第151話「Voltage:95%」
「ジルガー、大丈夫か」
少年は床に尻もちをついている男を見下ろしながら、声だけを後方に投げた。
返事はなかった。夜風がカーテンを揺らす音がいやに大きく聞こえるだけである。
少年は舌打ちした。ジルガーの傷は、深いのかもしれない。すぐに駆け寄って治療したかったが、そうはいかなかった。
「おい、てめぇ。覚悟はできてんだろうな」
少年は正面に低い声を飛ばす。目線の先には尻もちをついた男がいる。
男の右手には小さな武器に向けられる。銃だ。少年はその凶悪な武器を目の当たりにしても冷静だった。
「なんだ、てめぇは……」
座っていた男は、頬を吊り上げながら立ち上がった。その動作を邪魔せず、少年は拳を握って相手を睨み続ける。
「生意気な面しやがって、犬風情が」
銃を持つ手が震えている。恐怖ではない。怒りでだ。
「場違いな亜人如きが、俺の邪魔すんじゃねぇ!!」
次の瞬間、銃口が向けられた。同時に少年はその場にしゃがみこむ。
男は標的を失ったため動作が遅れ、引き金が引けなかった。
一瞬の隙。しかし少年にとってはそれで充分だった。
「フッ!!」
息を吐き出すと同時に曲げた膝を伸ばす。まるで低空飛行しているかのような素早い動きで、少年は相手の懐に入り、頭突きを腹に見舞う。
「ぐふっ!!?」
男が苦し気な声を出す。鳩尾には当たってないが、巨大な岩石が腹にめり込んだようであった。
まともに攻撃を食らった男は後方に吹き飛び、扉に背中が当たる。
少年の攻撃は終わらない。素早く距離を詰めると、跳躍。
両足揃えの飛び蹴りが、男の顔面に叩き込まれた。
「ぶぎゃっ!!」
間抜けな悲鳴が上がり、外開きの扉が勢いよく開いた。
男は廊下に投げ出されるように吹き飛ぶ。
「ジルガー!! 少し待ってろ! こいつボコったらすぐ家に帰ろうな」
返事はないだろうと思いながら言った。
「……ああ、待ってるよ」
微かに、ジルガーの声が聞こえた。
少年は一瞬驚いたが、口元に小さな笑みを浮かべると廊下に飛び出した。
男はすでに起き上がっていた。壁に手をつきながら背を向けて移動している。
階段で逃げるつもりだろうか。少年は追撃するために走り出そうとした。が、一歩進んで止まる。
男の左手が、腰に伸びていたからだ。
「死ねぇ!!!」
絶叫するような声と共に男は振り向いた。少年は男が両手で何かを持っているのを捉え、部屋へ一度戻る。
直後「バラララ」という轟音が鳴り響き、宿の壁に穴が開いた。
「うぉぉ!!?」
少年は蹲りながら廊下に視線を向ける。火の線が走っている。男が持っていた銃から、こちらを殺そうとする何かが射出されているのは明白だった。魔法とは違う。なんとも冷たい、無機物のそれである。
直感であの火線は防げないと少年は悟る。音が鳴り響いている間は、こちらが手を出せないことも把握できた。
だが少年の目は死んでいない。今鳴り響いている轟音が、永遠に続かないことを知っているからだ。
「舐めんなよ」
――俺がちっちゃな魔法しか使えないと思っているだろ。とっておきがあるんだぜ。
叫びながら銃を乱射している男に対しそう念じる。腰からククリナイフを取り出し、廊下を睨み続ける。
あとは部屋から出るタイミングが重要だった。躊躇せず、この音が止んだと同時にでなければならない。
「ビビんなよ……俺!」
自身の脹脛を叩き鼓舞する。廊下から視線を切らず、ただ黙って火線を見送る。
そしてようやく、音が止まった。
――今だ!!
