第177話「黒姫の足音、白姫の赤」
セントラルの建物が見えて来た時だった。レミィは違和感に襲われ、道のど真ん中で足を止め、辺りを見回す。
周囲から人々が消え失せていた。それどころか気配すらない。普段は多くの一般人とガーディアンで賑わう、セントラルへと続く大通りに相応しくない光景が広がっている。
「なんだ……?」
不安を隠すように、眉間に皺を寄せて呟く。すると、背後から足音が近づいてきた。
わざとらしい靴の足音。まるで「振り返れ」と言われているようだ。
肩越しに視線を向けると、全身黒ずくめの、長い黒髪が特徴的な美人の姿があった。女性にしては長身であり、レミィが少し見上げてしまうほどの大きさだった。
「こんばんは」
女性がふわりと微笑んで挨拶をする。レミィは言葉を返さず警戒心を強める。女性の服が、スサトミ大陸の民族衣装だったからだ。
「……ヨシノの関係者か?」
聞いてから布袋を握る手に力を込めた。
「いいえ。彼女とは何の関係もないわ。私はただついてきただけの、そうね、観光客よ」
「観光客? スサトミ大陸からオーディファル大陸に来た者なんて数十人といないのに、よくそんな事が言えるな。他大陸の地理や生態を調べる研究員って言った方が、まだ信憑性があるぞ」
「別に信じてもらわなくても構わないわ。けれどヨシノの関係者じゃないということだけは確かよ」
「じゃあ何で私に話しかけた。これが目的か」
ずい、と布袋を突き出す。「嵐」という名刀が眠る袋を見て女性は頭を振る。
「あなたはガーディアンと仲がいいから」
「なに?」
「私はね、この国にいるガーディアンに用があるの」
「……誰だそれは」
「あなたと仲がいい人」
口元を隠し、挑発するような流し目で言った。レミィは最初に思い浮かんだ人物の名を口に出す。
「ゾディアックか」
瞬間、女性がレミィの眼前に立った。
一瞬で距離が詰められたことに驚愕しつつも顔を上げると、満面の笑みを浮かべている女性の顔があった。
「彼に伝えてね。”黒い姫がお待ちしております”って」
そういうと、女性はレミィの横を通り過ぎた。
「待て!!」
大声を出して振り向くが、すでに女性の姿はなかった。
まるで最初から何もいなかったように、肌寒い風がひとつ吹く。
「……なんなんだ、今のは」
神隠しにでもあった気分だった。レミィがしばらくその場から動けずにいると、徐々に大通りに人の姿が増え始めた。
★★★
セントラルの裏口、従業員専用の扉に鍵を差し込み中に入る。そのままスタッフの控室に入る。
「うぇ!!? レミィさん!? お、お疲れ様です!」
休憩中だったのか、椅子に座り足を組んで漫画を見ていたプセルが、大慌てで立ち上がった。
「あ、いや、これはサボっていたわけではなくてですね……!!」
手に持った漫画本を椅子に置くと、わたわたと手を振り始めた。その動作が少しおかしく、レミィはクスリと微笑んだ。
「悪いな、休憩中に、お疲れ様」
「い、いえいえ! レミィさんこそ!」
扉を閉め中に入ると、レミィは適当な椅子に座り、ポケットから煙草を取り出す。
「今日、体調不良で休みだったんだじゃ?」
「サボりだよ。サボり。有給消化しただけさ」
プセルが「えぇ……」と声を出した。
「プセルも余っているなら使った方がいいぞ。1年でリセットされて繰り越しとかできないからさ」
「あ~、そうなんですね。ならさっさと使った方がいいかな」
「今日はどうだった? 平和だったか?」
ふぅ、と紫煙を吐き出しながら聞くとプセルは手を叩いた。
「聞いてくださいよレミィさん!」
「ん?」
「今日オーナーのところにめずらしいお客様が来たんですよ!」
オーナーとはエミーリォのことだ。彼の知り合いという単語から、レミィの目が細まる。
