第149話「Voltage:93%」
「いい、ふたりとも。よく聞いてちょうだい」
カルミンの呼びかけに対し、返事はなかった。
上質な布で作られ、宝石をはめ込まれた金細工の家具が数多く存在するカルミンの部屋に、ビオレと少年は目を奪われていた。見たこともない豪勢で広い部屋を目の当たりにしたため、ふたりは椅子に座ってポカンと口を開けていた。
「よく、聞いてちょうだい」
カルミンが語気を強めて言うと、ふたりの肩が上がった。視線を、テーブルを挟んだ先にいるカルミンに向ける。
「ご、ごめんカルミン。あまりにも凄い部屋だったから。カルミンって本物のお嬢様だったんだね」
「ゾディアックさんの家はこうじゃないの? あの人稼いでいるでしょ」
「マスターはお金持ちだけど、こんなキラキラしたベッドとか机とか置かないよぉ」
シャンデリアの光を反射し、光沢を放つデスクを撫でながらビオレは苦笑いを浮かべた。
「で、聞いてほしいことって?」
少年が聞くと、カルミンは喉を鳴らした。
「作戦を確認しておくわ。まず北地区外壁付近でゾディアックさんと亜人たちが騒ぎを起こす。大勢の兵士が来るように、なおかつ警戒心を強めるために、武器を抜いていがみ合う流れになる」
「そうすると、どうなんだよ」
「北地区は政府関係者や要人が多い地区よ。他国からの使者もいるわ。だから少しでも北地区内に被害が出るかもしれないと思ったら、すぐに”警報”が流れる」
「警報?」
「北地区全体に流れる緊急時のサイレンよ。それが流れたら街中は静まり返るわ。住民が家に非難するからね。そして大半の兵士たちは外に行って、内側の兵士は警戒態勢に入る。ただ、内側は少しだけ手薄になっているはずよ」
「つまり、俺らが動きやすくなると」
自信満々な笑みを浮かべる少年を、カルミンは鋭く睨みつける。
「言っておくけど下手な動きをしてみなさい。私が一緒に動くとはいえ、騙せるとは限らないわ。だから完璧に兵士が配備される前に、迅速に敵の潜伏場所まで移動することが重要なの」
「けど、カルミン。相手の潜伏場所がわからないんじゃ」
「それはもう把握済みよ」
小首を傾げたビオレに笑みを返した。同時に部屋の扉がゆるりと開いた。
全員が視線を向けると、茶菓子が入った皿と、湯気が立ち上るティーカップが乗せられたアンティークトレイを持つ、老執事が室内に入ってきた。
「お嬢様。フォルネフェルトの紅茶をお入れいたしました」
「ありがとうウィスパー。テーブルに置いてくれる?」
「かしこまりました」
ウィスパーと呼ばれた老執事はテーブルの上にトレイを置いた。そして一礼すると何も言わずに部屋を出て行った。
「こえぇんだけど」
「どこが?」
「なんか作り物みてぇだった。あの爺さん」
少年が目に角を立てて言うとカルミンがクスクスと笑った。
「そうかもしれないわね。けど」
カルミンはティーカップの下に挟まれた白い紙をふたりに見せる。折りたたまれているそれを指で挟んで持ち上げ、ひらひらと動かす。
「仕事の速さと正確さは折り紙つきよ」
★★★
北地区にサイレンが鳴り響いた。
宿から出て門近くまで来ていた4人は一様に足を止める。
「なんだ、これ」
セロは不愉快な音に眉を顰める。
「警報か」
ウノが周囲を見渡す。人影が、通りから忽然と姿を消していた。近場の家からは鍵が閉められる音が聞こえてくる。室内の光が一筋も秀れないよう、カーテンも閉められていた。
明らかな避難動作に対し、ウノは舌打ちした。
「セロ。あと、ドス。お前ら一回宿に戻れ」
「あ? なんで」
「陽動だ。警報が鳴ってるせいで街中から人が失せている。兵士たちも街の警備に移るまで時間がかかるのは目に見えている」
さきほど大量の兵士が外に出るのをウノは見ていた。おそらく、内部の守りはいつもより薄くなっている可能性が高い。
「陽動だろうがなんだろうが、とりあえず押し寄せてくるガーディアンを倒せば」
「もうすでに中に入っていたとしたら、どうする。あの金色の狐を助けようと動いている別動隊があるかもしれねぇ。だからお前だけでも宿に戻って、あの獣人の身柄を確保した方がいい」
