第180話「赤青炎雨天至極黒刃」
この光景を望んでいたような気がする。
確実な死を与えてくれる凶器を振り上げる女性。あと1秒かそこらで、あの刃が脳天を割るだろう。
それを望んでいたような気がする。
そう、何故この世界に来たのかはわからないが、その前のことならわかる。
命を、捨てようとした。
この鼓動を止めようとしたんだ。
そのために、自分は――。
マルコの頭の中に、そこまで文字が浮かび上がると同時に、女性は日本刀を振り下ろした。
同時に、銃声が鳴り響いた。
★★★
側面から聞こえた破裂音に女性の視線が横に向けられる。振り下ろしてた刀の軌道を変更するために手首を捻り、腰を切り、横薙ぎに刀を振る。
銀色の一閃が空気と雨水を斬り捨てていく。
次いで金属同士が弾ける音が轟いた。女性は飛来してきた何かを弾いた反動で体勢を崩す。
数歩後ろに下がり、暗い森の中に視線を向ける。その中から、銃を構えた緑髪の男が姿を見せた。
「こりゃいったいどういう状況だ?」
ベルクートは小首を傾げて女性に問うた。
女性はお返しに首を傾げて肩をすくめてみる。
「あら~。美人さんですね~」
少し遅れてラズィが姿を見せる。ベルクートの隣に立つと杖を向ける。
「その男性は、私たちのお仕事に関わる方なんです~。なので~野蛮な行いは控えてもらえますか~?」
軽口を叩きながら杖に魔力を注入する。油断せず、女性が抵抗しようものならすぐに魔法を撃つ準備を整えた。
ベルクートも銃口を女性から外さない。状況は明らかに2人が有利だった。
しかし女性は焦りもせず、むしろ余裕綽々といったような笑みを浮かべ、マルコに視線を向けた。
「何が悪いのでしょうか?」
「あ?」
嵐が近づいていることを告げる激しい雨の音の中でも、女性の声はよく聞こえた。
女性は刀の切先をマルコに向ける。
「この方はこの世に区切りをつけてます。その覚悟もある。であれば、送り出すのがこちらの役割では?」
「何言ってんだ美人さん。酔っ払ってんのか?」
鼻で笑って言った。
女性が「ふむ」と一度頷くと、視線を2人に戻す。
「ベルクート・テリバランス……それとラズィ・キルベルですか」
突然名を告げられた2人が身を強張らせる。
時間にすれば1秒に満たない瞬きの硬直。
「どれ――お手並み拝見」
その隙で。
女性は2人との間合いを潰した。
体で刀を隠すような脇構えから、横薙ぎに刀を振った。
ベルクートが歯を噛み締めて後ろに飛び、同様にラズィも跳躍するように後ろに下がる。
刀を振った女性は直後前に駆け出し、ラズィとの距離を潰した。
ラズィが杖を構える。それよりも速く女性は刀を天に掲げ、振り下ろした。
唐竹割りの一撃はラズィの帽子と杖を真っ二つにした。
「ラズィちゃん!!」
ベルクートの声が木霊する。
「この野郎……!!」
銃を構え、発砲する。銃口から放たれた閃光が周囲を照らす。
ゆらりと女性が体を揺らす。視界が悪いのも相まってか、弾丸は命中しなかった。
ベルクートを標的にした女性は、爪先に力を込めベルクートに向かう。飛びかかるような勢いに対し、銃を発砲しようとする。
が、女性の速度は異常だった。引き金に指がかかっていたにも関わらず、刀が振られていた。
「ぐっ……!!」
身を引いたが遅かった。お気に入りでもあったオートマチックピストルの銃身が切られ、先端がボトリと地面に落ちた。
女性が追撃しようと身を捻る。ベルクートは銃を投げ捨て手の平に緑の炎を灯す。
次の瞬間、青色の炎が女性を飲み込んだ。炎は渦となり女性を飲み込み、周囲を明るく照らす。
突然のことにベルクートは目を見開く。火元を見ると、尻もちをついて倒れていたラズィが右手をかざし、魔法を放っていた。触媒である杖無しの魔法であるため威力は著しく下がっているが、それでも人一人を焼くくらいの火力はある。
「あっぶな……死ぬかと思った」
呟きながら火力を上げる。ここで仕留める勢いだった。
