第120話「Voltage:38%」
薄く目を開けて体を起こす。柔らかなベッドと掛け布団の感触を確かめる。
「眠れなかったなぁ……」
疲れたように息を吐いた。
少年は目元に隈を蓄えていた。劣悪な環境で過ごしてきた彼にとって、突如快適な空間で過ごすことは逆効果であった。自分の匂いがする薄汚い布団とは違う寝床。こんな柔らかい物の上で寝たことは、今までなかった。
いや、一度だけあったか。金色の羽毛に抱かれて眠ったあの時。
「起きなきゃな」
今はとにかくフィンを助けることだ。それに関しては、ゾディアックの金頼りという情けない話だが、背に腹は代えられない。
少年は頭を振ってベッドから降りた。
★★★
食欲をそそるいい匂いがリビンクから香ってきた。中に入ると、すでにゾディアクとビオレが席についている。
「おはよう」
ビオレが言った亜人に話しかけられるのは鳴れているが、小綺麗なビオレに対し、若千戸惑ってしまう。
「……おう」
「朝ご飯食べよう。ロゼさんが作ってくれたよ」
「え、ご飯?」
ダイニングテーブルの上を見ると料理が置かれていた。
「昨日の残り物だけどね」
「あ、朝からスパゲッティか……」
ゾディアックが頬を引きつらせる。
「スープとパンがありますよ。そっちにしますか?」
リビングからロゼの声が聞こえた。その声が自分に向けられていると知った少年は頭を振った。
「いや……いいよ」
「遠慮しないでください! 朝ご飯食べないと力が出ませんよ?」
少年は唇を噛んだ。久しぶりに、"しっかりとした朝食"というのを見た気分だった。
綺麗な家に立派な家具に美味しそうな飯の類。
自分がここにいるのは、場違いだ。
「いいって」
吐き捨てるように言うと、少年はリビングから出て行った。
「あら? ちょっと〜?」
少年の背中に声をかけるも無視され、階段を上る音が聞こえただけだった。
「緊張しているんですかね?」
「いや」
ゾディアックは頭を振ってそれ以上は何も言わなかった。ビオレは黙っていた。ふたりとも少年の気持ちを察していたのだ。
ロゼは、「せっかく作ったのに」と言って、残念そうにテーブルの上の料理を見つめた。
★★★
約束の時刻は迫っていた。
亜人街の入口であるアーチ近くに立っていたゾディアックとビオレ、そして少年は周囲を見渡す。
空は曇り空で、街中は薄い霧に覆われていた。閑散としている西地区の人通りも相まって、まるでゴーストタウンに来たようだ。変な不気味さすらある。
ゾディアックはロゼの気配を近場から感じる。人間に化けることができるようになった。それにも関わらず、昔の癖か、姿隠しの魔法を使う大胆さは尊敬すらする。
「……出てきちゃだめだよ、ロゼ」
兜の外に漏れないよう、小声で言った。
『了解です』
"ゾディアックにだけ聞こえる声"でロゼは言った。
「来た」
再び周囲を見ようとした時、ビオレがぼそりと言った。3人の視線が正面に向けられる。
ゆらゆらとした足取りで歩いてくるラルが見えた。後ろには馭者と馬車を引き連れている。
「ゾ〜ディアックちゃーん」
昨夜と同じく軽い声だった。再会を懐かしむ友のように、両腕を広げる。
「会いたかったよお。これでも結構早起きして急いできたんだけどぉ、待ったー?」
「……」
「んだよ。そんな怒らなくてもいいじゃん」
ラルは肩をすくめた。ゾディアックは怒っているわけではない。緊張で言楽が出なかったにすぎない。
今回は酒も飲んでいないシラフの状態である。隣にいるビオレはいつでもフォローできるように、尊敬する師匠にチラチラと視線を送っていた。
「約束の物持ってきてくれた?」
サングラスの位置を直しながらラルは聞いた。視線は、ゾディアックの足元に置かれている、膨れ上がった布の袋に向けられる。
ゾディアックは無言でそれを持ち上げ、突き出した。
「お〜う。もうちょいなんかさぁ。ケースとかなかったわけ?」
「……いらないなら」
「そんなこと言ってないじゃん」
