ホワイトチョコレート・マフィン
ボウルの中にある黄色い粘士のような生地に、落かした卵を少量入れていく。かき混ぜ続け、牛乳を入れて再び混ぜ、粉類を入れて混ぜ合わせ。
「特に凝らなければ難しくないわね。お菓子作りって」
キッチンにいるラズィは泡立て器を動かしながら隣に声を投げた。
「お砂糖の分量とかを間違えなければ、食べられない物にはなりませんしね」
ロゼが冷蔵庫の扉を閉めながら答えた。
「ゾディアック様は結構苦戦してましたけど」
「不器用そうだものね」
ラズィはクスクスと笑った。
「パンケーキ作りには苦戦してたなぁ。真っ黒焦げにしちゃって」
「それは失敗って言うんじゃないの?」
「いいえ。私は嬉しかったので全部食べました。なので失敗ではなく別の成功です」
ふんす、と鼻を鳴らすロゼを冷ややかな横目で見つめる。
「甘やかしすぎじゃないの?」
「甘やかしちゃうんです」
恥ずかしそうに口元を隠して笑うロゼを見て、ラズィも笑みをこぼした。
そんなふたりを、ダイニングテーブルの椅子に座っていたフォックスは、じーっと見つめていた。
「なぁ、ラズィ」
「なに? フォックス」
「なんであんたゾディアックの家で菓子作ってんの? あと、なんで口調違うんだよ」
椅子に跨り、背もたれに顎を乗せたフォックスは訝しんだ。
ラズィは肩をすくめた。
「一つ目は私がロゼに「お菓子作りませんか♪」って誘われたから」
「ちょっと。微妙な声真似しないでくださいよ」
「二つ目は、あなたが私の正体を知っているから」
元・殺し屋であるラズィ・”ホーネット”・キルベルの正体を知っているのは、ゾディアックとロゼ、フォックス、そしてセントラルの受付嬢であるレミィだけだ。
普段のラズィは語尾を伸ばし、のほほんとしたキャラを演じている。馬鹿っぽい女を演じた方が、適度に人との距離を保てるからだと、以前彼女は話していた。
「猫被るのも疲れるの。別に構わないでしょ」
「いいけどさ」
ラズィは型に生地を流し込み、そこに小さなキューブ状のホワイトチョコをトッピングする。
「迷惑かしら、ゾディアック」
「いや」
「いいのかよ。言われっぱなしだぜ?」
「パンケーキ焦がしたのは事実だから」
「かぁ〜ダメな師匠だな。俺でもパンケーキくらい、ささっと作れるぜ」
ゾディアックはクスッと笑った。
「何笑ってんだよ」
「いいや」
ゾディアックは頭を振った。生意気な口を利くフォックスが可愛らしかったから、などとは言えない。
その時キッチンから女性陣の声が上がった。
「できたわ。ホワイトチョコマフィン」
ラズィはトレイを持ち、テーブルの上に置く。綺麗に膨らんだ生地から、ホワイトチョコが飛び出ているマフィンが乗せられていた。
「魔法で冷やしたから食べられるわ。毒見しなさい、男共」
「毒見っていうなよ!」
「そういえば、犬にチョコって大丈夫なのかしら」
「犬じゃねぇよ亜人だからな! チョコくらいどうってことねぇっつうの」
フォックスはマフィンをひとつ取り噛り付く。
「……うっま!」
「うん。美味しい。生地がもさもさしてないし」
「さすがですね、ラズィさん」
3人に褒められたラズィは腰に手を当て、自慢気に胸を張った。
「当然よ」
★★★
「え!? これラズィさんの手作りですか!?」
セントラルを訪れたラズィは、綺題にラッピングされたマフィンをビオレに手度していた。
「はい。ロゼさんと一緒に作りました〜。甘くて美味しいですよ~。携帯食として、いかがでしょうか」
「うん! 欲しい欲しい! やった。勿体ないなぁ食べるの」
ききほど任務をこなしてきたビオレだが、まったく疲弊している様子を見せず、喜んでいた。
若いからか、それとの亜人だからか。彼女の体力は底なしのようだった。
「無理はしないでくださいね〜」
「うん、わかった」
ビオレの純粋な笑顔を見ると、頬が歪んでしまう。
別れの挨拶をしたラズィは踵を返し、出口へ向かう。
「おう、ラズィちゃん!」
声をかけたのは入口近くのテーブ席に座った、小大りの中年男性だった。重厚な鎧は傷だらけで、年季の入ったものだった。
「最近黒騎土とばかりつるんでるだろ? たまには俺らのパーティに入ってくれよ」
「いいですよ〜。また今度~」
ひらひらと手を振って答えると、別の方向から声がかかった。
「あ、キルベルさん〜。今度魔法パーティで精霊狩りに行くんだけど、一緒にどうですか?」
知人である女性の魔術師だった。長い金髪が特徴的な美人に、ラズィは笑みを返す。
「わかりました〜。炎系ならお任せください~」
「キルベルさんが来てくれるなら百人力です! よろしくお願いします」
丁寧な謝礼を述べる相手に軽く頭を下げ、ラズィはセントラルを出た。
ラズィはガーディアンたちから人気がある魔術師だ。様々な魔法を扱る上に、指示にも従い、状況に応じて的確な判断を行える。おまけに美人。
