第163話「醜悪な獣を穿つは氷柱の弓矢」
「醜悪獣は廃村や死街によく出没するモンスターだ」
歩きながら、ゾディアックは口を開いた。
兜を突き抜けて、複数の足音と馬の蹄が地面を叩く音が聞こえる。ゾディアックたちはキャラバンを率いて山を越えようとしていた。
「死んだ人間の魂がペットや家畜といった獣に、憑依して蘇る。基本的に獣の姿をしているが、背中からは人間の両腕が生えている見た目をしている」
「ふぅ~ん、気持ち悪。あれ、でもさ、それってやばくない?」
前を歩いているフォックスが振り返り、後ろ向きに歩きながらゾディアックを見据える。馬が引いている荷台の車輪の音に負けないよう、少し声を張っていた。
「ここの山って、昔大噴火が起こったんだろ?」
「ああ」
「で、この近くには人が住んでいた村々があったと」
「街もな。全部火山灰に埋もれてしまった」
ゾディアックが歩いている場所の風景は、曇り空も相まって、見渡す限り灰色の世界が広がっていた。周囲は有象無象に生えている枯れ木と、噴火の影響で散らばった大小の石が置かれているだけ。生気を全く感じない空間と化していた。
殺風景な灰色の世界。こういう所は醜悪獣の縄張りになる。
「マジかよ~。絶対戦闘起こるじゃん」
「ああ。開けた場所に出る前に作戦を考えないとな。早急に安全を確保しないと」
「面倒くせぇ。でも醜悪獣ってそんな強いの?」
「一個体は弱い。でも。集団で必ず来る」
「でも弱いんだろ? 構えすぎだって。適当にやろうぜ」
ヘラヘラとした表情を浮かべるフォックスを、ゾディアックは睨んだ。
「フォックス」
突然の真剣な声色に、フォックスが驚きの表情を浮かべる。
「キャラバンの団人7名と、二台の馬車……そこに乗っている要人含めた13名。計20名以上の命が、俺たちの両肩にかかっているんだぞ。適当になんかできない。気を引き締めるんだ」
「な、なんだよ。うるせぇな。わぁってるよ。急に怒んじゃねぇっつうの」
フォックスはむくれてゾディアックに背を向けた。
馬を操る馭者がクツクツと笑い、フォックスを見下ろす。さきほどフォックスとビオレに対し嫌悪感を示した、短髪を茶色に染めた男性だ。手綱を握る手と腕から、しっかりと鍛えられていることがうかがえる。
「本当に大丈夫なのかよ、ゾディアックさんよ。こんな駆け出しに毛が生えたような奴と一緒でよ」
「んだと!?」
「ああ、悪い悪い。毛はボーボーか」
馭者は大口を開けて笑った。亜人を嘲笑うことなど、この世界では珍しいことではない。むしろそれが普通だ。
「笑わないでくれないか」
しかし、仲間を侮辱されて、ゾディアックは黙っていられなかった。
「は?」
「それ以上言うつもりなら、お前だけここに置いて行ってもいいんだぞ」
無論、そんなことはできない。見え透いた脅しだ。
だが、そんな”チャチ”とも言える脅し文句でも、ゾディアックが言うと効果は絶大であった。馭者は渋々、
「わかりましたよ」
と吐き捨て前を見据えた。険悪な雰囲気を振り払い、ゾディアックはふぅと息を吐き出した。
その時だった。突然馬が甲高い鳴き声を発し前足を上げた。急停止に暴れ馬の衝撃は荷台に直接響き、乗っていた一般客から悲鳴の声が上がる。
「どうどう! 落ち着け!」
馭者が慌てて手綱を操作し馬を落ち着ける。
団体の足が止まった。後ろをついてきていたもう一つの馬車の動きも止まっていた。
「マスター!」
後方から走ってきたビオレが駆け寄ってくる。
「凄い殺気です。死んでいるはずの森ですが、微かに声が聞こえます。怨念が籠った、唸り声のような」
「へ~。なんだよビオレ。俺も聞こえてるぜ」
ビオレがムッとする。
「嘘つかないでよ」
「嘘じゃねぇし」
「ガキ」
「お前だってガキだろ」
「落ち着け、ビオレ、フォックス」
ふたりを宥めながらゾディアックは視線を道の先に向ける。
枯れ木が少なくなっている。恐らく、広い空間が待ち受けているだろう。山頂付近に醜悪獣が陣取っていさえすれば無視して突っ切るのだが、ビオレの言葉からすでに近くまで来ているのだろう。
「作戦を言う。よく聞いてくれ」
睨み合ってた両者は顔を引き締めてゾディアックを見上げた。
★★★
極力、魔力を活性化させるのはやめておいた方がいい。ゾディアックの助言を思い出しながら、フォックスは岩陰から少し顔を出し、進路先を警戒する。
少し丘のような形になっている地形だった。周囲に枯れ木はないが、やはり岩石があり、見通しが悪い。
フォックスは一度単眼鏡を覗き込む。
「……」
気配はする。しかし姿は見えず。
空いた方の手に持っていたアンバーシェルを耳に当てる。
「見えねぇわ」
『ん。了解。見つけたらすぐ連絡ちょうだい』
「わかってるって」
首から上を動かし周囲を見ながら答えた。通話先のビオレの声色が、ソワソワしていた。
