第174話「謎呼び異世界挨拶」
目が覚めたら、見覚えのない場所にいる。
これは冷静に考えずとも恐怖そのものだ。知らない場所に突如放り込まれたら誰だってパニックになる。
とりわけ自分は特に頭が混乱した。
なぜなら”寝て、起きたら違う場所にいたわけではない”からだ。
そう。ここが死後の世界だと思った。
ベッドで寝ている今でもそう思っている。
こんがらがっている頭の中でも「意外と自然豊かなんだな」とか「猫耳付けているコスプレイヤーみたいな人がいるんだな」とか、そういうどうでもいい言葉が浮かんだりもした。
だけど最近は疑い始めている。
本当は死後の世界ではないのではないか。天国や地獄でもなく、ましてや夢の世界でもないのではないかと疑っている。
どこか別の国に飛ばされでもしたのだろうか。いや、そんなはずはない。
だって自分は……確かに……”体験した”のだから。
疑念が胸中に渦巻いている。窓の外を眺めていると人々の楽し気な声が聞こえてくる。
今日は曇り空。だが下は晴れ模様のようだ。
今日も自分は病院と思しきこの場所の、ベッドの上で1日を潰そうとしている。
何でこんなことになったのだろうか。そもそもここはどこなのだ。
誰でもいい。誰か、自分と会話して欲しい。
そう願っていると、不意に頭の中にある人物が浮かび上がった。
赤毛の、猫耳を付けた美女の姿。
顔まで思い出すと同時に、病室のドアがノックされた。
★★★
病院に向かう途中でメ―シェルを見つけ出すことはできなかった。当然と言えば当然である。サフィリアの中から――ガーディアンとはいえ――女性ひとりを見つけるなど、砂漠の中にあるビーズを拾うに等しい行為だ。そう都合よく目的の人物には出会えない。
レミィは少し落胆しながらも病院を訪れ、気持ちを切り替えてドアをノックした。
「――――――」
内側から声が聞こえた。何と言っているかは不明だが、声のトーンは落ち着いている。
「邪魔するぞ」
中に入ってベッドの上に座る男を見る。男は頭を下げた。
「やぁ」
手を挙げると相手も手を挙げた。どうやらジェスチャーによる意思疎通はできるらしい。
「おお! 俺が拾った異世界人じゃん! 元気そうでなによりだ」
レミィの後ろからフォックスが顔を覗かせ、次いでミカとゾディアックが病室内に入ってくる。
男はゾディアックとフォックスの姿を見て顔を強張らせた。
「あれ? なんかすげぇ顔してるけど」
「……異世界人だからな。鎧や、フォックスのような亜人を見慣れていないのかもしれない」
「え、マジで? 亜人がいねぇ世界から来たのか。ちょっと寂しいな」
雑談を無視してレミィがベッドの横にある椅子に座る。
「調子はどうだ?」
語りかけると、相手はレミィを見て苦笑いした。
「魔力は、特に害になっていないな。もう歩けるだろう」
男は首を傾げた。本当に何を言っているか理解できないらしい。
レミィは持っていたヘッドホンを差し出す。男が凝視したのを見て、言った。
「付けてくれ」
ヘッドホンを自分の耳元に持っていく動作をし、再び男に渡す。
理解したのか男は訝しみながらもヘッドホンを装着する。イヤーパッドが耳元に当てられたのを確認し、レミィは口を開いた。
「私の言っていることがわかるか?」
瞬間、男が目を見開いてレミィを捉えた。
「キ……マス」
酷いノイズと甲高い機械音が室内に木霊する。フォックスが小さく「うるさっ」と呟き耳を隠した。
近くにいるレミィは表情一つ変えない。
「反応を見る限り聞こえているらしいな。こっちの声も変換してくれるのか」
「ア、アノ」
ノイズ音は相変わらずだが、声が聞こえた。
「コエガ、キコエテ……。キコエ……スカ?」
男の口の動きと言葉はまるで合っていない。奇妙な腹話術の人形のように見えた。
「ああ、聞こえているよ」
レミィが言うと、男はホッとしたような安堵の表情を浮かべた。言葉が通じなかったのが不安だったのだろう。
「すまない。本当は色々と事情を聞きたいんだが、その翻訳機はまだ試作品でさ」