冷静なウノの言葉に、セ口は頷くしかなかった。
「わ、わかった。俺はいったん戻る。お前らも終わったらすぐ来いよ! ドス、行くぞ」
「う、うん」
踵を返し走り去っていくふたりの背を見つめながら、トレスは唾を吐いた。
「うぜぇわ、セロの野郎」
「まぁまぁ怒るなって。あいつもあいつで必死なのさ」
憤るトレスを鎮めながらウノは門を指す。
「汚名返上しようぜ。外に出てガーディアン何体かぶっ倒せば、喜んでくれるだろうよ」
「俺はあいつに嫌われようがどうでもいい。あんたについてきたんだから」
「そういうなよ。側だけでも仲間として接しようぜ。な?」
「……わかった」
トレスは小さく返事をした。ドスは相方の背中を叩き、門の外に出る。
あたりは兵士の怒号が飛び交っている。遠くからは、どこか楽しげな亜人やガーディアンたちの声が少なからず聞こえた。
「どう動く?」
「そうだなぁ。兵士の後追いしても意味がねぇ。俺らは人通りの少ないところから回り込んでガーディアンか亜人を見つけようぜ」
ウノがそう提案し、ふたりは人通りの少ない方へ駆け出した。周囲から兵士の声も消え失せ、西地区の細路地に差し掛かる。
その瞬間。
ウノの右肩に衝撃が走った。
「え」
一瞬呆けたような声を出したウノは、視線を右肩に向ける。
鮮血が、噴出していた。
次いで激痛が全身を駆ける。
「ぐぁあ!!?」
足を止め左手で肩を押さえる。
「ウ、ウノ!?」
困惑したトレスの驚きの声が路地に響き渡った。
ウノは舌打ちした。罠だ。だがもう気づくのが遅かった。
罠に気づかなかったのは単純な理由がある。まさかこんな北地区の近くで、おまけにラルムバートの客人である自分に、容赦ない攻撃が降り注ぐとは思いもしなかったからだ。
ウノは歯を食いしばりトレスに指示を出そうとした。
「よぉ、どうした?」
正面から声がかけられた。注視すると、長銃を両手で持った緑髪の男性が立っていた。
「……マークスマン、ライフルだぁ?」
荒い呼吸を繰り返しながら、男の持っていた銃を睨みつける。緑髪をオールバックにした男は、ニッと笑い銃口をウノに向けた。
「さっすがアウトロー。よくご存じで。その通り、突撃銃にもなれる狙撃銃だ。名前は確か」
「トレス!!! 逃げろ!!」
相手が油断している隙に、ウノは後方を見て叫んだ。
しかしすぐに息を呑む。青い顔をしたトレス、その喉元には、月に照らされる白い刃が添えられていた。
トレスの後ろにいるのは、月光で照らされた黒ずくめの人物。
「またお会いしましたね〜、お兄さん」
「ヒッ、ヒィッ」
耳元で囁かれた声は、自分を拷間したあの女性の声だった。トレスは情けない叫び声をあげ、助けを求めるようにウノを見た。涙ぐむ仲間を見てウノは歯噛みする。
「どうするよ、あんた。銃を突き付けられて、片や喉元にナイフだ。……つうかラズィちゃん、魔術師なのによくナイフ持っていたな」
「護身用です~」
「……まぁ、いいか。で、どうする。抵抗するならこっちも容赦しねぇぞ」
脅しでないことは明らかだった。ウノの喉が震える。
「いいのかよ。あんたら。俺は」
「北地区の客人だろ? それがどうした。俺らは"暴徒を鎮圧しただけ"だ。何もおかしなことはない」
緑髪の男は鼻で笑った。
「銃なんか持っていたらそう言われても仕方ねぇ。わかるだろ、あんたになら」
勝ち誇ったような声だった。ウノの口元に虚勢の笑みが浮かぶ。肩からの出血が止まらないため頭から血が抜ける感覚に陥る。
ウノは意を決して、左手を肩から離した。両者の警戒心が強まる。
「……しゃあねぇなぁ」
クツクツと笑い、ウノの視線がトレスに向けられる。仲間の首元に、薄っすらと赤い線が走っているのが見えた。
「降参するわ」
悪いな、セロ。
ウノは心の底で仲間に詫びながら、真っ赤に染まった左手を天に掲げた。
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