「ビビってんなよお前」
『べ、別にビビってないし。そっちは大丈夫なの?』
「おう、大丈夫大丈夫。準備も万端だっつうの」
一度単眼鏡を置き、腰のポーチに手を伸ばす。中に入っている瓶の感触を確かめたあと、再び単眼鏡を手に取った。
「そっちは?」
『もう魔法陣は書いたよ』
「お前の魔法撃つんだっけ。大丈夫かぁ?」
『うるさいなぁ。見てなよ』
「師匠は?」
『持ってきた弓の調整しているところ』
「すげぇなぁ師匠。武器だったら何でも使いこなせんのかよ」
『苦手な物はナイフらしいけど』
「っへ。ならもしかしたら俺が勝つことも――」
フォックスの言葉が止まる。視界の隅で、何かが動いた。
野犬、それにしては大きすぎる。そして不自然な影だった。背中から何か生えているような恐ろしい見た目。
見えたのは一時だったが確信を得るのは一瞬だった。
「み、見つけた。動いて……つうか近づいてきてねぇかこれ!?」
『え!?』
「醜悪獣が来てる! 準備してくれ!!」
★★★
「マスター!! 来ました!!」
荷台近くにいたビオレが正面の、少し離れた位置にいるゾディアックを見た。
弓の調整を終えたゾディアックは振り向き、片手を上げる。ビオレが下投げでアンバーシェルを放った。それをキャッチし、耳に当てる。
「聞こえるか」
『聞こえてるよ! やべぇ、足音多い!』
「そのまま距離を測ってくれ」
指示を飛ばすと同時にビオレがゾディアックの隣に立つ。
ゾディアックは指を天に向けて差す。ビオレが頷き、天に向けて弓を構える。矢にはすでにエンチャントが施されているため、あとは発射のタイミングだった。
荷台に乗る一般客と、外にいるキャラバンたちの視線を背中に感じながら、ビオレは発射の合図を待った。
『1、2、3、4、はい、はい、はい……13、14? いや、15か』
相手の数を確認したフォックスは息を呑む。
『発動タイミングは?』
「今どれくらい離れている」
『高低差考慮して60くらい』
「20を割ったら撃つ」
『了解。56』
敵の方が高所を取っていることを確認したゾディアックは銀製の矢を手に取る。
『47、44、46、43、41。40』
うろついている。
『38、39、38、35、3……いや、28、24』
来る。
『18』
「ビオレ!!」
ゾディアックはアンバーシェルを放り投げる。地面に描かれた魔法陣が青白く光り始めた。
ゾディアックは素早く弓を構えると空に向かって矢を放つ。ビオレもそれと同じタイミングで矢を放った。
直後、少し離れた空に、同様の魔法陣が浮かび上がった。
★★★
「よし来た!!」
空に魔法陣が浮かび上がった。位置的には自身の真上。
フォックスはポーチから小瓶を取り出し、岩石から体を出すと、敵がいる方向にそれを投げる。弧を描き、地面に激突すると小瓶が割れ、辺りに金色の粉を撒き散らした。
すると、灰色の世界が明るく照らされ獣達の姿が晒され始める。4足歩行の狼のような見た目に白い体毛、そして背中からは人間の腕が2本生えている。
それを確認すると、魔法陣が輝き始めた。ビオレの魔力喚起と呼応したのだろう。魔法陣から無数の氷柱が出現し始めた。
形を成したそれらは、醜悪獣たちを穿たんと一斉に射出された。
上空から襲い掛かってくる突然の氷雪系魔法に対し、敵はなす術なく、次々と貫かれていく。獣たちの悲痛な叫びと肉が裂ける音、氷が砕け散る音、氷柱が空を切る音が木霊する。
恐怖が闘争心を上回ったのか、一匹だけが群れから外れ、明後日の方に駆け出す。運がいいのかそれとも避けているのか、氷柱に当たらず魔法陣の外へ向かう。
「おせぇっつうの!!」
フォックスは足に魔力を流し、大地を蹴る。
雷の如き速さで氷柱の合間を潜り抜け、逃げている一匹に迫るとナイフを振り下ろす。
醜悪獣の胴体を刃が切り裂いた。周囲に血潮が飛び散る。
――浅い!
これでは止められない。フォックスは一瞬の判断で敵の上に飛び乗ると、ナイフを逆手に持ち背中を突き刺し始めた。
背中から生えている両腕が掴みかかり、服を引っ張るが、フォックスは無視してナイフを振り下ろし続ける。
「いいから、さっさと、死ねよ!!」
渾身の一突きを”うなじ”辺りに突き刺すと、醜悪獣の体が一瞬硬直し、直後地面に倒れこんだ。
受け身を取って敵を確認する。ピクリとも動かず倒れている。こと切れたようだ。
いつの間にか静かになっていた。周囲を確認すると、灰色の世界にモンスターの死骸と真っ赤に流れる血、砕け散った氷の欠片が混じっていた。
「終わりだな……」
悲惨な光景が、この世界にはよく似合っているように思えた。フォックスは立ち上がるとナイフの血を拭き取り、ゾディアックたちのもとへ向かった。
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