「誰が来た?」
「それが別大陸の人みたいです。凄い綺麗な人で。あの人がギルバニア王国に向かおうとしていた、スサトミ大陸のお姫様なのかなぁって皆で話してました」
ヨシノか。もうここを見つけるなんて。
「ふーん」
なるべく興味なさげ返事をし、口に咥えた煙草を上下に動かす。揺れ動く紫煙は心情を表しているかのようだ。
「あまり興味ない感じですか?」
「いいや? 私がいない間にそんな面白い奴が来るなよって思っただけだよ」
「あはは。確かに残念ですね。貴重な体験なのに」
レミィは視線をプセルに向ける。
「そのお姫様とやらはもういないのか?」
「1時間前くらいに出て行っちゃいましたよ」
「エミーリォは?」
「2階にいますよ。書類整理のことで愚痴ってました」
「そうか」
立ち上がって大きく煙を吸い込む。プセルが目の前に灰皿を差し出した。
「1週間くらいは受付に立てないから、その間頼むな」
煙を吐き出し、吸殻を灰皿に押し付けながら言った。
「りょーかいです」
プセルの返事を聞いてレミィは控室から出る。まっすぐ階段へ向かい2階に上がる。ガーディアンの賑わう声を聞きながら、エミーリォがいる部屋に入る。
ノックもせずに入ったせいか、エミーリォは肩を大きく上げて顔を向けた。
「レミィ?」
「プセルからある程度聞いたよ。ヨシノが来たんだってな」
扉を閉めるとエミーリォがサングラスの位置を正した。
「ああ。まったく、肝が冷えたわい」
「よく殺されなかったな」
「ヘラヘラしながら言うことかバカタレ」
エミーリォは椅子の背もたれに体重を預けた。
「クーロンもいたのか?」
「いいや。ヨシノ姫は護衛無しでここに来おったわ」
「あ? マジかよ」
「クーロンが付きっきりだったのにの。もしかしたらあの姫さん、護衛なんていらないほど強くなっとる可能性が高いぞ」
「勘弁してくれよ」
レミィは顎下を撫でた。
「とりあえず身を隠していて正解だった」
「本当にの。もしここで会合していたら、セントラルが血の海になってたわい」
「向こう、なんて言ってた?」
「……お前を探し出そうとしているが、どうやら長居はできないらしい。5日……いや、1週間ほどでここから立ち去るじゃろ」
「やっぱそれくらいは身を潜めておくべきか」
「西地区をオススメしておく。廃屋が多いし使われてない家も多い。身を隠すにはうってつけじゃし、亜人街も近い。何よりゾディアックもおる」
ゾディアック、という単語を聞いてハッとした。
「あのさ、おじいちゃん。本当にヨシノだけだった?」
「本当じゃよ。ワシがセントラルの前でわざわざ出迎えたんじゃから」
「あのさ、黒ずくめの女いなかった? 私より背が高い」
「……そんなのがおったらさっさと言っとるわい」
「たしかに」
じゃああの女はなんだ。レミィの脳内にさきほどの女性の笑顔と疑問が浮かび上がる。口振りからしてゾディアックを探しているのは明白だが、雰囲気がどことなく恐ろしかった。
熱狂的なファンかそれとも。
「わかった。とりあえず西地区に身を潜めておくよ。何かあったら連絡してくれ」
「ふん。ワシに何かあったらゾディアックがいの一番に飛んできてくれるわい」
「なら安心だな。死ぬなよじいちゃん」
「お前もな。安心しろ。殺されたらワシが責任もって仇を討ってやる」
祖父の言葉に感謝するように片手を上げ背を向けると、レミィは部屋を出た。
すぐにアンバーシェルを取り出し連絡先の一覧表を表示させる。
――彼に伝えてね。”黒い姫がお待ちしております”って
「黒い姫……か」
そのままの文言を送ろうとしたところで、レミィはゾディアックの連絡先を見つけた。
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