第137話「Voltage:69%」
西地区は基本的に人通りが少ない。隣接する南地区や北地区付近には店や人が住んでいる場所もあるのだが、西地区の中心部に近づいて行くにつれ、住宅も店も人の気配も失せていく。
「ちっくしょぉ」
人通りが少なくなっている道を、トレスはぶつくさと文句を言いながら歩いていた。ここから先に進めば亜人街までまっすぐだ。
仲間から役立たず扱いされていたトレスは、見返してやろうとひとりで魔力が多い相手を探していた。
狙いは亜人。それも特に職に就いていないのが対象。となると西地区の亜人街付近しかなかった。
歩いている途中に何かいい相手はいないかと、ポケットに両手を突っ込み、しきりに周囲を見渡す。
「……お?」
そして、見つけた。
道端に蹲っている、ガネグ族。薄汚れたボロ布を纏いながら、まるで家無しのように横たわっている。オスかメスかはわからない。
だがその魔力は多かった。もしかしたら、今まで手に入れた亜人の中でも一番多いかもしれない。
ツキが回ってきたという奴だろうか。ここでアレを捕らえて持っていけば、全員見直してくれる。
トレスは白い歯を見せながら亜人に近づく。
「ねぇねぇ、そこの君」
まるでナンパ師のような猫撫で声でトレスは亜人に声をかけた。
顔を上げた。狐顔だ。ところどころ毛並みが黒く汚れている。
「誰?」
狐顔の亜人はゆっくりと体を上げ、寝ぼけ眼を擦りながらトレスを見上げた。
トレスは壁に片手をついて、少年を見下ろす。女性を口説いているような体勢だが、その目に愛情はひと欠片も入っていない。
「君さ、お金に困ってない?」
「……カネ?」
「そう。お金。あ、興味があるならお話しようよ。食事しながらでもいいし、なんならここでもいいよ?」
身振り手振りを交えながらトレスは言った。大半の亜人は金に困っている。トレスはそれを理解していた。
相手は迷っている。どうせ食いついてくるくせに、もったいつけるなと言いたかった。
「ここで話したいな。どんなこと、すればいいの?」
案の定、狐顔は食いついてきた。どこか希望に満ちたような瞳を向けている。
やはり頭は獣並。ちょっと餌を出せばすぐ食いついてくる。そしてすぐに懐く。ガネグ族はシャーレロス族に比べて忠誠心に溢れているせいだろうか。
トレスは口角を上げた。
「なに。とりあえずついてきて、君は指定の場所にただ立っているだけでいい」
「……それは、楽だね」
「だろ? それじゃあ行こうか」
ここまで聞いておいて断るわけがない。断るようなら殴って言い聞かせてやろう。
トレスが壁についていた手を離そうとした。
「ねぇ、お兄さんって、ここの国の人じゃないよね?」
「……え?」
トレスは戸惑いの声を上げた。狐顔の視線は、一点を見つめていた。
トレスの顔ではない。腹部だ。腹部のある部分。
黒いチェスターコートの内側にある、銃のホルスター。ハンドガンのグリップが飛び出しているそれを見ていた。
「それさ、銃でしょ」
「……よく知っているじゃん」
「お兄さん、この国でそれを買ったの?」
亜人の魔力が増幅した。
「それとも……ブラック・スミス」
そこまで言ってから、トレスは右手を獣人に伸ばした。問答が面倒だったのもあるが、相手の目にはどこか怪しげな光がこもっていた。そしてこの魔力。
この亜人はただの家無しではない。
トレスは無理やり黙らせて連れていこうとした。路上でただの亜人が襲われていようが、誰も助けない。どの国もそうだった。
だが。
トレスの腕は、巨大な影に掴まれた。
「え」
呆けたような声を出す。
それが影ではなく腕だと気づくと、トレスはゆっくりと顔を上げた。
そこには、まるで悪魔のような鎧を着た、黒ずくめの何者かが立っていた。
「だ、誰」
「おい、金髪の兄ちゃん」
