第127話「Voltage:51.5%」
サフィリア宝城都市に濃霧警報が出たのは、実に34年ぶりだという。
前に発令した時は、近場に「ガギエル」と呼ばれるドラゴンが出現したのが原因だった。
ヴィレオンに映るアナウンサーがそのことを告げると、天気のことをそっちのけにドラゴンの解説をし始めた。
ドラゴンにしては小柄な「ガギエル」は、空気中の水分や、人体の水分を自在に操る力を持っているらしい。さらに驚きなのは、対象の魔力を水に変換できるという能力を持っている、という点だ。
全世界に魔力が蔓延っているサンクティーレにとって、この能力は強力すぎる。いざとなれば国ひとつを水没させることも、理論上は可能であるというわけだ。
実際に、このドラゴンは街ひとつを潰している。その時の光景は、陸上だというのに渦潮が産まれ、すべてを破壊した。
そのため「ガギエル」は"渦神"という異名を持っている。
気性も荒く獰猛で、非常に危険なモンスターとして世界に名を馳せているこのドラゴンは、討伐されず未だに生きている。
討伐隊として派遣されたガーディアンや各国の兵士が、軒並み返り討ちにあったからだ。
ヴィレオンに流れる速報を見て、ゾディアックは眉根を寄せた。
まさか、こいつが近場に来ているのだろうか。だとしても原因がわからない。獣人や回復職がいなくなっているのが関係しているのだろうか。
いくら頭を捻っても答えは出てこない。
「いやぁ、ロゼさんの料理は絶品だな。ごちそうさん」
「本当美味しかったですね〜」
能天気な声が聞こえ、ゾディアックはダイニングテーブルの方に目を向けた。ベルクートとラズィが座っており、ふたりはロゼの料理を食べ終え、満足げな顔をしていた。
「ふふ。ありがとうございます」
お茶をふたりの前に置きながら、ロゼは微笑んだ。
少年が来て、それぞれ動こうとしたが、街中が霧に覆われてしまい、太陽も月も見えなくなってしまった。まさに一寸先は闇といった状況であり、迂闇に動くと危険とゾディアックは判断し、仲間と共に自宅で待機するようにした。
さきほどの「ガギエル」の話もある通り、この霧が自然発生したようには見えなかったからだ。
アンバーシェルを見る。さきほど、ガーディアンたちに警告のメッセージを飛ばしてみた。
嫌な予感はしていたのだろう。半数は捜査を切り上げる返事をしている。
が、半数はまだ捜査を行う意思を示していた。家族がいなくなった者もいるのだ。気が気ではないのだろう。
ゾディアックに、その行動を止めるだけの力はなかった。
「ふたりはどうするの。これから帰るの?」
弓を持ったビオレはテーブルに視線を向けて聞いた。
「私は引っ越して~、ここから家近くなったので~、しばらくいますよー」
「近くって、どこ?」
「隣」
「となり!?」
ビオレが驚きの声を上げ、「隣かよ」、とゾディアックとロゼは唇を動かした。
「俺は今、家出中なので、ここにいたいですよー」
ロゼと少年以外の全員が、ベルクートに冷ややかな視線を送る。
「んだよ」
ベルクートがわざとらしく唇を尖らせた。ビオレは呆れて溜息を吐く。
「まだ喧嘩中なの?」
「しょうがねぇだろー。絶対撃たれるの目に見えてるから帰れねぇの」
「夫婦喧嘩して家出している夫か何かでしょうか~……」
「いいだろ別にいたってー」
ベルクートが拗ねたように視線を逸らした。
それを見て、ロゼがクスリと笑う。
「なんだよロゼさん。笑わなくたっていいだろ一」
「あ、いえいえ。すみません。ベルクートさんはお優しい方なんだなぁって思って」
「へ? 何言ってんの」
「ビオレとラズィさんのことが心配なんですよね。亜人ですし、ラズィさんは回復職もできる優秀な方ですから。ここにいたら敵が来ても、ゾディアック様と一緒にすぐ戦えますもの」
ぐっと、ベルクートは唇をきつく締めた。ロゼを見つめていた瞳が開き、逸らされる。
「そんなんじゃねぇよ」
髪の毛をガシガシと掻いて苦笑いを浮かべた。
「……図星だー」
「図星ですねぇ~」
「うるせえよ! 別にお前ら強いし、ゾディアックだっているから、んなこと微塵も思って」
「ありがとう、ベルさん」
「感謝してますよ、ベルクート」
可憐な女性ふたりの、心からの礼だった。
ベルクートは言葉を切り、息を吐いた。感謝の気持ちを無下にするような男ではない。
「おう」
そう言って、茶をすすった。
ビオレはベルクートから視線を切ると、窓を伝って庭へ出ようとする。
「ビオレ、今日は修行やめておけ」
ゾディアックが間愛入れずに言った。
「中でエンチャントの練習を行うだけにしろ」
「……わかった」
不服そうだったが、ビオレは頷きを返した。
ビオレはゾディアックの隣に座り、ラミエルを両手で持つと、魔力を流す。
弓が紅蓮に輝く。流した魔力が弓を覆い、まるで炎を纏うようになる。
その輝きは、現在発生している濃霧の中で使っても目立つほどの強さだった。
「おお。上手く流せてんじゃん」
「早くエンチャントできるようになりましたね〜」
ふたりも称賛の声を漏らした。ビオレが照れくさそうに笑みを浮かべる。
その時、ビオレの瞳に少年が映った。誰とも話さず、それでいてビオレをじっと見つめていた。
「え、っと、なに?」
ビオレが首を傾げて聞くと、少年はじっと弓を見つめながら言った。
「前より上手くなってんしゃん」
「え?」
「前ここに来た時、庭で練習していたの見た。あの時はへたくそだった」
「なっ……」
ビオレはムッとした。
「へたくそって。じゃあ、そっちはできるわけ?」
「貸してみろよ」
「やだ。弓矢渡すからそっちでして」
「なんでだよ」
「ラミエルは私のなの!」
少し怒気が混ざる声の応酬が続いた。
「ちょ、ちょっとふたりとも、落ち着いて」
険悪な空気が流れたため、ゾディアックはあたふたしながら仲を取り持とうとする。
「頑張れお父さん」
ベルクートがケラケラと笑いながらヴィレオンに視線を移す。
「お。デザート特集やってんじゃん」
その言葉を聞いて、ゾディアックたもの視線がヴィレオンに向けられる。
「こんな状況なのにデザートもなにも……」
ラズィが呆れたような表情で、目を細めて言った。
「まぁいいんじゃねぇの。疲れた時には甘い物だろ、ラズィちゃん」
「呑気ですね~」
「焦ったってなにもできないしな」
ふたりの会話が終わると同時に、上空から撮影された雪に覆われた街の景色が映し出された。
雪国だ。ゾディアックはその光景に、なぜか懐かしさを感じた。
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