第15話「死炎」
「……え?」
村が、焼かれている。
寝る前まで、いつも通りだったはずの景色が、赤に近い橙色に染まっている。
なぜ?
混乱する頭で答えを探る。
ヒューダ族が”亜人狩り”を行いに来たのか。
それとも、”蛇頭”のナロス・グノア族が襲いに来たのか。
いや答えを求めても意味がない。
ビオレは眼前に広がる炎の海を見続けた。
次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開けられ、ビオレは短い悲鳴を上げて蹲った。
「ビオレ!」
「……お、お父さん!」
恐怖に引きつった声を上げ、ビオレは父に抱きついた。
そして気づく。シャイアスが軽鎧を着ていることに。右手には、かつてガーディアンとして活動していたとき使っていた、立派な弓が握られていた。
「逃げるぞ」
「でも」
「時間がない。行くぞ!!」
父親に手を引かれビオレは部屋を出た。
家の中を全力で駆け、靴もしっかり履かないまま外へ出た。
刹那、灼熱の炎が波のように押し寄せてきた。
「くそっ」
シャイアスはビオレを背中に隠し弓を構える。
弦を耳後ろまで引き、風の魔法で作った深碧色の矢を一瞬で作り出し、射出する。
緑色に輝く矢は直線に飛び、迫り来る炎を、渦を巻くように霧散させた。
正面の炎は取り除いたが、周囲はまだ炎の海が広がっている。シャイアスの舌打ちが、ビオレの耳に聞こえた。
「駄目だ! このままだと持たないぞ!」
左にある広場の方では、同族の男達が空を見上げて叫んでいた。
全員の顔が汗に塗れ、服が焦げている。いつも通りの優美な姿は消え失せている。
そのうちのひとりが、シャイアスに向かって手を振る。
「シャイアス村長! 逃げてください! ここは俺らが――」
言葉は最後まで聞こえなかった。上空から突如押し寄せてきた炎の竜巻が、男達を飲み込んだからだ。
男達は声を出す間もなく火炎に飲み込まれた。
炎の中で踊り狂う影が瞳に映り、折り重なる悲鳴が耳をつんざいた。ビオレは気を失いそうになるのを、なんとかこらえる。
シャイアスはビオレの手を引いてその場から離れる。道中、黒い炭と化した同族の遺体が何体もあった。遠くから聞こえてくる悲痛な叫び声も、徐々に少なくなっている。
いったい何が起きたのか、ビオレは理解できなかった。
物陰に隠れると、シャイアスは片膝をついてビオレの両肩を掴む。
「ビオレ! ビオレ。いいか。しっかりしろ。一度しか言わないから、よく聞くんだぞ」
混乱しながら、無意識に首を縦に振った。
「この村はもう駄目だ。お父さんは生き残りを集める。ビオレは先に逃げるんだ。いいな」
ビオレは頭を振った。
「やだ、やだよ……お父さん」
「大丈夫だ。お父さんも、すぐに追いつくから」
安心させるよう微笑み両肩から手を離すと、シャイアスは左手の薬指に嵌めていた指輪を取る。
ダイヤモンドの宝石がついた、ガーディアンの証を示すアクセサリーだ。
「これを持って、「サフィリア宝城都市」という国に行くんだ。いいな。「サフィリアのセントラル」に行って、任務を申請するんだ。そしたらガーディアンがお前を助けてくれる。わかったか? サフィリア宝城都市の、セントラルだぞ。間違えるな」
シャイアスは腰に手を伸ばし、ちいさな布の袋を手に取った。
「中に発煙筒がある。”ドラグナー”にしか見えない特別な煙と光で、お前を救ってくれる。安全になったら使うんだ」
早口で言うと、指輪を袋に入れ、ビオレに手渡す。ビオレは両手でそれらを受け取った。
「大丈夫だ。この袋がある限り、お前が路頭に迷う心配はないからな。金に困ることはない」
シャイアスはビオレの頬を撫でる。
ビオレは涙を流し、浅い呼吸を繰り返しながら、父の優しい顔を見続ける。
「お、おとうさん……やだ……一緒に逃げようよ。言うこと聞くから。お母さんみたいに、いなくならないで……」
壊れた人形のように、首を横に振り続けた。
「……お前は本当に優秀な子だった。お前は私の自慢だ。きっと、最高のガーディアンになれる」
シャイアスはぐっと下唇を噛み締め、ビオレを抱きしめる。
「大好きだ。ビオレ。この世に自然がある限り……お前は常に、加護を受けているから。必ず風が、お前を守ってくれるから」
体を離し、ビオレが持つ布の袋を一緒に握る。
「お父さんは、ずっと、お前の味方だから。絶対に、この袋を手離すなよ」
