第190話「超越しようと道を超えること叶わず」
そしてこの異世界に来た。
一度死んだ体験をしたからだろうか。「彼女」の顔も名前も、酷くぼやけている。尊敬する人の名前と顔と悪行だけは、しっかりと刻み込まれているのに。
「マルコ?」
名を呼ばれ、ハッとして顔を上げると、レミィが心配そうな表情で見つめていた。
「どうした? ボーっとして」
「あれ。肉嫌いか? 生焼けだったかな。大将しっかり焼けよ~」
「ご、ごめん……」
ゾディアックがグリルで焼いている肉をトングで掴み上げる。
「俺はちょうどいいぐらいなんだけどなぁ。正直生でも行ける」
ソースで口周りをべたべたにしたフォックスが言った。今か今かと肉を待ち望んでいるのに対し、ベルクートが鼻で笑う。
「亜人と異世界人の消化器官って違うんじゃねぇのか? 口に合わなかったらすぐ行ってくれよ、先生」
「……先生?」
初めての呼び名に対し、マルコは首を傾げる。
「あれ? 異世界ではそう呼ばれてなかったのか?」
「私も気になる。どういうことだ、ベルクート」
「だからあれだよ。お菓子作りの”先生”ってこと」
マルコ以外の全員が納得したような声を出した。
「先生か。初めて呼ばれました」
「嫌だったらすぐ言った方がいいぞ」
「いえ、大丈夫です。……悪くない響きなので」
かつて自分も、尊敬する先輩をそう呼んでいたことをマルコは思い出す。
この世界に来たことは何か意味があるのだろうか。この人たちと出会えたことは何か意味があるのだろうか。
立ち上っていく煙に己の疑問が入り込み、天に向かう。答えはわからず疑問が霧散する。
ただ確かなことは、この人たちは自分を必要としているということだけだった。
マルコは、この人たちと行動することが自分の罪なのかもしれないと、そう思い始めていた。
であればまずは友好を深めるべきだと、マルコの視線がベルクートに向けられる。
「あの……ベルクート、さん」
「ん? おお、どうした」
「お店の準備なのですが、私が手伝ってもよろしいのでしょうか」
食事の手を止め、しばし考えたベルクートは笑みを浮かべてマルコに近づいた。
「やる気出してくれてんじゃん。誘っといてなんだが、無理なら無理って言って大丈夫なんだぜ?」
「いえ、やりたいんです。この世界で自分のことを知っている人は、いないと、思うので。ここにいられなくなったら、俺は……いや私は、どこかに姿を消すしかないんです。だから働かせてくれませんか。異世界のデザート屋さんで」
自分でも驚いていた。意外とやる気を出している感情に。
自殺をしたという後ろめたさから逃れたいだけかもしれない。そんな意地汚い心持ちでこの人たちと一緒にいていいのだろうか。
ベルクートは不安そうなマルコを見て、ゾディアックに視線を向けた。焼けた肉を切ってビオレの皿に乗せている。
「大将! 開くぜ、店。ガーディアンとの兼業になるかもしれんが大丈夫か?」
口では散々店を開く、手伝えと言っていたベルクートだったが、無理強いをしないところが彼の本心なのだろう。ゾディアックは肩をすくめた。
「せっかくなんだ。マルコ、さんの腕も確かだと思うし、一緒にやってみるのもありかもしれない。ただ問題点が多いのだけは……」
「わぁってるよ。色々と問題があるだろうけど一応考えがあるのさ」
そう言ってベルクートはマルコを見た。
「というわけでだ。開店する前にあることをしないといけない。そのためにはマルコさん、あんたに手伝ってもらうことがある」
「……はい」
不安7割、希望3割。
マルコは新しい世界でもう一度人生を歩もうとしていた。
★★★
翌日。もう一度だけゾディアックの家に宿泊したマルコは、ベルクートと共に朝早くからマーケット・ストリートを訪れていた。
歩きながら店や道行く人を観察する。昨日よりも露店の数が減っており店の種類も変わっていたがそれでも人通りは多く、目に入る物はよくわからない物が多い。あとは武器や防具の類だ。この世界では装備が生活の必需品か、仕事道具になっているのだろう。恐らくガーディアンと呼ばれる職業が使っているのだろう。
そういえばゾディアックやベルクートらもガーディアンだったなと思っていると、隣にいたベルクートが足を止めた。
「ベルクートさん?」
