第171話「猫同士、紫煙で空を汚し」
昼間の晴れ模様が嘘のように、灰色の雲が空を覆いつくさんとしていた。
自身の不安な心が描かれたようだ。レミィは咥えていた煙草を持つ。口から吐き出された紫煙が空にたゆたう。
「めずらしいですね。レミィさんがここにいるなんて」
声が聞こえてきた方向は、背後の「アイエス」からではない。レミィは首から上を右に向けた。
紺色の長髪を靡かせるクロエ・ナイトレイが近づいてきていた。レミィと同じ猫魔族ことシャーレロス族である彼女は煙草を咥えていた。
種族も行動も似ていながら、レミィに負けずとも劣らない美貌の持ち主であるクロエは「レミィの色違い」という、あまり嬉しくない渾名を付けられている。
隣にやってきたクロエは視線をレミィの左手に向ける。黒皮の細長い袋を大事そうに握りしめていた。その形状に見覚えがあったため、クロエの眉根が寄せられる。
「どういうことでしょうか?」
「なにが?」
「なぜ、その武器を持っているのかということです」
壁に背を預け、口の端から煙を出す。
「「嵐」ですよね、それ。レミィさんの愛刀の」
レミィは誤魔化すように煙草を口許に持っていく。長さは短く、既に3分の1ほど灰になってしまっている。
「ガーディアンになるつもりですか? 確かに今なら、亜人に対する目も変わってますし、レミィさんの事情を知る者も少なく」
「ヨシノとクーロンが来やがった」
レミィは煙草を地面に捨てた。
クロエは目を見開き体ごとレミィの方を向く。
「どういう――だってあいつら、スサトミ大陸にいるはずじゃ」
「どういう事情かわからないけど、ギルバニア王国に用があるらしい。あの性悪姫のことだから何企んでんのか」
苛立ちをぶつけるように、吸殻を靴で踏みつけながら言った。
「そのままギルバニアに行くならまだしも、何の因果か。私がいるサフィリアに来るなんてな。不思議な糸で繋がっているのもね。あいつらと私は」
「その刀を持ったせいですか」
クロエは顎で皮袋を差した。
「かもな。もしかしたら呪われているのかも」
「どうするおつもりですか?」
「別に。相手が何もしないなら、こっちから動く理由がない。ただ、もし私を見つけたら全力でこの刀を取り戻そうとするかもしれないからな。だから来たくもない亜人街に隠れているんだ」
「それは実力でレミィさんが勝ち取った物でしょう。今更返せなんて」
「そんな言い分が通用するかよ。あいつら覚悟さえあれば道理なんて知ったこっちゃないと本気で思ってる連中だぞ。お前だってわかっているだろ」
クロエはバツが悪そうな顔をして煙草をつまんだ。
鼻で笑って腕を組むと、レミィは視線を斜め下に向ける。
「クロエ」
「はい」
「隠れてはいるが、あいつらもしかしたら私がいることを嗅ぎ付けているかもしれん。そうなったら、あいつらと戦う」
「お供しますよ」
「いや」
頭を振った。
「そうなったら、私の戦いだ。お前の住処である亜人街に身を寄せていながら図々しいと思うが、もし戦うことになったら邪魔をしないで欲しい」
「ですが」
「斬り捨てちまうかもしれないぞ」
鋭い刃の如し、切れ長の目が細まり、クロエを睨んだ。
「「嵐」は私に似てじゃじゃ馬だからな。どうしても手伝うなら”下半身にお別れを告げる”準備をしてから来い」
冗談めいた発言だったが、声色は真剣だった。クロエもそれがこけ脅しでないことを理解していたため、黙って頷いた。
同時に、ポケットの中が振動した。レミィはアンバーシェルを取り出し画面を見つめる。
エミーリォからだった。どうやらヨシノたちは北地区にしばらく滞在するらしい。
舌打ちしたい気分だったが、これでこの場所に身を隠す必要なくなったためよしとした。