レミィが自分の耳元を指差しながら言った。
「ちょっとしたテストだけしたら取り外したいんだ」
「ハ、ハァ」
「明日か明後日には完成した代物を持って来れると思う。安心してくれ」
「……ハイ」
「それと、あそこにいる連中は私の仲間だ。怖い連中じゃないさ」
レミィが柔らかな表情で伝えた。ゾディアックは黙って異世界人を見る。
魔力が探知できない。空っぽであり、例えるなら空き瓶のような透明さだ。正直言って不気味としか言いようがない。
「とりあえず、まずは自己紹介だな」
パンと手を叩き、レミィは右手を差し出す。
「レミィ・カトレット。私の名前だ。あなたのお名前は?」
「……マルコ。マルコ・ルナティカ」
マルコと言った男はチラチラと視線をゾディアックに向けた。
「邪魔、なのかもしれない。俺は外で待っていようか」
「ああ、その方がいいだろう。お前の鎧姿は普通に怖いし」
「……怖いかな?」
「むしろカッコいいと思うぜ、師匠」
「えぇ~? 怖いよぉ」
「……とりあえず出て――」
「アノ! アノ、チガウンデス」
マルコが慌てて頭を振った。
「ソノ、鎧ガ、メズラシクテ」
「めずらしい? 鎧姿の連中とかいないの? そっちの世界に」
「イマ、センネ……。アト、狐顔ヲシタ人モ……」
マルコはおずおずと言った。
「マジかよ~。本当違う世界なんだなぁ」
話を戻そうとレミィが咳払いすると場が静まり返る。
「マルコさん。まず、あなたはどうしてこの世界に? 何かこう、魔法のような物を使ったとか? それとも誰かに連れてこられた~、とか?」
マルコはどれも違うというように首を横に振る。
「では、なぜか、わかりますか?」
「……”アルコト”ヲシタラ、イツノ間ニカ、ココニ来テイマシタ」
「あること?」
「ゴメンナサイ。言エナイ、デス」
「ああいや、いいんですよ。ただの興味本位なので! 無理して言わなくても」
他に何か聞こうとした瞬間、フォックスが大きな声で「はい!」といった。
「俺も聞きたいことがあんだけど! なぁなぁ。異世界人って何してんの? マルコってガーディアン?」
「ちょっとぉ、フォックスくん」
「なんだよ、いいじゃん! 貴重な話聞けるかもだぜ。で、何してたの?」
フォックスがベッドに近づきながら聞くと、マルコは視線を逡巡させ、答えた。
「……パティシエ、デス」
「ぱ? ぱてぃえ?」
「パティシエ」
「ぱてぃしえ???」
頭の上に疑問符が浮かぶような声でフォックスが呟いた。次いで全員の顔を見た。全員が肩をすくめたり首を傾げた。
マルコは”パティシエ”と呼ばれる何かをやっていたらしい。異世界の職業なのか、それとも異世界でガーディアンのことをこう呼ぶのか。
色々と疑問が沸き起こったが、同時に甲高い警告音が鳴り響いた。
ヘッドホンかららしい。マルコが驚いてヘッドホンを手に取る。
機材の一部が真っ赤に転倒しており、イヤーパッドが赤色に変色し始めている。
「な、なんだ!? 爆発でもすんのか!?」
フォックスが慌てたが、警告音が鳴りやんだ。
「……電池切れ、か?」
「まぁ話は聞けたから、大丈夫だろう。もう一度付けれるかな」
レミィがジェスチャーをする。マルコがヘッドホンを付けた。
「とりあえず、私たちは一度ここを出る。すぐに新しい奴を持ってくるから」
「ハ、ハイ! ワカリマシタ」
「しばらくゆっくりしていてくれ。完成品ができたらまた来るよ」
「ハイ。アリガトウ、ゴザイマス。レミィサン」
マルコはヘッドホンを再び外し、レミィに手渡す。
受け取り、席を立ちあがる。
「ウェイグの所に行こう。この人には他に聞きたいことがある」
レミィがさきほどまでとは違う口調で言った。
室内を後にしようと移動し始めた時、ミカは横目でマルコを見た。
すでにゾディアックたちに興味が失せたように、空虚な眼で、窓の外に広がる景色を見つめていた。
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