ベルクートも意図を理解し両手をかざす。緑色の炎が青色に飛び込む。両者の炎が巨大な火柱となる。ただの人間なら、いや、上級のモンスターでも絶対に耐えられないほどの炎の出現。相手は灰になると、ベルクートは思っていた。
突如、二色の炎が揺らめき始めた。不規則に動いていた炎は規則正しく円を描くように動き始める。
その炎の隙間から黒い衣装に身を包んだ女性の姿を二人は捉えた。
「マジかよ」
薄ら笑いを浮かべて呟くと、女性は刀を振った。直後、炎が霧散する。
「いい温度でしたよ。それくらいの火力だったので、些かガッカリですが」
何事もなかったかのように雨が降り注ぎ、世界が黒に染まっていく。
ベルクートの背中が濡れる。ラズィの頬が濡れる。それが雨だけでないことを両者理解していた。
――強い。
モンスターなのかガーディアンなのかは定かではない。だが、とりあえず”普通の存在ではない”ことだけは確かだ。
いったい何者なのか。ベルクートは問おうとして口を開いた。
「ベル!! ラズィ!!」
聞き覚えのあるくぐもった声。ベルクートとラズィが視線を向けると、漆黒の影が近づいていた。
影は至極色に輝く大剣を片手に持っている。それだけで誰が来たのか一目瞭然だった。
「おせぇぞ大将!!」
「ゾディアックさん!」
安堵の色が混じる二人の声を聞いて、ゾディアックは、ふぅと息を吐き出す。
「無事か、二人とも」
「お気にの銃を”オシャカ”にされたから気分は最悪だ」
「私も買ったばかりの武器切られちゃってイライラしてます~」
二人はゾディアックに近づきながら軽口を叩いた。
ゾディアックは視線を女性に向ける。よく見ると、ヨシノと共に馬車に乗っていた黒ずくめの女性だった。
黒髪から雨が滴る女性は、じっとゾディアックを見つめている。どこか逡巡しているようにも見えた。
「マスター!」
「師匠!!」
ビオレとフォックスも合流する。最後尾にはレミィの姿があった。
「またオッサンやられてたのか?」
「またって言うな。またって」
「大所帯ですねぇ~、こんな夜更けに」
パーティが集い、張りつめていた緊張感が解れる。
ゾディアックは一歩前に出て大剣を構える。
「……何者だ。お前。ヨシノの関係者なのか」
ゾディアックの隣に立ったレミィが刀に手をかけ女性を見る。すぐに首を傾げた。
「新しい護衛か何かか。あの女、クーロンだけじゃ足りなくなったか」
挑発するように言うと、女性がようやく反応を見せた。
「ああ、会いたいと願っていた方々に、これほど早く出会えるとは。本当に私は幸福です」
「何?」
「やはりマルコ・ルナティカを狙ったのは間違いではありませんでした」
そう告げると、腰に差していた鞘に刃を納めた。
「ではまた。近いうちに、お会いしましょう」
ふわりと微笑むと、女性は跳躍した。
「待て!!」
ビオレが弓を構えて矢を放つ。が、すぐに女性の姿は闇へと消え失せた。
「クソ」
空を切った矢に、ビオレは舌打ちした。
雨が地面と木々を打つ音だけが鳴り響く。さきほどまでの戦闘が嘘のように、不気味な静けさだけがパーティを包み込んでいる。
「なんだありゃ。逃げやがった。オッサンがなんかしたんじゃねぇのか?」
「街中で見かけたらナンパしてたが、残念。初対面でいきなり刃物振られたわ」
軽口を叩いている二人を尻目に、レミィはマルコに近づく。ゾディアックも寄ると、マルコは蹲っていた。
「う、うぅ……」
声を押し殺し、泣いていた。まるで懺悔するかのように首を垂れ、額を地面に擦りつけている。
レミィとマルコにさきほどまでの女性について、聞きたいことが山ほどあったゾディアックだが、この状況では聞き出すことは難しいだろう。
「……とりあえず、ここから離れよう」
その時、気温の低さを思い出させるような冷たい風が吹いた。フォックスが「さみぃさみぃ!」と騒ぎ始める。
それでもなお、マルコの小さな泣き声だけは、止まらなかった。
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