であるため、明け方の光景と相まって非常に不気味だった。
「昼を過ぎた頃になると思っていただけです」
マルコは苦笑いを浮かべて肩をすくめ、再び紙に目を移す。
昨日の夕方にラビット・パイから来た招待状だった。場所の案内と作成するデザートの確認の他、さまざまな規定が書かれていた。
「審査員はラルさんを含めて3人いるみたいですね。一応紙には、甘かろうが苦かろうが何でも食べることができる雑食系だと書かれておりますが」
「問題か?」
「それなりに。ラルさんだけならまだしも、今日初見で出会う2人の情報が少なすぎます。何が好みかわからないので、会ってやんわりと聞いてみるしかないですね」
生き物には必ず好みがある。作る物はブッシュ・ド・ノエルで確定しているが、好みでない味を入れてしまっては致命打になってしまう。好みを知ることは必須条件だ。
「あとは材料や器具ですが」
マルコは目を細める。紙には「調理器具並びに食材はラビット・パイで用意する。不合格だった場合使用した材料全てに対し金を払ってもらい買い取ってもらう」という規約が書かれていた。
「確認なのですが、ラルさんは信用できる方なのでしょうか」
マルコは後ろを歩くベルクートを肩越しに見つめた。ベルクートは欠伸を噛み殺していった。
「絶対に安心していいっていう補償はしねぇけど、かといって嫌がらせをしてくるような相手でもないと俺は思うぜ」
「同意見ですね~。あれでもサフィリア宝城都市に幾千といる商人団体を牛耳るリーダーですし~。信用を落とすようなヘマもしませんよ~」
ベルクートに続いてラズィがそう援護した。視線を隣にいるゾディアックに向けると彼も頷きを返した。昨日会った時は胡散臭さを感じたが、そこまで腐っている相手でもないらしい。
だが後ろの方から、小馬鹿にするような鼻で笑う声が聞こえた。
「どうだか。あの飴玉兄ちゃん、俺とか師匠とか、ベルクートさんのこと嫌っている可能性があるぜ」
「まぁ確かにちょっといざこざはあったけどよ。ここでチャチャ入れてくるとも思えねぇんだよな」
自信満々なフォックスの声とやんわりとしたベルクートの言い方は、マルコの不安心を加速させた。できれば調理器具だけでも揃えておきたかった。
マルコは日本にいた時のことを思い出していた。パティシエとして働き始めコンテストでも優秀な成績を収めていた頃、同じように従業員とお菓子作りの勝負をした時があった。その時は、相手側が用意した調理器具に、細工がしてあった。
世界を超えてもそのようなことがあるのではないか。そもそも魔法などという摩訶不思議な力があるのだから、ダーティプレイを仕掛けてくることなど簡単かもしれない。
「……大丈夫だ」
ゾディアックが静かに言った。
「もし向こう側が何かしたのなら、俺が話をつける」
兜がマルコの方を向いた。兜の下はどのような表情を浮かべているかわからない。声色もまるで変ってない。
だがゾディアックの言葉には不思議な安心感と優しさがあった。一緒に歩いているパーティメンバー全員、その思いを汲み取る。
「普段はコミュ障のくせに、大丈夫か~? 大将」
「大丈夫だよ。マスターはやる時はやる男なんだから。ね、ロゼさん」
ベルクートに近づいて言ったビオレは視線を後ろに向ける。黒いゴシックドレスを身に纏うロゼは、その通りだと言うように頷きを返した。
なるほどと、マルコは納得した。この人が慕われている理由が少しわかったかもしれない。
いわゆるカリスマ、人の上に立つために必要な天性の魅力が、ゾディアックにあることを察した。
そうしている内にマーケット・ストリートを抜けた先にある噴水広場にたどり着いた。大きな噴水の前に、ひとりの人間が立っていた。店の準備をしている商人ではなく、明らかにゾディアックたちを待っていた。
「お待ちしておりましたよ、ゾディアック・ヴォルクスさん」
低姿勢な男が現れた。その人物は以前、獣人を探していた時にラルとの連絡を取ってくれた、宝石好きの男だった。
男は一礼すると人当たりのいい笑みを浮かべてゾディアックに近づいた。
「先日は名乗ることができませんでしたね。私、ユヴェーレンと呼ばれております。本名ではないのですがね」
「……あなたが案内してくれるのか?」
「ええ。朝っぱらから大所帯で来られましたねぇ。ああ、いえいえ。気にしないでくださいね。仲がよろしくて大変結構」
明らかに小馬鹿にした言い方だった。だが誰も反応はしない。フォックスとビオレが無言で力強く睨んでいた。
ユヴェーレンが両手を上げる。
「あまりそういう態度は取られない方がいいですよ、亜人の方々」
「戯言はどうでもいい。案内してくれ」
「ええ、それではこちらへどうぞ。ああ、そうそう。ひとつだけ」
ユヴェーレンの顔に笑みが浮かぶ。
「私、案内役兼、本日の審査員でもあるので。よろしくお願いいたしますね」
その言葉を聞いた瞬間、睨んでいた亜人ふたりは目を開いて視線を切った。
気分を良くしたのか、ユヴェーレンは得意げに鼻を鳴らして背を向け歩き始めた。
お読みいただきありがとうございます!
次回もよろしくお願いします。