第116話「Voltage:27%」
7階建ての建物は、周辺にある建物より一際大きかった。北地区にある「ホテル」と呼ばれる宿泊施設を彷彿とさせるような外観であった。
だが中に入ると、ゾディアックはその考えを改めた。
エントランスと思われる広い場所には、膨れ上がった布の袋や木箱が山積みにされており、ガラクタにしか見えない部品や家具が乱雑に置かれていた。
ゴミ屋敷、いや、物置という言葉がぴったりだ。
「ひでぇ臭いだ」
少年が鼻元を腕で隠す。ガネグ族の敏感な嗅覚に、埃にまみれたこの空間は毒だ。
ふたりはエントランスを進み、昇降機の扉の前に来る。
「……動いてない?」
昇降機の駆動音が聞こえない。現在どの位置にいるのかを示す、扉上部に付けられたランプも点滅していない。スイッチを押しても反応がなかった。
ゾディアックと少年は階段へ向かった。階段の踊り場にも箱が積まれている。
「この建物って、連中のアジトなのかな」
「アジト兼倉庫、かもしれない」
はたして、ゾディアックの予想は当たっていた。
ボスがいるという6階にたどり着くと、階下の埃っぽさがなくなっており、小綺麗な廊下が広がった。
シックな色合いの壁とカーペットは目に優しく、等間隔に置かれたスタンドが淡い光を出し、廊下を照らしている。
「雰囲気、ガラッと変わったな」
「……行こう」
少年は頷いてゾディアックの後ろに続く。部屋の番号は601と言っていた。一番奥の部屋だ。
カーペットが足音を吸収し、ゾディアックの鎧が擦れる音だけが廊下に響く。
目的の扉の前に立つと、ゾディアックは軽く扉をノックした。まだ酒は抜けていない。ほどよい緊張感に包まれる。
「どうぞ」
男性の返事が聞こえた。ゾディアックは扉を開けた。
中に入ると「うっ」と少年は唸った。
柑橘系の香りが充満していた。ゾディアックはさほど気にしないほどだが、少年にとっては、鼻を鋭い刃で貫かれている気分であった。
「大丈夫か? 外で待ってても」
「いや、いい。大丈夫」
少年は手を振って問題ないことをアピールした。ゾディアックは頷きを返し部屋の中へ入る。
簡素なシングルベッドがふたつに小さめの机、そこにふたつの椅子が置かれているだけだった。生活感の欠片もない。
ゾディアックは椅子に座って足を組んでいる男に視線を向けた。手には、アンバーシェルをもう一段階大きくした「トールアンバーシェル」を持っていた。アンバーシェルが片手で操作できるのに対し、こちらは大画面であるため、両手で持つ必要がある。
薄暗い部屋の中で、サングラスをしている華奢な男だった。
ツーブロックの七三分けの髪型をしており、一見真面目そうに見える。服装はグリーンのニットセーターにスキニージーンズだ。ブラウンの革靴は、高級であることをアピールするかの如く、光沢を放っている。
態度、服装、顔からまだ若いのではないかとゾディアックは疑った。
男はサングラスを外すと、トールアンバーシェルを机の上に置いてふぅと息を吐く。
予想は当たった。どこかあどけなさが残る碧眼を見てそう思った。
面長のスッキリとした顔立ちが特徴的だ。鼻の下に髭を生やしているが不潔には見えず、どちらかというと聡明な印象を受ける。
「あは~……これはこれは。すごい大物が来てくれたねぇ」
高い声でそう言うと引き笑いした。
「はじめまして、ゾディアック・ヴォルクス」
「……あなたが」
「ラルルム・セルファランド・デグム・ジランザム」
少年が小声で「名前ながっ」と言った。
「ラル。でいいよ~? ラビット・パイのボスでっす」
男はそう言うと足を組むのを止め、ズボンのポケットから棒つきキャンディを取り出した。包装を解き、丸型の飴を口の中に運ぶ。
「お噂はかねがね。お話はもう聞いている。何? 獣人探してるの?」
軽い口調の言葉はゾディアックに向けられていたが、視線は少年に向けられていた。
「ご購入ぅ?」
「違う。探しているんだ。ここに、垂れ耳のガネグ族が来なかったか?」
「……あのさぁ……」
ラルがふんぞり返り、挑発するような笑みを浮かべた。
「道端の石ころの特徴とかさ、覚えてられる? せいぜい大きいか小さいかでしょ~」
「……小さい男の」
「胸がおっきなネーチャンとかじゃないとぉ~。俺さぁ? 記憶に残らないんだよねぇ」
ラルは棒を手に持ち、歯磨きするかの如く動かし始める。
「ここにはいないのか?」
聞くと、ピタッと動作が止まった。
「ところでさぁゾディアックちゃーん。そんなゴミよりもっといい商品があってさぁ~」
「獣人の方が先だ」
「うちの商品が獣人以下だと言いてぇのか、てめぇ?」