シャイアスはそう言って立ち上がった。
「行け!」
「お、とうさん……」
「行くんだ! 立派なガーディアンになるんだろう!!」
恫喝に近い声を聞き、ビオレは名残惜しそうに父を見た後、無我夢中で走り出した。
徐々に遠ざかっていくその背中を、シャイアスは見続けた。
「……行ってこい」
シャイアスは口元に笑みを浮かべそう思うと、踵を返し弓を構える。
すべてを焼き尽くす紅蓮の炎と、灰と化していく村の光景が、双眸に映った。
そして空に、巨大な影が飛び込んでくる。
素早く弓を構え弦を引く。風の矢が3本出現し、影に向かって放たれる。
矢は影に命中した。シャイアスは攻撃の手を休めることなく、再び矢を出現させる。
直後、大気を振動させる咆哮が影から発せられた。
巨大な岩石が乗せられたようなプレッシャーに、膝を折ってしまう。
それを好奇と見たか、影から巨大な火球が放たれた。
シャイアスは両腕を前に出し、風の魔法で作られた防護壁を張る。
だが防護壁は、まるで藁の如く弾け飛び、火球が目の前で爆発した。シャイアスの体は投げ出され、民家に背中から叩きつけられる。
「ぐぁっ!!!」
背中を強打し、息が詰まった。
両手をついて、なんとか上体を持ち上げる。
片目が見えない。火球の光のせいか、それとも焼け落ちたか。おまけに痛みも感じない。耳も遠い。意識が遠のいている。
シャイアスの体は、死の誘惑に負けかけていた。
――足掻けよ。最後まで。
朦朧とする意識の中で、ある声が聞こえた。
かつての仲間の声だ。生涯の友と言える者の激励だ。
「……足掻くさ」
まだビオレが近くにいる。
シャイアスは必死に呼吸を繰り返しながら立ち上がった。
「駄目な父親で終われるか」
口元に笑みを浮かべそう言った。
そしてシャイアスは、叫びながら弓を構え、矢を作り出す。
瞬間、眼前が白に塗り潰された。
音もなにも聞こえない白の空間。その中で、妻の姿が見えた。
この世にもういない愛しい者の姿が、シャイアスの瞳に映った。
★★★
村の入口が見えてきた。それを通り過ぎ、森の中を駆ける。ただひたすらに、がむしゃらに走り続ける。
しばらくすると、後方から届く炎の光が薄れていき、辺りが暗くなった。
ビオレは立ち止まって振り返る。村を焼いている炎がまだ見えた。
その上空に、何かが飛んでいるのに気づく。
巨大な両翼を広げ、口から火を吐いている、小山のような大きさをした何か。
火と煙に照らされているそれは、真紅の鱗を持っていた。
「……どうして……」
紛れもない。それは、紛れもない竜の姿だった。
村を守りしドラゴン、ラミエルの姿だった。
「どうしてっ!!」
叫び声に似たビオレの声が木々の合間を抜ける。
疑問に答える声はない。
遠くから聞こえてくる村の焼ける音と、自然の泣き叫ぶ声。
そして、怒り狂うラミエルの咆哮が、ビオレの耳に届いた。
★★★
悲鳴も聞こえなくなり、炎の明かりも、竜の声も聞こえなくなった。
ビオレはフラフラと、当てもなく歩き続けていた。
月明かりが辺りを照らした。だが、自分がどこにいるのかはわからない。
草が揺れる音がする。広い草原のような場所にいるのだろうか。
酷く、疲れていた。それでも歩き続けるしかなかった。止まったら泣き叫んで、もう動けなくなる。
ビオレは呼吸を荒くしながら、正面を見据える。
どこに行けばいいのか、わからなかった。
しかしそこで、シャイアスの言葉を思い出す。
「サフィリア……セントラル……」
譫言のように呟きながら、渡された布袋の口を開け、中を探る。
筒状の物を見つけた。ビオレはよく考えず、魔力を流した。
瞬間、パシュン、という音と共に、赤色の煙が立ちのぼった。
「……」
立ち止まってしまった。
ビオレは膝を折り、座り込んだ。
涙が流れてきた。どうしたこんなことになったのか、まったくわからない。
眠い。瞼が重い。
「……お父さん」
ビオレは横になりそうになった。
その直後、月明かりが消えた。薄眼で空を見ると、巨大な影が月を隠したらしい。
翼竜、ワイバーン。
両翼を広げていた大きな緑色の竜は、翼を折りたたみ、ビオレの前に着地した。
「……子供?」
ワイバーンに跨っていたガーディアンは、ビオレを見つめた。
ビオレは人が乗っているとわかると、立ち上がり、シャイアスから渡された袋を胸の前に抱きながら、声を絞り出す。
「お願い、連れてって……! サフィリアの、セントラルに……!!」