ラルは指を鳴らした。すると、後方の馬車にいた馭者の男が動き出し荷台に移動する。それからすぐに、馭者が体を縄で縛られた小さな獣人を持ってきた。
「あれでいい?」
片手で担がれている獣人を指差してラルは聞いた。
「フィン!!」
少年は駆け出した。ラルとすれ違い馭者の前に行くと、フィンが無造作に置かれた。
文句のひとつも言いたかったが、ぐっと堪え、フィンを抱きかかえる。殴られたのか、ところどころ痣があり、体毛に血が付着していた。
「おい、フィン! しっかりしろよ!」
ぐったりとした様子のフィンに、大声で呼びかける。薄いが、反応があった。
少年は馭者の冷ややかな目線を浴びながら、安堵のため息を吐いた。
少年の後ろ姿からラルに視線を戻したゾディイックは、相手の目の前に袋を置いた。
「馬鹿だねぇ。この袋の中、全部お札でしょ? もったいなくな〜い?」
「……それがどうした」
「誤解しないで欲しいんだけど。怒らせたくて言ったわけじゃないよ〜。金を豪勢に使う人はねぇ、ダイスキ」
純粋な笑みを向けると、ラルは棒つき飴を取り出して口に咥えた。
「とりあえず商談成立。だけどさ、そっちの仲間に言っていてよ。ベルクートだっけ? あのおっさんにさぁ。うちの名前勝手に使うなって」
「……ああ」
「まぁ近くにいるから、直接言ってもいいんだけど」
ゾディアックは兜の下でこめかみをピクリと動かした。
ベルクートとラズィは近くの廃墟に身を潜めている。理由は商談を円滑に進めるため。そして問題が起こった場合その対処として待機している。
気配は殺していたはずだが、それに気づくとは。それとも当て勘か。サングラスの奥にあるラルの瞳は見えない。口元に浮かべている笑みが真かどうか、判断できない。
不気味としか、表現できない。
「酷くな〜い、ゾディアックちゃん。警戒しすぎだと思うんだぁ。別にあんたらガーディアンに何かするわけでもないでしょ? こっちに得が無いしさぁ」
「……じゃあ、そっちも……"そんな大勢で来なくてよかっただろ"」
「あぁ?」
楽しげだったラルの顔が歪む。
「何言ってんのかなぁ。俺と馬車だけだぜ。この場にいるのは」
「馬車の荷台に、6。そのうち獣人が1。通りをひとつ挟んだ廃墟に5人いて、馬車の後ろの建物に3人……それと、亜人街、アーチの近く、そう、この建物」
ゾディアックは肩越しに、親指で自分の後方にある建物を指した。
「すでに10人以上入ってる。全員武装、獣人も半分以上で魔力も多い。キャラバンガードナー、だろ。ガーディアン崩れ、か」
的確な位置と人数を言い当てられたラルは真顔になると、サングラスを外した。
「やるねぇ。どうやって気づいたの?」
「最初から。……ずっと、魔力を探知していた、から」
「ずっと? ふ〜ん」
感心するような声を出すと、再び笑みを浮かべた。
「……聞いていいか。なんで」
「なんで喧嘩を売るような真似するのかって? そりゃあねぇ、俺は、いや、俺たちはあんたを信用していないのさ」
「なに?」
「ガーディアンでもない亜人と仲良くしている。俺たちにとってその行いはな、見るだけで虫唾が走るんだよ」
ラルの周囲の空気が凍り付いた。
比喩ではない。
本当に冷気が舞っているのだ。
敵意剥き出しの魔法を目の当たりにし、ゾディアックは背の大剣に手を伸ばす。黙っていたビオレも弓を取り、遠くからベルクートとラズィが動く気配も感じた。
その時だった。
「おぅい、あんたら」
野太く、それでいて周囲に通る声だった。全員の視線がアーチの方に向けられ、少年が「あ」と声を漏らした。
「入口でギャアギャア騒がんでくれ。あんたら……子大じゃあ、ないだろう?」
“オーグ族“特有の巨大な一本角を額から生やした大男が言った。
少年は目を大きく見開きならが、ポツリと相手の名を呟いた。
「ブランドン……」
亜人街で最も権力があり、最も強いリーダーの姿が、そこにはいた。
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