いきなり声色が変わった。ラルは目を見開いて、兜の奥にある瞳を射抜いた。
ゾディアックはぐっと息を呑む。酒を飲んでいなかったら、正直もう喋れなかった。
「あ、あのよぉ!」
少年が勇気を振り絞って声を出す。
「ここにいんだろ、フィンが! いなかったなら別に何もしないからさ、あいつを」
刹那。少年の目の前が暗くなった。
ゾディアックが身を屈め、広げた手の甲を少年の前に出したからだ。
ゾディアックの手の平に飴がぶつかる。涎でベタベタのそれは床にベチャリと落ちる。
「な、なに? お、お前? 俺にぃさぁ、なに、気安く話しかけてきてんの? 獣人如きがさぁ? なんで、話しかけてんの?」
ラルが立ち上がった。口元に笑みを浮かべ両眼をカッと見開いている。額には青筋が浮かんでおり、片方の瞼がピクピクと痙攣し始めている。加えて、頬もかすかに動いていた。
この時、ラルが足が長い高身長であることをゾディアックは理解した。
「な、なんだこいつ……」
不気味なラルを見て少年は恐ろしくなった。
「なんのつもりだ」
ゾディアックが聞くと、ラルはポケットから新しい飴を取り出し口に咥えた。
「あのねぇ? 俺は、世界で3番目に大きなキャラバンのボスなの。けどさぁ、自分がすげぇなぁって思ったやつとはタメ口とかぁ、酒を飲みながら語り合いたいんだぁ。友達は多い方が、いいからねぇ。それをねぇ獣人如きがねぇ? この世で最もゴミカスな存在が話しかけてくるなんてぇさぁぁあ? 腹立つと思わない? こっちは雲の上の存在なのにさぁ」
「だからといっていきなりあんなことをすることはないだろ」
「……俺にぃ、せ、説教すんの? か、構わねぇけど、しっかりと覚悟決めろよ? 俺はさぁ、今ここで」
バキバキバキッ!!!
「お前らふたりともぉ、外にいるお前の仲間も含めてぇ、噛み殺してもいいんだぁ……!!??」
飴玉を噛み砕いたラルの歯が見える。
まるで鮫だ。全部の歯が尖っており、涎と飴の欠片が歯にくっついているのも相まって、非常に凶悪で、狂気的だった。
ゾディアックは小さく息を吐き出す。
「獣人がいるなら、返して欲しいだけだ。必要なら金も払う」
ゾディアックの、金、という単語を聞いた瞬間、ラルはベッドに向かって唾を吐いた。
「いるよぉ? 垂れ耳のガネグ族」
「「本当か!?」」
ふたりが声を上げる。
「嘘つかないよぉ。金を払うって言うなら、商談だもぉん?」
「……いくら払えばいい」
今頃ゾディアックは、相手の狙いに気づいた。ラルは最初からゾディアックの財布が目当てだったのだ。
最強のガーディアン、それは稼いでいる証でもある。それが膝元に来たのだ。ボス級の自分相手と直接交渉なら、旨い話に持って行ける。ラルはそう考えたのだろう。
その考えは見事に功を奏していた。
「そうだねぇ。300万ちょうだい? そうしたらあの子一匹、ぱぱっと返しちゃうよぉ」
「300万……」
「だぁってさぁあ? あの子、うちのキャラバンから物盗もうとしたんだよ? そりゃあこれくらいの額じゃねぇと割に合わないっしょ」
ラルはニヤリと笑って言った。通常であれば高額の値段だった。払うわけがない。たいして得もなければただの獣人。ゾディアックにとっては損しかない。
「わかった。1000万払う」
少年が目を開いてゾディアックを見た。
ラルの表情が急変する。
「なに……言ってんのぉ?」
「1000万ガル払う。それで、許してやってくれ。二度とその子と関わらないと、約束してくれ」
きっぱりと言った。ラルは一度目に角を立てたが、すぐに破顔した。
「お金さえもらえたらぁ~言うことなしだよ!」
「今すぐは用意できない。明日渡す」
「お、おいちょっと待てよゾディアック!!」
「う~ん、本当は今すぐもってこいよタコって言いたいけど、せっかくの美味しい交渉。いいよぉ。あんたの名に免じて待ってあげる~。受け渡しの場所は亜人街の門前でいいかなぁ?」
「……ああ」
少年が喚いていたが、ゾディアックはそれ以上何も言わず、小さく頭を下げた。
「あんたもアホだねぇゾディアックちゃん。ゴミにさぁ、そんなに金出して、どうすんの~?」
「……ゴミなんかじゃない」
「あはは」
ラルが真顔になる。
「ゴミだよ。すぐわかる。ゾディちゃんは、この交渉をしちゃったこと、後悔すんだろうなぁ」
「……しない。約束、守れよ」
「こっちの台詞だよ」
荒々しい交渉が終わった。
ゾディアックはそれ以上何も言わず、少年の肩を掴んで踵を返した。
ラルは笑みを消し、怪しげな瞳を、ゾディアックの背中に向け続けた。
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