初めは馴染むつもりがなかったサフィリアのセントラルにも、いつの間にかラズィの名が刻まれつつあった。
ラズィは一度セントラルを見る。
ここに来られて幸運だった。そう思い、視線を切った。
★★★
姉のお見舞いも済ませ、メイン・ストリートを歩いていると、見知った緑髪が視界に入り込んだ。
「ベルクート?」
普段は露店にて、客の呼び込みすら行わず、本やらアンバーシェルで時間潰しをしている彼だが、今日は様子が違うように見えた。
通りを横切り路地裏へと入っていく。せっかくラビット・パイから営業再開の許可を得たのに、まともに商売を行わずサボりだろうか。
ラズィは不審に思いながら路地裏を覗き込んだ。そこでは、ベルクートが大柄な男性ふたりと何か話していた。ふたりとも頭にターバンを巻いている。どうやらキャラバンの人間らしい。
ラズィははこっそりと覗き込み、暗殺稼業時代に鍛えた目と耳を研ぎ澄ませる。
「……事情はわかった。でも、もういいんじゃねぇか?」
ベルクートが男の肩に手を置いてそう言った。諭しているようだ。
「しかしだなぁ、ベルクートさん。ここで見逃したら他のキャラバンに示しがつかねぇ」
男が、目に角を立てベルクートに苦言を早した。対しベルクートは、呆れたように頭を振る。
「言っちゃなんだが、こんなことサフィリアなら日常茶飯事だろ。あんたらも金ケチってキャラバンガードナー雇わなかったから狙われたんだ。いい教訓になったろ」
「そうかもしれんが」
「盗んだ品物の料金は、俺が色を付けて立て替えるからさ、大目に見てくれや。な?」
ベルクートが男に金を渡した。男たちは渋々といった表情で硬貨を受け取ると、その場を離れていった。
残されたのはベルクートと、地べたにしりもちをついて震えている、シャーレロス族の少女だけ。
盗みか。ラズィが状況を把握していると、ベルクートは少女の前に膝をついた。
「大丈夫か? お嬢ちゃん。盗みなんてやめて違う方法で生きた方がいい。今度やったら殺されちまうから。な」
白い歯を見せた。少女は怯えながらも見つめ返し、小さく領くと、素早く立ち上がり路地を出て行った。
その背中を見送りながら、ベルクートは後頭部を掻いた。
「ふぅ」
「ベルクートさん」
「おぉう!!?」
ベルクートは肩を上げて振り返った。すぐ後ろにいたラズィがクスクスと笑う。
「ビックリしすぎですよ~」
「ラ、ラズィちゃんかよ。マジで気配なかったからビックリしたぜ」
「うふふ〜、すいません」
口元を隠していたラズィは少女が走り去った方向を見る。
「亜人さんを助けたのですね~」
「ああ。パーティにビオレお嬢ちゃんとかフォックスがいるだろ。なんつうか、放っておけなくなってなぁ」
「ゾディアックさんの影響でしょうか~?」
「違いねぇわ」
ベルクートは笑う。そんな彼に視線を移したラズィは、ふわりとほほ笑む。
「ラズィちゃんは何してんの? 買い物?」
「ああ、そうでした〜」
ラズィは腰につけていた麻袋の中から、ラッピングされたマフィンを取り出した。
「はい。私特性マフィンです〜。ベルクートさんに」
「え、くれんの?」
「もちろん〜」
「マジかよ。ラズィちゃんみたいな美人さんからプレゼントとか。俺今日死ぬんじゃねぇの? ありがとよ」
照れくさそうに笑いながら、ベルクートはそれを受け取った。
「美人、ですか~?」
ラズィは苦笑いを浮かべる。
「こんな顔なんですけど~」
ラズィの顔は、半分が火傷に覆われており、片目が潰れてしまっている。
火傷顔に眼帯。女性としてはコンプレックスにしかならない姿だ。
そんな彼女を見て、ベルクートは徐々に顔を引き締め、真剣に見つめた。
「綺麗だ」
そして、真剣な声色で言った。
「前から変わらず、美人さんだよ。ラズィちゃんは」
ラズィの糸目がパッと見開かれる。
ふたりの視線が交わり、一瞬、街中の喧騒が静まり返った。
「むしろ以前よりイケてる」
ベルクートは親指を立てて言った。
「……台無しですよ~」
ラズィは類を緩めた。
「ありがとうございます、ベルクートさん」
「おう」
徐々に街の喧騒が戻ってくると、ラズィは思いついたように手を叩いた。
「ベルクートさん、この後お暇ですか?」
「何だよ。お茶のお誘いですかい」
「あはは。それもいいですけど~、お店の手伝いでもしようかなぁと思いまして~」
「本当か!? なら手伝ってもらおうかなぁ。やっぱ綺麗どころっつか、綺麗な看板娘が露店には必要不可欠っつうかさぁ――」
ふたりは楽し気に会話を交わしながら路地を出ていき、波のように動くサフィリアの通行人に紛れ込む。
ああ、本当に。ここに来て、よかった。
喧騒の渦に巻き込まれながら、ラズィは強く、そう思った。
お読みいただきありがとうございます!
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