第187話「宵の食に浮かびし悪夢」
それからというもの、マルコは生き生きとした表情で店をめぐり始めた。異世界人ということに気付いた店の者が来店を拒否する素振りもあったが、ゾディアックの姿を見ると彼を受け入れるしかなかった。
このガーディアンが連れている者なら安全だ。何かあってもゾディアックが解決してくれる。そういった思いがあった。
ゾディアックの存在はいつの間にか、サフィリアの人々を安堵させる象徴になりつつあった。
「あの、ゾディアックさん」
食材を手に取っていたマルコが漆黒の騎士を見上げた。
「どうした?」
「いくつか買ってみたい材料があって……デザート作成に使えるかもしれません」
「……結構乗り気なんだな」
「あはは、まぁ」
乾いた笑い声の後、何かを懐かしむような表情をマルコは浮かべた。
「誰かに頼られると、中々断れなくて。それにこの街も、見ていると楽しくて」
「……そうか」
「それで、どうでしょうか。買ってみたいのですが持ち合わせがなくて」
「もちろん俺が払う。金ならいくらでもあるから、心配しないでくれ」
「わ、わかりました!! 無駄遣いさせないよう気を付けます」
マルコはそう言って再び食材選びに走った。
「死にたい、って気持ちが少しでも薄れてくれればいいな」
ベルクートがゾディアックの隣に立つ。
「結構苦しい話で繋ぎ止めようと思ったんだけどよ、案外うまく行ってるな」
「……本気で死のうとしているなら、今は一時の気の迷いかもしれないが」
「それでも菓子作りに尽力しようって気持ちにはなってる。やっぱり職人なんだよ、マルコは。死ぬことよりもそっちの方が大事だって思えるんだからさ」
ベルクートの言う通りだった。今のマルコの顔は死人のそれではない。昨日の弱々しい雰囲気も纏っていない。生き生きとしている。
いったい彼の過去に、元居た世界で何があったのか。ゾディアックはそれが気になりつつあった。
マルコは時折レミィに話しかけている。レミィの顔にも笑みが浮かんでいた。
★★★
「……いや確かに気にするな、ってうちの大将が行ったかもだけどよぉ」
買い物袋を両手にぶら下げたベルクートが項垂れた。
「いくら何でも買いすぎだろ!」
「文句言うなよベルクート。お前が店を開くって言ったんだろ。店で販売するメニューとか考えないといけないんだから」
「看板メニューとかもあると客足が違います。色々と作って試食してを繰り返さないと」
前を歩くレミィとマルコが、ベルクートを見ずに行った。
「やる気出してくれんのはありがたいけどよ~」
「大変だな、中々」
「ああ。くそ。銃みたいに元からある物じゃないからな」
隣を歩くゾディアックの両手にも買い物袋があった。右肩にもぶら下げている。鎧姿の上に買い物袋をかけているというシュールな絵面になっていた。
「お前暑くないの?」
「結構暑い」
「だから鎧脱いで来いって言っただろうが。今度から素顔で歩けよ」
「……努力する」
「あ、それとお前とロゼちゃんに店の看板やってもらうから。看板男と看板娘役」
「……え!??」
ゾディアックが驚きの声を上げた。普段の彼の声量からは考えられないほど大きかった。
「な、なんで?」
「美男美女だから。見た目がいいだけで客足は伸びるんだよ。女男のハートを先ずは射止めて来い」
「デザートで勝負しようよ……」
「それを食わせるためにも必要なんだよ。頼むぜハンサムガーディアン」
「なんだよそれ」
人見知りで内気な自分にそんなことができるのだろうかと不安が渦巻く。
というより、そもそも店を開くことができるのかという疑問も沸き起こった。
ベルクートもそれを把握しているとは思う。
「なぁ、ベル。どうやって店を開くつもりだ?」
「もう考えてある」
即答した。まるで迷いのない物言いにゾディアックは驚く。
「上手くいくかは五分五分だが、マルコが鍵になる。あいつがやる気になってくれるなら行けるさ。利用するようで気が引けるのは確かだ。だけど命を失うよりはマシだろ?」
ベルクートが同意を求めた。それはまるで自分を納得させるために言っているようにも思えた。
否定をしても何か他に道があるわけでもない。ゾディアックは短く、同意の言葉を返した。
それから数時間、マルコとレミィを筆頭に、ゾディアックたちは食材を販売する露店を巡りまわった。満足する頃にはすでに空が茜色に照らされている時間帯になっていた。
