第186話「異世界空気、魂に火を灯す」
「外を見てみたい」
そう発言したのはマルコだった。作り置かれたデザートを吟味していたベルクートは、視線を向ける。
「マジで? どうした突然」
「その……もう少し、この世界を見てみたくなりました。こう、鎧とか武器とか、獣人間とかをさておけば、私の住む世界とそれほど変わらないのかな、と」
「まぁ、そこら辺は「さておいていい」ものじゃないんだけどな。いいんじゃねぇの? 死にたいって思うよりはマシだ」
ベルクートはキッチンに向かって声を投げた。
「なぁみんな」
「ですからこのホワイトチョコソースで絵を描くのがオシャンティーなんですよ!」
「ロ、ロゼ……オシャンティーって……」
「だからってあなたさっきからゾディアックさんの似顔絵ばっかり書いてるじゃないですか~!」
「普通は文字とかじゃねぇのこれ!?」
呼びかけに誰も応えなかった。仲間たちは皆、密集して熱心にデザートを作っていた。どうやら聞こえないほどのめり込んでいるらしい。
ため息を吐くとそんな彼にレミィが口許に笑みを浮かべながら言った。
「どうやらマルコは店の手伝いくらいならしてもいいかもって思っているらしいぞ」
「おい本当かよ!!」
飛び上がるように椅子から立ち上がると、ベルクートは両手を差し出した。
「あんたが入ってくれれば百人力だ!」
そう言ってマルコの右手を掴み、無理やり握手する。目の色を変えて喜びを露にする相手にマルコが一歩後退りする。
逃さない、というようにベルクートは顔を近づけた。
「そうだな、マーケット・ストリートに行ってみるのがいい。ある程度の食文化とかがわかるんじゃねぇかと思うんだ。なぁ大将!!」
ソファに座ってガトーショコラを見比べていたゾディアックは顔を上げた。
「マルコくんはどうやら街に行きてぇらしい。俺らも一緒に行こうぜ」
「ああ。いいな。みんなは」
キッチンに目を向ける。
「いっそココアパウダーの周りをチョコレートで固めればいいじゃね?」
「ああ~、フォックスくんは天才ですね~」
「ついでにできあがった物を揚げてみましょう! カリッとしてフワッとした食感が」
「不可能!! それどっちも不可能だから!!!」
無理そうだった。本当にデザートを作ろうとしているのか甚だ疑問だが、深く追及するのはやめておいた。
ゾディアックはゆっくりと立ち上がる。
「俺とベルクートと、レミィで行こうか」
「おう。レミィちゃんもそれでいいか?」
「……まぁ、私がここにいるのも危険だからな。木を隠すなら森の中。人混みに紛れてもいいだろう」
そう言って同行の意を示した。
★★★
ゾディアックが住む西地区は亜人街以外これといった名所などはない。住宅街も存在するが、南地区に近い部分にしかない。そのため、まるでゴーストタウンのような静けさがある。
何とも不気味だったため、マルコの歩調は恐る恐るといった、ゆっくりとしたものだった。
「そんな怯えるなよ。何かあっても最強のガーディアンと最高の魔術師がお前のことを守ってくれるさ」
「あとめっちゃ喧嘩強い受付嬢もだ」
「は、はい」
隣を歩くレミィたちの励ましもあって、ここに来た時ほどの緊張感が薄れていたマルコは、少しだけ歩調を早めた。
南地区へと向かう馬車乗り場にやってくると、ちょうど馬車が止まっているのが見えた。
映画などでしか見たことのない乗り物に、マルコが密かに高揚し始める。
代金をゾディアックに支払ってもらい、マルコは荷台の中に身を入れる。馭者が魔力を持たない不思議な客を見て怪訝そうな顔をしたが、ゾディアックを見て言葉を噤み、馬車を動かし始めた。
「おお~!!」
マルコが興奮した声を出す。結構揺れないんだな、などと思いながら通り過ぎていく街の情景を見送る。
「ガキみてぇに興奮してるぜ?」
「……多分、彼のいる世界には馬車がないんだろう」
「は~、なるほどね。異世界の連中は何乗ってんだか」