足の爪先に魔力を溜め、地面を蹴る。同時に体内の魔力を全身に送る。
体全体を覆う体毛の毛先にまで魔力が浸透し、少年の姿は瑠璃色に輝くようであった。
宝石の如き煌めきと共に廊下に飛び出すと壁に両足をつける。そこを足場にして前方に飛ぶ。
男が目を見開いて少年を捉えた。しかし何もできない。しようともしていない。
それは少年があまりの速さで動いていたからだ。
まるで雷。圧倒的な速度に目を奪われていた男は、迫りくるナイフの軌跡を捉えることはできなかった。
突進した少年はナイフを男に見舞う。
「ぎゃぁあああああ!!」
男が悲鳴を上げ銃を落とした。左手から大量出血しており、真っ赤な血が床を濡らす。
ナイフを振り抜いた少年は派手に床に転ぶ。ハッとして後ろを振り向く。
痛みに悶える相手を見ながら荒い呼吸を繰り返す。
「浅かったか……」
少年が発動した魔法は、ただ速く移動する、というものである。しかしその速度は音速を優に超えている。
速度の制御ができていないため、上手いこと相手の喉元をすれ違いざまに切れなかった。
「俺の、俺の指が……!! 指がぁ!!」
しかしそれでも充分だったらしい。少年は立ち上がると男に近づく。
男の怯える眼が向けられる。
「あ、ああ、来るな! 来るなよ!!」
男は尻もちをついて後退りした。どうやらもう戦う意思すらないらしい。
少年の持つククリナイフの切先が男に向けられる。
「生きたいのか? お前」
「へ……?」
「今、この場で、死にたくないのかって聞いてんだ」
少年の怒りが向けられる。ガチガチと震えている男を見下ろす。
答えは聞いてないが、それは死を覚悟している者の姿ではなかった。
「こんなの……俺の知ってる異世界じゃない」
「あ?」
「お、俺、俺の知っている異世界転生じゃない……異世界に行ったら、俺は幸せになれるんだ……それがお決まりなんだ……」
「……何言ってんだ、お前」
錯乱している男に呆れ、少年はため息をついた。
★★★
死にたくない、死にたくない、死にたくない。
セロは正面にいる、ナイフを向ける狐男に対して叫ぼうとしていた。
声が出なかったのは自分のプライドが邪魔したせいか、それとも恐怖のせいで口が開かなかったせいか。
相手の冷たい目線が、向けられている。元の世界にいたころから、何百回と向けられた侮蔑の視線だ。
――見下しやがって。
微かな抵抗の意思がセロの胸中に芽生える。セロはまだ無事な右手を、懐に忍ばせる。
リボルバーのグリップに手が触れる。ここで抜き出して撃とうか。いや、それだと失敗する可能性がある。
今欲しいのはこっちではない。そう思いながらセロの手は、”アレ”を探ろうと動き出す。
”アレ”があることはコートを着た時に確認済みだ。亜人相手なら絶対に負けることのない必須アイテム。
――見ていやがれ。てめぇは終わりだ。
狐男を見上げて、セロは口角を上げた。
「ヒッ、ヒヒヒヒ……」
笑い声を押し殺し、目当ての物を探る。
探る。
探る。
「……ヒ?」
”アレ”は、見当たらなかった。
「……どうして?」
セロの呆けたような声が虚しく廊下に響き渡った。
★★★
「あの機械?」
ゾディアックが首を傾げた。巨漢はニッと笑う。
「そうだ。亜人を操る機械よ。俺らは今持ってないが、あいつは持っている。きっと今戦っているにしても……あの機械を発動すれば、亜人たちを意のままに操れるんだ」
「そんな機械、聞いたこともねぇ」
ベルクートが頭を振った。
「与太だろ」
「それが本当なんだよ。お前らだって見ただろ? 操られた亜人を」
「……あれか」
ゾディアックの脳裏に、金髪を奪取された時の映像が過る。
「残念だったなぁゾディアック。お前の斥候として送った亜人たちは、全員死ぬ運め……」
「その機械って」
言葉を遮って、ゾディアックは手に持った物を巨漢に見せた。
「これのことか?」
ゾディアックが持っていたのは、銀色のボールだった。手の平にすっぽりと収まるサイズのそれをそれを見た巨漢の顔が、見る見るうちに青ざめていく。
「な、なんで……なんでお前がそれを持って……!?」
金魚のように口をパクパク動かす男に見せびらかすように、ボールを軽く空中に放る。
「さっき、届けてくれたんだ」
誰が、と男は聞こうとした。しかしそれは声にならなかった。
「なんだよ大将。お前いつからそれ持ってたんだ?」
首を傾げるベルクートとは対照的に、ボールを持ってきた人物に検討がついたラズィは、苦笑いを浮かべた。
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