★★★
窓を全開にすると大量の風と共に新鮮な空気が室内に入り込んできた。
同時に、充満していた甘ったるい匂いが外に吐き出されていく。
「うえぇええ!! あ~匂いひでぇ!!」
「まさかチョコレートケーキが爆発するなんて~……」
「だ、だから量がミスってるって言ったじゃん……!!」
ロゼ以外の3人が庭に飛び出し、咳を出しながら悪態をつき始めた。フォックスに至っては目から大粒の涙をこぼし、口の端から涎がダラダラと出ている。
4人がそれぞれデザートを作ろうとしたのだがフォックスとラズィのケーキが見事に爆発し、室内が甘味の匂いで埋め尽くされてしまった。全員が苦しんでいる理由はそれが原因である。
「しばらくこのまま換気しておきましょう」
ロゼはそう言って縁側に腰掛ける。時刻は夕刻になっていた。
そろそろ料理の支度をしないとと思っていると、手に持っていたアンバーシェルが振動した。
「ゾディアック様だ」
ニコニコとした顔でメッセージを確かめる。今から帰るという連絡が来ていた。
毎回律儀に帰宅メッセージを送信してくる相手を可愛らしく思っていると、続けてメッセージが送られてくる。
その内容を見て、ロゼは3人に呼びかけた。
「皆さん、夕食の準備を行うので手伝ってください」
「ん、りょうかい」
「きょ……今日の……飯何……!?」
フォックスが嗚咽交じりに聞いた。ロゼは笑みを浮かべる。
「お外でお肉です」
語尾に音符が付くような声色で告げると、ロゼは室内へ戻っていった。
★★★
帰宅し普段着に着替えたゾディアックは、ベルクートと一緒にある魔法道具を運んでいた。落とさないように二人でバランスを取りながら持ち、庭に足を踏み入れる。
「お前よくこんな魔法道具持ってたな。ファイアグリルだろこれ? おまけに大人数用の」
「ああ。いつか友達がいっぱいできたら、やってみようと思って」
「よかったじゃねぇか、夢が叶って!」
雑談を交えながらグリルを設置する。次いでビオレが皿にのせられた大量の肉を持ってきた。下味を付けてあるそれは見事な赤みを帯びている。
「夜に外で食事って、素敵だね。村にいた時はよくやってたなぁ」
「中々洒落たことが好きだよな、大将って」
「ライトもあるから見えなくなる心配もないぞ」
「マスター、ウキウキしてるね」
すぐ近くではラズィとレミィがライトをセットし始めていた。慣れない魔法道具にラズィは苦戦しているようだった。
「ん? これどうやって固定するんでしょうか~」
ポールを握りしめながら首を傾げていると、横からマルコが姿を見せた。
「て、手伝います」
「あら。ありがとうございます~!」
屈託の無い笑顔を浮かべて礼を言うと、マルコの顔が少し赤くなった。マルコは無駄のない動きでライトを設置し終える。
「お~! 慣れてますね~」
「元の世界でも、こういうことよくやっていたので。構造が似ていてよかった……」
「マルコ。こっちも頼む。なんか上手くできん」
「あ、はい」
マルコは返事をしてレミィの手伝いをする。そうこうしているうちに、調理し終えた食材を持って、ロゼとフォックスが姿を見せた。
「じゃあ始めちゃいましょうか」
「肉俺のな! 俺の!」
「ちゃんと野菜食べなさいよあんた」
「肉……俺が焼くから。まかせろ……!」
トングをカチカチと鳴らしながらゾディアックは目を輝かせて言うと、肉をグリルに置き始めた。
「ゾディアック、お前肉焼き奉行かもしかして。面倒くさいと嫌われるぞ」
「元ぼっちのくせにこういう技能は高いのが切ないですね~……」
紙コップに入れられた酒を飲みながら、ベルクートとラズィが呆れたように言った。
賑やかな食事の光景が目の前に広がっている。そんな一同から離れていた場所にマルコは立ちつくしていた。レミィは首を傾げて近づく。
「どうしたマルコ。一緒に肉食べないのか?」
「いや、いいんですか? 自分も一緒に」
「いいに決まってんだろ。いいから行くぞ」
レミィが白い歯を見せてマルコの腕を掴み、ゾディアック達の方へ向かう。
マルコはそれにつられるように動き出した。
こうやって腕を引いてくれた者は、元の世界にいなかった。
マルコの脳裏に元の世界の記憶が、突然浮かび上がる。
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