今度は肩に腕を回された。慌てて首を横に向ける。左隣にはいつの間にか、緑髪の、煙草を咥えた中年男性が立っていた。
「てめぇ誰の子に手ぇ出そうとしてんのかわかってんのか? あ?」
まるでチンピラのような口ぶりで言うと、横目で睨み、肩に回した方の手がトレスの服を強く握りしめた。
「うちの大将。ゾディアックさんがブチ切れちまうぜ?」
「……」
「大将、セリフ」
「え、えっと……わ、ワレ。こるぁ……舐めんなよ……」
黒い方が、兜の下から小さい声で言った。たどたどしい喋り方だった。
だが腕を握りしめている手からは力が抜けていない。万力のような力であった。
「な、なんなんだよあんたら!」
「ブラック・スミスの奴だろ、お前」
トレスが顔を引きつらせる。わかりやすい反応に、緑髪は鼻で笑ってしまう。
「ちょっと話、聞かせろよ。な? 手荒な真似は」
一瞬、緑髪の握る力が緩んだ。
トレスは素早い動きで左手を服の内側に入れた。
だが次の瞬間。
緑髪の握り拳が、トレスの鳩尾を打っていた。
衝撃にトレスは息が詰まり、口の端から唾を吐き出す。
緑髪はもう一度思いっきり鳩尾を殴った。二度の衝撃に体が悲鳴を上げ、視界が揺らぎ、意識を手放しそうになる。
「ま、待って」
制止の声は届かず。
緑髪の手刀がトレスの首後ろを叩いた。
瞬間、トレスの視界は真っ黒に染まった。
★★★
「呆気なく捕まったなぁ」
ベルクートは倒れた男を見ながらそう言った。
「なんかもうちょい抵抗を期待してたんだけどなぁ。銃だけに頼ってきたお坊ちゃまって感じだ」
「本当に、簡単に捕まってしまったな」
ゾディアックの言葉も、どこか緊張感を失っていた。
少年は拍子抜けしてしまった。まさかこんな簡単に捕まるとは思わなかった。それに加えて、相手がこんなチャラついた、亜人街でバーで遊んでいそうな若い男性とは思っていなかった。
ベルクートは口角を上げて少年を見る。
「にしてもナイスタイミングだ、少年。お前魔力の操作上手いな」
魔法を使おうとすると、生物の中にある魔力は膨張したり、量を増したり、色を変えたりする特徴がある。少年は量を増やす特徴を持ち合わせていた。
そのため、怪しいと思ったやつが現れたら、魔法を使う要領で、魔力を増幅させるようゾディアックは指示を出していた。
「そ、そうかな?」
照れるように頬を掻いて、少年の視線が、敵と思われる相手に向けられる。
「本当にこいつが、ブラック・スミスからきた奴なのか?」
少年は訝しんだ。
「わからない。だから、今から調べる」
ゾディアックは膝を折って、男の顔を見る。まだ若い。20代前半の若者といったような風体だ。体は細身で、あまり鍛えていないことがわかる。
「どうやって?」
少年の疑問に、ゾディアックは答えなかった。
いや、答えられなかった。
捕らえた相手はセントラルではなく、ゾディアックの家に連れていくことになっている。
セントラルは街中であり、目立つと周囲の住民に異変を勘づかれる。
今から行おうとしていることは、誘拐のそれだ。そういった訳から、周辺に人通りも住居もないゾディアックの家が、”監禁場所”として指定された。これはセントラルのガーディアンたちと相談したうえでの判断だった。
その場所で、相手から詳しい情報を聞き出す。
その役を担うのは、”元・殺し屋”のラズィ・キルベル。
だからゾディアックは少年の疑問に答えられなかった。
もしかしたら、彼女は拷問すら厭わないかもしれない。
「とりあえず、こいつを連れていこう」
そう言ってゾディアックは男を担ぐと、アンバーシェルに連絡を入れた。
『確保』
シンプルな二文字に、多くの賞賛の言葉が寄せられた。
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