「それじゃあ戻るわ。またね、クロエ――」
「おい」
その時だった。酒場「アイエス」の扉が開き、中からぬっと、大型の亜人が姿を見せた。
「話すのも喧嘩するのも勝手だが、店の前にゴミを散らかすな」
亜人街のボスである、オーグ族のブランドンが大きなため息を吐いた。
レミィがハッと笑う。
「どうせ誰も来ねぇだろこんな店」
「馬鹿にするな。5人くらい来るぞ」
「私が看板娘やったらもっと来るけどな」
「本当か。やってくれるのか」
クロエが呆れたように肩をすくめた。
レミィの頬が緩む。
「お前のそういう馬鹿正直な所、好きだぞ、ブランドン。暇になったら手伝ってやるよ」
そう言ってレミィは踵を返した。
「約束だぞ」
遠ざかっていく背中に声をかける。
レミィは皮袋を掲げ、返事をした。
★★★
「色々と聞きたいこともあるけどよ、とりあえず依頼の品ができあがるならいいさ」
前を歩いていたベルクートが言った。
「悪いな大将。手伝ってもらって」
「いや、構わない」
「にしてもかっこよかったなぁあのオッチャン! サッと作っちまおうって感じがさ」
フォックスが明るい声で言った。
「うん、そうだねぇ」
歯切れの悪いミカの声を聴きながら、ゾディアックは疑問に思う。なぜミカはウェイグだと気付かなかったのだろうか。そう考えるとカルミンも気付いていなかったことになる。
他人の空似で気にしなかっただけか、それとも、ウェイグがバレないように魔法でも使っていたのか。そう考えると、なぜ自分の前では使わなかったのかという疑問が増える。
ゾディアックは考えを振り払った。理由や事情はどうあれ相手は働こうとしているのだ。野暮なことは言うまい。
「それじゃあ一度私たちはセントラルへ戻ります~」
ラズィが言うとベルクートも頷いた。
「だな。レミィちゃんに報告だ。体調不良でお休みとはいえ、伝言くらいは預かってくれるだろうし」
「体調不良だったのか……わかった。頼んだ」
ふたりが返事をして遠ざかる。すると、ミカがフォックスの手を掴んだ。
「じゃあこれからちょっとデートしよっか、フォックスくん!」
「へ、いや俺はその、これから任務しようかと……し、師匠!!」
助けを求める相手に、ゾディアックはゆっくりと親指を天に向けた。
「サ、サムズアップじゃねぇぞあんた!!」
「楽しんでおいで」
「親指折るぞ!」
「じゃあ行ってきまーす!」
「いや、ちょ、っとま、俺の話を聞い~~~~~~……」
ズルズルと引きづられるように去っていくフォックスに手を振った。
情報屋のロバートはウェイグの店に入っていったため、現在、ゾディアックはひとりになっている。
とりあえず一度マーケット・ストリートに行って物資の補充を行おうと、ゾディアックは南地区へ向かった。
馬車を乗り継ぎ南門が見えてきた。人混みに紛れストリートに向かおうとしたところで、ゾディアックの視界に見知った赤髪が飛び込んできた。
「あれ?」
確か体調不良と聞いたような。
「レミィ!」
疑問に思いつつも声をかけると、相手は立ち止まり振り返った。やはりレミィだった。
「よう黒光り野郎」
「懐かしいなその呼び方」
以前だったらショックを喰らっていた言葉も、今では冗談だと理解できる。
「何してんだ、ひとりで」
「マーケット・ストリートに向かおうと……そうだ、レミィ」
「ん?」
「仕事に関わる、あることを話したいんだ。時間あるか?」
「……構わないぞ」
レミィは頷きを返した。相手の声色は少し不安げだったため、気を引き締める。
ふたりは会話もすることなく、マーケット・ストリートの人混みに紛れていった。
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