ゾディアックとベルクートの声にも気づかず外を眺めていると、徐々に街の喧騒が近づいて来る気がした。それは気のせいではなく、銃声や大砲のような音が鳴り響き、人々の歓声が一層強くなった。
「今日、ラビット・パイの催しがあるんだっけか。たしか……明日もあるんだっけ」
ベルクートが呟くと馬車が止まった。どうやら南地区についたらしい。
ゾディアックが先に降り、次いでベルクート、レミィと続く。最後にマルコが降りると、レミィが手を差し伸べた。
「ようこそ、異世界人さん。サフィリア宝城都市が誇る市場へ」
手を引かれ大通りに出ると、そこは大勢の店と、さまざまな大量の種族が行き交う巨大な市場が広がっていた。
道路などもお構いなしに人々が波打つように移動している。道の端には無数の露店が展開されており、店の者たちの声と客の声が飛び交っている。
今日はめでたい日なのか、とんでもない祭りが開催されているようだとマルコは感じた。自分のいた国ではこのように賑やかで、巨大で広大な市場を見たことがない。
「マーケット・ストリート。この世界にある大半の物はここにある。異世界から来たとしても一気に学習することができるさ。歩いてみるかい?」
レミィが小首を傾げ、悪戯っぽい笑みを浮かべて聞くと、マルコは目を輝かせて頷いた。
★★★
ストリートに足を踏み入れるとすぐに人波に飲み込まれた。レミィはマルコがはぐれないよう、しっかりとその手を掴む。言葉が喋れるようになったとはいえ魔力を持たない彼は、この世界では”異端”な存在。はぐれてしまった後、どうなるかは想像もつかない。
マルコもなるべく身を寄せながら周囲に目を向ける。露店の大きさは大小さまざまあるが、どうやらそれは人気と関連していないらしい。一見こじんまりとした店の前でも大量の人だかりができていることもある。
店で売っている物は剣や槍、斧といった武器や、鎧甲冑の防具、あとはよくわからないアクセサリーを販売しているのが大半だった。
「生活必需品とか魔法道具売ってる店は入口近くにねぇな。やっぱ」
「噴水広場方面じゃないと食料を取り扱っている店もないだろう」
ベルクートとレミィの会話を聞いて、ストリートの場所ごとに販売している物が違うことを理解した。
そうして歩いていると歩いている人々の服装が徐々に変わっていった。鎧姿の者たちから布服を着る者たちが目立ち始めている。
どうやらここから先は一般人向けの物を取り扱っているらしい、と思っていると、マルコの目にある露店が飛び込んでくる。
そこで取り扱っている食材に、目を奪われた。立ち止まりそれを一点に見つめる。
「どうした?」
レミィが聞いて同じ方向を見る。
「言ってみるか?」
マルコが頷きを返す。4人は露店へと向かい、店主に迎えられる。後ろ髪をひとつに縛った男性が手をパンと叩く。
「お、ゾディアックさんじゃないか! いらっしゃい。うちの店の来てくれるとは嬉しいね。何かお探しで?」
「……ああ、まぁ。とりあえず適当に店を見ているだけだ」
そう言ってマルコに視線を向けると、食い入るように食材を見つめていた。
「お連れさん、手に取ってみても全然構わないよ」
店主の言葉に礼を言って果物を手に取る。
「この匂い、柚子? 皮は赤いけど食べれるのかな。こっちはサクランボみたいな形だけど手触りが違う……水しかはいっていないのか? これは……」
食材をひとつひとつ手に取り、呟きながらそれぞれの所感を述べていく。
マルコは完全に自分の世界に入っていた。今の彼の頭の中には、どの果物がデザート作りに適しているか、という考えしかなかった。
不意に口許が歪む。
とうに灰になったと思った、自分の中に眠る職人の魂が再び燃えていることを、感じ取ったからだ。
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