「なんだよ、もういんじゃねぇか」
不快感を露にしたベルクートは舌打ちしそうになったのを止めた。
首を傾げてベルクートが見つめる方に視線を向けると、長身の男が露店の前で立ち止まっているのが見えた。
「あそこの露店は……」
「俺の店だよ。開店前から並びやがってよ」
吐き捨てるように笑った。
「気を付けろよ先生。相手はこの道の、というより商人のドンだ」
「ドン?」
「頭目とか親分的な。厄介な立ち位置にいんだよ」
「そんな方が、何故?」
「決まってんだろ。店を開くために呼び出したのさ。ちょっとコネがあってな。まぁこんな朝早くから来いなんて言った覚えはないんだが。とりあえず失礼のないようにな」
言動は粗暴だが性格は真面目らしいベルクートの言葉に対し頷きを返す。
2人がまだ開店していない露店に近づくと、男の視線が向けられた。ツーブロックの七三分けの髪型にスーツ服を着ている。スーツじゃないかもしれないが。黒い革靴は光沢を放っており、マルコは競合会社にいた社長を思い出した。
「やぁや~、ベルクートさん」
間の抜けた声が耳の届く。ドンと呼ばれる男は随分と若いらしい。
棒付き飴を咥えている相手が前に立つとベルクートが頭を下げた。
「どうも、ラルさん」
「やめてよ~、頭なんて下げないでよぉ。君たちのおかげで、こっちは余り被害も受けてないし、クソみたいな異世界人排除できたんだから~」
ラルと呼ばれた男は顎下の髭を撫でる。
「ただね~? いきなり呼び出されるとイラッとするんだ~。いい度胸しているなぁっと思ってちょっと怒ってるんだけどぉ。面白い話じゃないとすぐ帰るからねぇ」
「面白い話さ。新しい店を開く。銃なんて売らねぇ」
「へ~? とうとう諦めてくれたんだ。で? 新しい店では何を売るの?」
「デザートさ」
「……デザート? 食品?」
ラルの眉が寄せられる。声色も低くなっており、明らかに警戒しているのがわかった。
「中々大胆なことをいうね~?」
「そこでだ。衛生面や使う食材に関してはちゃんとするが……はっきり言おう。後ろ盾が欲しい」
「は~……?」
「ラビット・パイの援助が欲しい」
沈黙が流れる。ラルは2、3度目をしばたたかせると、吹き出した。
「へぇ~? 随分と大胆なことを言うね。いいよ、面白い」
「だろ? おまけに作るのはゾディアックが共同で作ってくれる」
ラルの声高な笑い声がマーケット・ストリートに響く。近くを歩いていた人々が何事かと思って視線を向けていた。
気にせず笑っていたラルだが、ピタッと止める。
「一考の余地はあるけど~……共同で~、作るだって? ゾディアックと誰かが作るのかい?」
「ああ。隣にいる異世界人のマルコが一緒にな」
紹介されたマルコは小さく頭を下げる。
ラルはマルコを一瞥すると目の色を変えてベルクートを睨んだ。
「意味がわからないんだけど~。なんで異世界人をわざわざ使うのさぁ~」
「マルコは別の世界でお菓子作りの職人だった。パティシエっていう職だ。その腕は確かだし、上手く提供できればこの街にさらに客を呼び寄せられるだろうよ」
「……」
「考えてもみろ。「オーディファル大陸最強とも言われ高いガーディアン、ゾディアック・ヴォルクスと、魔法も使えない異世界人のマルコくんが提供する最高のデザート」……客を呼び寄せるには最高の謳い文句じゃねぇか?」
「ふぅん? まぁそこは否定しないよ~。宣伝としても悪くないと思うけど~」
視線がゆっくりとマルコに向けられる。
頭をすでに上げていたマルコは逃げずに、相手の細長く、鋭い目を見つめ返す。
「何よりも問題なのは、マルコ……さんだっけ? その人の腕だよねぇ~」
パンと手を叩いたラルはニッと笑う。
「腕前を見せて欲しい。3日後、アジトまで来てねぇ~。そこで指定したデザートを作ってもらう。こっちの舌を魅了してくれたらぁ~……認めてあげるよ。だって、この世界では誰も作れたことのないデザートだからねぇ~。作るだけじゃなくって、美味しいなら文句ないさ~」
「……そのデザートというのは、なんでしょうか」
恐る恐るマルコが聞くと、ラルは飴を砕き、咥えていた棒を口から離した。
「"木"だよ~」
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