第122話「Voltage:43%」
フィンを自分のベッド寝かせると、少年はようやく一息ついた。
廃屋に近い、家とも呼べない納屋のような自分の住処。穴だらけの壁から寒々しい風が吹いている。
少年は傷ついているフィンに毛布を掛ける。その時、フィンの肌を見た。
白い柔肌には縄の痕が残り、赤い蚯蚓腫れを引き起こしていた。よほど強い力で締め付けられていたのだろう。
他に外傷がないか調べてみる。腹部や背中に青痣があったが、毛を毟り取られたり、指を落とされてはいないらしい。捕まったにも関わらずこの程度の外傷で済んだのは奇跡に近い。
「運がいいのかもな」
フッと笑ってフィンの頭を撫でた。ここに薬などはない。フィンの傷を早く治したいと思った少年は立ち上がる。
「ジルガー……なんで帰ってきてねぇんだよ、クソ」
舌打ちしながら後頭部を掻く。家に帰ってきても同居人である金色の狐の姿は失せていた。
夜の仕事を終えたらすぐに家に帰ってくるのが常だった。仲間同士の飲み会などにも行かない彼女がなぜいないのか。
疑問に思っていたその時、扉を叩く音がした。
ジルガーではない。彼女だったらすぐに入ってきて愚痴のひとつをまず零す。
少年は警戒しながら玄関へ向かい、建付けの悪い木造の扉を押して開く。
目の前に、大樹が立っていた。
「うぉっ」
驚きの声を上げて見上げると、ブランドンが見下ろしていた。
「そんなに驚くな」
「いや、無理だろ……あんた怖いんだよ」
身長が3メートルを超えているブランドンは、ただ歩いているだけでも威圧感が凄まじい。低身長の少年にとって、ブランドンは化け物にしか見えない
「む……そうか」
「もうちょっと愛想よくすれば?」
そう言うと、ブランドンは笑ってみせた。金色の歯が見えた。
「うわぁ……駄目だな」
ブランドンは肩を落とした。
「で、何の用だよ」
「そう邪険にするな。フィンの調子はどうだ?」
「ああ……まぁ、捕まったにしては軽傷だよ」
「そうか」
ブランドンは懐から薄い鉄製の容器を取り出した。円盤型のそれを手渡された少年は首を傾げる。
「んだよこれ」
「塗薬だ。ドゥーガの薬草を練り合わせて作った。布に浸して当てるがいい。直接当てると痒みが出てしまう」
「……どうも」
少年が言うと、ブランドンは笑みを浮かべた。
亜人街のリーダーでもあるブランドンは、この街に住む全員の安全を切に願っている、優しい心の持ち主だ。
そのため、見た目にそぐわず非常に温厚な性格であり、争いごとを最後の手段として考えている。強面のせいで優しさがまったく伝わらないのがたまに傷だが、少年や一部の亜人たちは、そんなブランドンを信用し、頼りにしている。
「それで、あのガーディアンたちは?」
声色が少し変わった。警戒しているのだ。
「んだよ。ガーディアンと仲良くなっちゃいけないのか。あいつらがフィンを助けてくれたって言ったろ。俺の……仲、間で……恩人だよ」
「そうか。それを聞いて少し安心したぞ。入口付近で騒いでいたからな。近隣に住んでいた同胞たちが怯えていたのだ。説明すればわかってくれるだろう」
柔らかい口調でそう言ったが、顔は険しいままだった。やはり亜人たちは、誰もがガーディアンや人間たちを警戒している。
ゾディアックのような者もいるのに。少年は少しだけ悲しかった。
ふと、遠くから誰かが走ってくる音が聞こえた。その足音に覚えがあった。
「ジルガー」
少年が呟くと、ブランドンは首から上を右に向けた。
金色の尾を揺らしながら走ってくるジルガーがいた。
「なぁ!? ブランドン!?」
「すまん。すぐに……」
「ちょうどよかった!!」
ジルガーがブランドンの前に立つと、荒い呼吸を繰り返しながら少年に視線を向けた。
「おかえり、無事やったか」
「おう」
「フィンは?」
「中で寝ている」
そっか、と言ってジルガーは呼吸を整えた。
「ブランドン、あんたに話が」
「なんだ?」
「街の住民消えている。昨日から」
ブランドンは顔をしかめた。
「……消えている? 殺されているの間違いじゃないのか」
「ちゃう、いーひんようになってるんや。種族も性別も関係なく」
「また集団で国から出たのか?」
ジルガーは頭を振った。
「そうかもしれへんけど、可能性は低い」
「なぜだ」
「亜人のガーディアンも、一緒に姿を消しているらしい」
「なんだと?」
「なんだそりゃ!?」
少年とブランドンの声が重なった。
「確かなのか?」
「昨日の客探しとったんや。「亜人街にシャーレロスのガーディアン来てへんか」って。それも複数」
「ふむ……」
「もしかしてやけど、”亜人狩り”?」
ジルガーは喉を震わせて言った。
ブランドンは何も言わず、大きく鼻から息を吐き出すだけだった。
ジルガーが言葉を続ける。
「……亜人が狙われているのは、確かかもしれない。ルーなんか怒りが爆発しかけているよ」
ナロス・グノア族のルーはこの街のナンバー3。3番目の実力者にして権力者。荒くれ者たちを引き連れる暴力担当者だ。
今の話が真だとすると、ルーが暴れるのも無理はない。
これ以上の混乱は避けたいブランドンはジルガーを見る。
「私が諫める。ジルガーは住民から情報を」
「クロエと一緒に動くで」
「うむ。小僧」
少年はブランドンを見上げる。
「お前は外で亜人たちを探せ。「友人」にも協力してもらって構わん」
「……わかった」
本来であれば、少年は「俺ひとりで探す」と言いたかった。
だが言えなかった。
ブランドンから命令されたら、誰も断れない。それだけの圧があるのだ。
「フィンはうちに任せて。いってらっしゃい」
「わかった。ジルガーも無理すんなよ」
「はいはい。お互い昨日から動きっぱなしやな」
「……退屈しなくて済むさ」
少年はそう言うと、ブランドンを横切って亜人街のアーチへと向かった。また外に行くことになるとは。
もしかしたら、ゾディアックたちもこの件を知ったのかもしれない。少年は腕を大きく振り、足を素早く動かしながらそう思った。
霧が再び立ち込めていた。なんとも不気味な黒雲が、サフィリア宝城都市の天に渦巻いていた。
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